第31話 燃える氷の眼差し
「──何をしている」
怒りを孕んだアルフレードの声が、低く響いた。
射殺さんばかりの厳しい視線でサヴィスを睨みつけている。
白手袋を嵌めたアルフレードの手が、ぎりとサヴィスの腕に食い込む。
その手からは冷気が広がり、アルフレードが掴んでいる部分がパキキと音を立て凍り付いた。
「これは……」
サヴィスは突然現れたアルフレードに対し一瞬、驚愕の表情を浮かべたが、腕を掴まれたままの彼は、すぐに貴族らしい笑みを浮かべると、穏やかに言った。
「……モンテヴェルディ様。まさか転移でこちらにいらっしゃるとは……なかなか洒落たご帰宅でございますね」
ヘラリと笑うサヴィスを見据えたまま、アルフレードは動かない。
だが、ゆっくりと吐かれたアルフレードの低い声は恐ろしさを増し、彼が気分を害したことがはっきりと表れていた。
「サヴィス監査官……くだらない軽口は、己の身を滅ぼすだけだと忠告しよう。彼女は私の大事な婚約者だ。貴様が触れて良い存在ではない」
アルフレードは一切表情を動かさないが、その瞳には怒りと嫌悪が滲んでいる。
「ぐ……」
掴まれた腕にさらに力を込められ、サヴィスが僅かに呻き声を漏らした。
サヴィスの腕は肩の辺りまで氷が広がり、つららのように伸びた端の部分は、サヴィスの首へ向けてジワリと伸びていく。
アルフレードの怒りが相当なものだと理解したサヴィスは、短く息を吐くと笑みを消し、真面目な表情でエレナに言った。
「──失礼を致しました。竜のことで夢中になるあまり、貴女様に無礼を働きました事、謹んでお詫び申し上げます。……どうかお許し下さい」
サヴィスはそのまま深く頭を下げる。
エレナが返事をしようと口を開きかけると、それをやんわりと制止するように、アルフレードがエレナの肩を優しく抱き寄せた。
労るような手つきとは反対に、アルフレードは厳しい声音でサヴィスに警告した。
「今日の事は、魔獣管理局に厳重に抗議させて貰う。次はない」
「……承知致しました。御温情に感謝申し上げます」
アルフレードがサヴィスの腕を離すと、肩まで包んでいた氷がパラパラ剥がれ落ち、草に触れる前に消えてなくなった。
サヴィスはまだ頭を下げたままだ。
「ブルーノ」
アルフレードに名を呼ばれたブルーノは、一つ頷き、サヴィスを連れてその場を後にした。
「ここはもういいから、お前達も先に戻れ。置いて来たファルに、ジョゼフ達が手を焼いているはずだ」
アルフレードの指示で、周囲を囲んでいたクララ達も屋敷へ戻された。
皆の姿が見えなくなり二人きりになると、アルフレードが纏っていた空気が一気に和らいだ。
くるりと振り向き、エレナを優しく抱きしめる。
「エレナ、遅くなってすまなかった」
アルフレードの温もりに包まれると、ようやくエレナも体の強張りを解き、小さく息を吐いた。
「いいえ……来て下さった時、本当にほっとしました。ありがとうございます。でもどうやって──」
「ジョゼフが知らせてくれたんだ。急いでファルと屋敷まで飛んで、庭からここまでは転移魔術を使った」
エレナがサヴィスに見つかってすぐ。
ジョゼフが急いで屋敷に戻り、最速の白鷲に伝令を持たせアルフレードに状況を知らせてくれたらしい。
ファルに乗って急いで屋敷に戻ったアルフレードは、ファルを別の竜舎に繋ぎ、転移魔術を使用してエレナの元へ来たことを説明してくれた。
「飛竜達は、昔からあの男を嫌っている。サーリャは特に。ファルを連れて来て奴に合わせれば、怒り狂ったファルが暴れて、寧ろ危険が増すと思って置いて来たんだ」
抱きしめたまま、髪をそっと梳く甘やかな手に、エレナの心は穏やかさを取り戻していった。
それと同時に、エレナの周りではためいていた氷のカーテンが、うっすらと陽の光に溶けて消えていく。
「これは……アルフレード様の魔術ですか?」
「ああ。君に贈った指輪に、防御魔術を組み込んでおいたんだ。君が強い恐怖を感じた時に、魔力の乱れを感知すると自動で君を守るように。私の魔力で作っているから、このカーテンには、君と私しか触れられない。エレナが指輪を身につけてくれていて、本当に良かった」
アルフレードは少しだけ体を離すと、エレナの手を取った。
その指に光る指輪をすり、と撫で、安堵の息を吐く。
アルフレードの顔には、安堵と共に僅かに疲れが見えた。
(恐らく転移したせいで、かなり魔力を消耗されているんだわ)
