第30話 魔獣管理局サヴィス監査官 2
エレナは背筋が凍った。
間近に迫ったサヴィスの瞳は、彼女の内側を覗き込むように細められている。
(この方は……私の秘密を知っているの?)
自身の魔力について言葉を発する目の前の男──サヴィスはただの役人であり、爵位も伯爵。国の中枢を担う重鎮でもなければ、スフォルツィア家の者でも、アルジェントの屋敷の者でもない。
エレナの秘密を知るはずもないその男の指摘に、足元から恐怖が広がっていく。
《──世に知れたら、本当に人柱にされかねない》
父の言葉が突然、現実的な恐ろしさを持って耳の内でこだました。
後ろへ距離を取りたい衝動をグッと堪え、エレナはできるだけ平静を装って聞き返した。
「あの……良い魔力、とは?」
すると、サヴィスはがしっとエレナの両肩を掴み、興奮気味に詰め寄った。
返ってきた答えと態度は、エレナの想像とは全く違うものだった。
「わからないんですか? 竜の好みということですよ!」
目を輝かせ叫ぶように大声を出したサヴィスに、エレナは目を瞬かせ困惑した。
驚くエレナが見えていないのか、サヴィスは早口で捲し立てる。
「魔獣は魔力を見ると言われている。その中でも竜は特に目が良く敏感だ。人間に懐かない個体も多い。だが! あなたは竜舎から出てきた! しかも産卵後の雌の竜舎から! ブルーノ殿のように力を認められる武人のようにも見えない……ということは、これは竜の好みにピッタリ合致する魔力を持っているということだ! 素晴らしい! なんて素晴らしいんだ!」
一息で言い切ると同時に、エレナの肩を掴んでいるサヴィスの腕が上に跳ね上がった。
ブルーノが彼の腕を振り払ったらしく、僅かに戦闘の構えをとっている。
呆気に取られているエレナの目の前に、ブルーノが背に庇うように立つ。
「サヴィス殿。これ以上エレナ様に触れることは許容出来かねます」
低くした声には完全に怒りと殺気が滲んでいる。
エレナはブルーノの様子にゴクリと喉を鳴らしたが、サヴィスは毛を逆立てた子猫でも見るように、動じることなくヘラりと笑って肩を竦めた。
「ああ、ごめんごめん。つい興奮してしまって……。スフォルツィア嬢もすまなかったね。竜のことになるとどうしても、ね」
サヴィスは愉しそうに自身の頬の傷をすりと撫でると、パッと表情を明るくして目を見開いた。
「そうだ! スフォルツィア嬢は、アルフレード様のご婚約者と仰いましたね? ブルーノに代わって、あなたが許可してくれませんか?」
飛びつかんばかりに期待の滲む顔で見られ、ブルーノの後ろに隠れながら、エレナは目を白黒させる。
「許可……ですか?」
「サヴィス殿」
「まあまあ、ブルーノ殿。──スフォルツィア嬢、私は飛竜の状態を確認するために、今日こちらへ伺ったのですよ。予定では城で話を聞くだけだったんですが、やはりこの目で確かめた方が何万倍も良いですからね。特に竜はどれだけ眺めたっていい! 輝く鱗は健康状態や魔力の量の観察に持ってこいだし、翼は──ああ、失礼。また脱線してしまった」
エレナの困惑の表情を見て、サヴィスは咳払いをする。
「つまりですね、飛竜と卵の様子を拝見させて欲しいんです。新しい竜舎が必要かどうか、それで判断します」
唐突な申し出に固まっていると、ブルーノが先に返事をした。
「それはアルフレード様との口頭確認で問題ないはずです。エレナ様、彼の話を聞く必要はありません」
「いいえ、聞いてください! 目視での監査は大変重要なんです。仕事せずに帰れません」
「ですから、あなたの仕事はアルフレード様との質疑でしょう」
「お願いです! 私もどうしてもこの目で卵が見たいんです!」
「サヴィス殿、私的な要請はやめてお帰り下さい」
目の前で口論を始める二人に驚いていると、サヴィスが言った。
「今見せて頂けるなら、新しい竜舎のための建築資材として、太陽石とオルタ香木を手配できるように魔獣管理局から融通します!」
「太陽石とオルタ香木ですか!?」
サヴィスの提案に、エレナは思わず聞き返してしまった。
