第29話 魔獣管理局サヴィス監査官 1
「サーリャ、調子はどう?」
陽の光が差し込む竜舎の中、サーリャに会いにきたエレナの弾んだ声が響いた。
干し草に蹲るサーリャが、エレナを見るなり首を上げて機嫌よく一鳴きした。
丸めた尾と腹の間には、つるんとした薄紅色の大きな卵。
産卵から一週間が経ち、サーリャは元気を取り戻していた。
アルフレードと共に朝に一回、午後のお茶の前にお宝探索隊と一緒に一回、合計二回サーリャの様子を見に来るのが日課になっていた。
「卵も温かいし、今日も大丈夫みたいね」
「エレナ様、模様はまだ出ていないですか?」
卵に触れ温度を確認していると、少し離れた所で様子を見守っているブルーノが尋ねてきた。
産卵の時は一気に膨大な魔力を注ぐ必要があったが、これから孵化までの三ヶ月間、今度はじっくり魔力を注ぎながら卵を温めなければならない。
アルフレードの説明によると、薄紅色の卵は、魔力を注ぐにつれて濃い色に変わり、黒のマダラ模様が出てくるということだったので、エレナはその変化を楽しみに毎日観察を続けていた。
「模様はまだだけれど、確かに、色がほんの少しずつ濃くなっている気がするわ。産み落としてすぐの卵は、もっと白色に近かったもの」
じっと卵を観察するエレナの背を見ながら、ブルーノがため息を溢した。
「はあ……私も産卵の様子を拝見したかったです。クララ達が『夢のように美しかった』と毎日のように自慢してくるんですよ」
「ブルーノはお仕事に行っていたものね。私も……あの光景は本当にびっくりしたわ」
産卵の瞬間、竜舎の中に降り注いだ金の光の粉。
あれは、エレナの魔力によって偶然起きた、奇跡の光景だった。
産卵の後、朝日が登って屋敷に戻ってから、その時の状況を、エレナやアルフレード、竜舎の周りから目撃していたクララ達の話を元に皆で考察した。
「私は、突然、エレナを中心に光が広がり、周囲が真昼のように明るく輝いたように見えた」
「外から見ていましたが、光ったのは、ちょうど卵が産み落とされてすぐでしたよ」
「私は、魔力を注いでいる間サーリャのことをひたすら心の中で応援していたら、光る直前、突然魔力が膨れ上がった気がしました」
一通り全員が説明を終えると、アルフレードが納得したように頷いた。
「なるほど。サーリャが魔力を跳ね返したということか」
必死で魔力を注いでいたエレナは、サーリャが卵を産み落としたことに気付かず、さらに魔力を流し込もうとしていた。
産卵が終わればそれは必要ないため、エレナの魔力を無駄に奪わないために、サーリャが自らエレナの魔力を拒絶し跳ね返した。
結果、エレナの体内で魔力が膨れ上がり、行き場をなくした魔力が一気に霧散した結果が、あの光景だった──ということだった。
「あの場にいなかったことが、本当に悔やまれます」
肩を落として言うブルーノに、エレナは苦笑した。
「でも、その間ブルーノがアルジェント城に行って急いで手配してくれていたから、新しい竜舎もすぐに完成しそうよ。本当にありがとう」
魔獣──ましてや大型の竜の飼育には、非常に複雑な手続きが必要だ。
竜舎を建てるにしても、竜の数が増減するにしても、魔獣を管理している『魔獣管理局』に申請を行い許可がいる。
サーリャの産卵中、アルジェント城でブルーノが素早くそれらを済ませてくれていたため、今日にも許可が降り、工事を始められる見立てだった。
「あとは魔獣管理局の方との質疑が終われば、雛のための竜舎を作れるのよね?」
「そうです。今日、アルフレード様がアルジェント城にて、局の監査官とお会いになる予定です。夕方には戻ると仰っていましたよ」
ブルーノと和やかに談笑していると、急に外が騒がしくなった。
サーリャが警戒するように体を起こし、瞳孔が開く。
ピリ、と纏う空気を硬くしたブルーノが、じっと外を見て呟いた。
「まさか……」
パッと笑みを貼り付けエレナに向き直ると、早口で言った。
「エレナ様、ちょっと外の様子を見てきますので、暫くこちらでお待ち下さい。絶対に、竜舎から出てはいけませんよ」
唯ならぬ様子を感じエレナが不安げに頷くと、ブルーノは急いで竜舎から出て行った。
(どうしたのかしら……?)
様子が気になったエレナは、竜舎の入り口の影から、外を伺う。
「やあやあ、ブルーノ殿。お久しぶりですね」
笑みを含んだ低い声が聞こえそちらを見やると、湖の辺りに、顔色の悪いジョゼフと並んで見知らぬ男が立っていた。
歳は父である侯爵と同じ程だろうか。
背が高く細身のその男は、白髪の混じるくすんだ金髪を撫で付け、やや垂れた菫色の瞳をにっこりと細めている。
目尻には深い皺が伸び、温和そうな印象だが、その頬には切り裂かれたような大きな傷跡が目立っていた。
男が身にまとう、銀刺繍が施された白色の服に、エレナは見覚えがあった。
(あれは……魔獣管理局の制服……?)
ブルーノが近付いていくと、男の周囲を囲んでいたクララ達が、警戒態勢をとったまま後ろへ下がる。
「サヴィス殿。本日は城でアルフレード様とお会いになるご予定のはず。なぜこちらに」
サヴィスと呼ばれたその男は、ブルーノの冷ややかな態度を気にも止めず、のんびりとした口調で言った。
「そのつもりだったけれど、やはり実際にこの目で確認するのが一番かと思って」
「突然お越しになられても困ります」
「まあ、いいじゃない。せっかくここまで来たのだから、このまま仕事をさせて貰うよ」
「竜が嫌がりますので、アルフレード様が戻られるまでは屋敷でお待ち下さい」
「待つ時間がもったいないじゃないか。サッと確認するだけだよ」
ブルーノは拒否の姿勢をとってはいるが、サヴィスはそれを無視してどんどん竜舎に近づいて来る。
サヴィスの様子を見るに、ジョゼフやブルーノよりも身分が高い貴族なのだろうことが伺えた。
サヴィスの目の前に身を滑り込ませ、竜舎への道を塞ごうとするブルーノ。
だがサヴィスの瞳はそれを通り越し、入り口の影から覗いていたエレナを見つけた。
「……おや?」
サヴィスがピタリと足を止めた。
「可愛らしいお嬢さんだ。ブルーノ殿、あの方は?」
その笑みを深めながらも、サヴィスは見定めるように、瞬時にエレナの頭の上から爪先まで視線を滑らせた。
ブルーノに質問しながらも、その顔はずっとエレナに向いている。
ブルーノが背中に指でバツ印を作り「出て来るな」と訴えているが、目が合って相手が紹介を求めている以上、隠れ続けることはできない。
エレナは入り口の影から前へ出ると、緊張しながらもゆっくりとカーテシーを披露した。
「……エレナ・スフォルツィアと申します。アルフレード様の婚約者として、こちらに滞在させて頂いております」
「ああ──スフォルツィア侯爵の御息女でしたか。私はサヴィス・ボルドー。伯爵位を賜ってはいますが、領地は親族に任せ、魔獣管理局で監査官として働いております」
サヴィスは言い終わると凄い勢いでブルーノを押し除け、ずいとエレナに歩み寄った。
「あなたは──良い魔力をお持ちのようですね」
至近距離でじっと見つめられ、エレナはたじろぐ。
笑んだままのサヴィスの菫色の瞳には、その奥に狂気が渦巻いて見えた。