辺境伯領の領主として忙しい身であるはずなのに、アルフレードは事態を知り全力で駆け付けてくれた。
申し訳なさを感じると同時に、歓喜にも似た感情が、エレナの心に広がった。
《──私の大事な婚約者──》
アルフレードがサヴィスに向かってはっきりと告げたその言葉は、エレナの胸の内で波紋のように広がり、温もりをもたらした。
「アルフレード様……申し訳ありませんでした」
落ち着き、冷静になったエレナは、迷惑をかけた事を素直に謝罪した。
だがそんな彼女を見て、アルフレードは困ったように眉を顰める。
「君が謝るようなことなんて、何もないよ」
「いいえ、私が勝手に飛竜の確認を承諾したんです。アルフレード様を待つべきでした。サーリャも不安にさせてしまって……」
肩を落とすエレナの背を、アルフレードがあやす様に優しく撫でた。
「いや、あれが最善だったよ。君が承諾しなければ、もっと大変な事になっていたはずだ」
「大変なこと?」
「ああ。あの監査官は、普段は非常に優秀なんだが、竜が関わると碌な事をしない。君がいなければ、恐らくブルーノを振り切って、自分で竜舎に乗り込んでいたはずだ。そうなれば、サーリャは前のファルのように錯乱して暴れ、卵も無事では済まなかっただろう」
アルフレードが示した可能性に、エレナは驚きの声を漏らす。
「そもそも、あの監査官は今日ここへ来る予定ではなかったのだから、森まで踏み入ったのは明らかに不法侵入だ。私と城で会う予定だったのも、事前の連絡ではあの男ではなかった。無理矢理、担当を交代して来たのだろう。婚約者である君を怯えさせ、竜を危険な状態に晒した事も考えれば、切り捨てられても文句は言えない」
サヴィスの態度は、冷静になって思い返してみても、普通ではなかった。
エレナが監査を受け入れたかどうか以前に、サヴィス自身が問題だったと言われ、エレナは少しだけ心が軽くなった。
アルフレードが、俯いていたエレナの頬に手を添える。
「──エレナは、優しすぎる」
「え?」
顔を上げると、アルフレードが苦しげに瞳を揺らし、エレナをじっと見つめていた。
「あの男が頭を下げた時……君はすぐに謝罪を受け入れようとした。指輪の防御魔術が展開される程の恐怖を感じ、私が来てからも、その手は震えていたというのに」
アルフレードは再びエレナを強く抱きしめると、言葉の端にサヴィスへの憤りを滲ませた。
「怯える君を目にして、本当はあの場であの男を殺してやりたいくらいだった。エレナが謝る必要はないし、あの男の謝罪を受け入れる必要もない。どうかお願いだから……君の優しさを、あんな男に分けないで」
エレナの耳元に、アルフレードの懇願にも似た切ない声が響く。
「君の優しさは……私だけが知っていればいい」
「……ア、ルフレード様……」
あまりに切実なアルフレードの声音に、エレナが戸惑いの声をあげる。
その時。
突然二人をどどお、と強風が襲った。
「きゃあ!」
吹き飛ばされそうな勢いに目を開けられず、思わずアルフレードにしがみ付く。
風が治まり目を開けると、エレナとアルフレードに鼻先が付く程の間近に、鼻息を荒くしたファルがいた。
ファルは不機嫌そうにそのまま二人に鼻息を吹きかけると、ぷいと顔を背け竜舎の中へと飛んで行った。
その様子を、暫くの間呆然と見つめるエレナとアルフレード。
二人は目を丸くしたままゆっくりと見つめ合うと、そのまま同時に吹き出した。
「く……ははっ。いつまでも私が呼びに行かないから、痺れを切らして飛んできたようだ。ファルを怒らせてしまったな」
「ええ。アルフレード様は、謝ることはないとおっしゃいましたが……ファルにもサーリャにも、不安にさせたことを謝りたいです」
「そうだな。私もファルに謝らなければ。何とかして、ご機嫌をとるとしよう」
眉を下げて微笑みながら差し出されたアルフレードの手を、エレナも笑って握り返す。
ゆっくりと竜舎へ向かう二人の手は、しっかりと繋がれ、じんわりと温かさを取り戻していた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
二人の心の距離がかなり縮まってきました。
雛は無事に産まれるのか、アルフレードは呪いを打ち明けられるのか。
ゆっくり進むエレナとアルフレードの関係を応援して下さると嬉しいです。
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