太陽石は、アルジェントと隣国の間にある渓谷に多く見られる石で、非常に硬く採掘が難しい。石であるのに魔石に近く、僅かに魔力を吸収するという特性があるため、外からの魔術攻撃への対策の一つとして、主に城や王族の住居にしか使用されない貴重な石だ。
オルタ香木は、保温性に優れ防火性も高いため、建材として常に価格が高騰し続けている高級木。
どちらも大変貴重なもので、入手が難しい。
だが、サヴィスはそれを手配できると言う。
(孵化する時、また私の魔力が弾ける可能性もあるし……生まれてすぐの不安定な雛の魔力が暴走する可能性だってあるわ。普通の建材より太陽石の方が安心だし……オルタ香木が使えるなら雛も快適に育てられる)
エレナが興味を示したのを見て、サヴィスは勝利の表情を浮かべた。
「交渉成立、ということで宜しいですね?」
「それ以上は、絶対に近づかないで下さいね」
竜舎の外、入り口ギリギリに立つサヴィスに、エレナは念を押した。
「もちろんです。残念なことに、私はあの飛竜に特に嫌われていますからね。これで我慢します」
サヴィスは制服の胸元から小さな双眼鏡を取り出し、いそいそと目に当て視界を合わせ始めた。
双眼鏡を覗いたままエレナに言う。
「では、スフォルツィア嬢。お渡しした調査書の項目について、竜と卵の様子を確認しながら記入をお願いしますね。私はここで見ていますので」
ブルーノはサヴィスの見張りとして入り口に待機している。
エレナは渡された用紙を手に、一人サーリャの元へ進んだ。
自らが認めていない人間が、卵の近くに来ているのが気になるのだろう。
警戒を全面に表しているサーリャは、暴れる事こそなかったが、僅かに瞳孔を開かせじっと入り口にいるサヴィスの様子を伺っている。
「サーリャ、ごめんね。すぐ帰ってもらうからね」
エレナはサーリャに声をかけながら優しく頭を撫でる。
視線こそサヴィスから離さないが、サーリャはわかってくれたらしく《クウウウウーー》と小さく鳴いた。
記入する項目は、鱗や瞳、鉤爪の状態など、サーリャの健康状態に関するものと、卵の色や大きさ、竜舎の飼育状況など、エレナが日頃行っている健康観察とさほど大差ないものだった。
サーリャの心労を考慮し早急に調査書を書き上げると、エレナは竜舎の外に出た。
調査書を渡そうとサヴィスを見ると、エレナはギョッとして固まった。
「──素晴らしい」
恍惚とそう呟いたサヴィスは、こぼれ落ちんばかりに目を見開き、うっすらと笑みを浮かべエレナを凝視していた。
興奮を抑えきれないのか、震える手で口元を強く抑え、ぶつぶつと何かを唱えている。
「なんてことだ……竜と同調できるなら……いや、卵の段階で……だがそれだと……ああそうだ、魔力を移せれば……」
なおも見つめ続ける爛々とした菫色の瞳に、エレナはゾッとした。
蛇に睨まれた蛙のように、その場から全く動けない。
怯えを見せたエレナの手から、ブルーノが素早く書類を抜き取り、エレナの前に立つとサヴィスにそれを押し付けた。
「サヴィス殿。もう要件はお済みでしょう。お引き取り下さい」
厳しい表情で間に立つブルーノが突き放そうとするが、サヴィスにはまるで彼が見えていないかのように、その視線がエレナから動くことはない。
「──スフォルツィア嬢。あなたには……無限の可能性を感じる」
胸元で受け取った書類をグシャリと握りしめ、サヴィスはずいと前に歩み出ると、ブルーノを押し除けるように肩を掴み、エレナに向かってぐわりと大きく手を伸ばした。
(怖い──!)
自身を掴もうと迫る手に、エレナが恐怖で体を強張らせた、その時──。
キイーーーーン!
剣戟のような硬い音が響くと共に、周囲に一気に冷気が広がる。
霧状に浮かぶの無数の氷の粒がカーテンのようにエレナの周りを包み、光を受けてキラキラと銀色に輝いていた。
「あ……」
エレナは目の前の光景に、体の内に一気に安堵が広がった。
「アルフレード……様……」
氷のカーテンの向こう、眼前に迫るサヴィスの腕を、突如現れたアルフレードが掴んでいたのだ。
その顔には、憎悪とも言える程の、激しい怒りが滲んでいた。
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