第28話 産卵と金の光
竜舎の天窓に高く昇った月が顔を出しても、エレナとアルフレードの穏やかな談笑は続いていた。
毛布にくるまり寄り添ったまま話していると、アルフレードの体温が伝わり心地良い。
彼が楽しげに聞いてくれるのが嬉しくて、話は尽きなかった。
「──それで、その時兄が怒って父に言ったんです。『父上、私は自分が強くなりたい訳ではありません。強い者が上手く戦える場を作りたいんです。いい加減、訓練ではなく勉強をさせて下さい』って。それで父は呆然としてしまって」
「ははは。侯爵のその顔はぜひ見てみたかったな」
「兄は父の訓練が相当嫌だったみたいで、いつも逃げ回っていました。私の部屋のクローゼットに隠れていたこともあるんですよ」
「はあ……義兄上の気持ちは良くわかるよ。侯爵にはよく手合わせして頂いたが、あの方の指導は本当に厳しいから」
「まあ! アルフレード様もそう思われるということは、余程なのですね」
「でも、そのおかげで今は私の方が強い」
アルフレードが得意げに目を細めると、エレナは思わず笑った。
あれから休憩を挟みつつ何度か魔力をサーリャに注いだが、最初の時以降、エレナがサーリャの記憶を見る事はなかった。
サーリャは予想よりもエレナの体調に気を配ってくれたようで、一気に魔力を吸い取られることもなく、和やかに時が過ぎていった。
それが起こったのは、真夜中もとうに過ぎた頃。
「──エレナ。もうすぐ産卵が始まる」
サーリャとファルが小さく鳴いたのをきっかけに、それまでの穏やかな空気から一転、アルフレードが真剣な表情で言った。
「今のサーリャの様子なら、産卵のタイミングで引き出される魔力は、恐らく四割程だと思う。だが何度も言うけど、無理はしなくていい。万が一ということもあるし──」
最後まで中止を提案してくるアルフレードを安心させるように、エレナはそっと彼の手を取り微笑んだ。
「大丈夫です。サーリャもとても気遣ってくれていますし、最後まで力になりたいです」
「……わかった。念の為、今回は先に回復薬を飲んでおいて。転移した時のように一気に魔力を引き出されるはずだから、かなり辛いと思う。私が後ろから支えるから、もう少しそちらに寄って」
言われた通りに回復薬を飲み、今までよりさらにサーリャの近くへ座り直した。
隣にいたアルフレードがエレナの後ろにまわり、長く伸ばした脚の間に彼女を包むように腰を下ろす。
アルフレードは僅かに上体を前に倒し、後ろからエレナの肩口に額を埋めると、深い深いため息を吐いた。
抱きしめるように腰に回された手は、少し震えている。
エレナはそれに気付き、じんわりと胸が熱くなった。
(優しい人……)
エレナはそっと、指先が冷えたアルフレードの手に触れた。
アルフレードは、最初から最後まで、魔力譲渡に反対していた。
家族のように過ごしてきた竜が死ぬかもしれないのに、彼がエレナに「魔力を分けてくれ」と言ったことはない。
(私は普通じゃないから、ジョゼフ達が言うように、本当に危険はないのでしょうに。アルフレード様は、私を普通の人として……ただの一人の人間として心から心配してくれている)
有り余る魔力を持つ人間が目の前にいるなら、普通なら「助けてくれ」と縋り頼りにするはずだ。
だがアルフレードは、「エレナなら大丈夫」と軽くは捉えない。
ほんの僅かに存在している万が一のエレナの死の可能性を、母の死と重ねてしまう程に悩み、心を痛めてくれているのが、痛い程に伝わってきた。
(アルフレード様はいつだって、私の言葉を聞いて……私の心を守ろうとして下さってる)
エレナの脳裏に、婚約を結んだ日、跪き手を差し出したアルフレードの姿が浮かぶ。
《どうか私と、アルジェントで生きてほしい》
貴族同士、ましてや王命まで下された国のための結婚。
アルフレードは決定事項として、ただ「これから宜しく」と言うだけでも良かったはずだ。
だが、エレナが断る余地を残し、彼女が自ら頷くのを、アルフレードは真摯に願ってくれた。
ファルと空を飛んだ時も、サーリャに初めて魔力を譲渡した時も、錯乱するファルを見について行くと言った時も、思い返せば、アルフレードはいつもエレナを気遣い、守ろうとしてくれていた。
国の保護対象としてではなく、一人の女性として、エレナを大切にし、気持ちを尊重してくれていた。
そして今も、エレナの命とサーリャの命が天秤にかけられていることに、震える程に恐怖しながら葛藤している。
「──すまない。私が君を、安心させてあげるべきなのに」
首筋に落とされた呟きに、エレナの心臓は切なく軋んだ。
背中で震えている、父よりも強い筈の彼に、愛しさが込み上げた。
(サーリャを助けたい。アルフレード様を、悲しませたりなんてしない!)
エレナは両手でアルフレードの手をぎゅっと握り、できる限りの明るい声ではっきりと言った.
「アルフレード様、私、頑張ります! サーリャも私も、絶対大丈夫ですからね!」
両手をサーリャの腹にぴたりとあてる。
その上から、アルフレードの大きな手が重なった。
「腹が急激に熱くなったら、それが産卵の合図だ」
耳元でアルフレードが声を低くした。
緊張でどくどくと心臓が跳ねる音がしているが、ぴたりと密着している今、その音がエレナのものなのかアルフレードのものなのか、最早わからない。
じっとその時を待っていると、サーリャが大声で鳴いた。
《グアアアァーーーーン》
その瞬間、火がついたようにサーリャの腹に熱が広がる。
「ぐ……う……!」
あまりの熱さに手を離したくなる衝動を必死に抑え、エレナは硬く目を閉じた。
どっと荒波に飲み込まれたように、体に衝撃が走る。
サーリャに向かって体内を魔力が駆け巡り、内臓が揺さぶられているかのようだ。
その場に倒れ込んでしまいそうになるのを、グッと歯を食いしばって耐える。
《グアアアァーーーーン!》
サーリャの声でビリビリと空気が震えている。
苦しいのか、寝そべったままもがく様に翼をバサリと羽ばたかせ、周囲に干し草が舞い上がった。
(がんばれ……がんばれ……!!)
ぐんぐんと魔力が抜けていき、指先が痺れる。
エレナはそれでも、サーリャに魔力を注ぎ続けた。
(がんばれ……サーリャ、がんばれ……!!)
心の中で必死に祈り続けていると、突然、ぶわりと体の中で魔力が大きく膨れ上がった。
「──え?」
驚いたエレナが思わず目を開けた瞬間、カッと目の前が光に包まれる。
真昼のように周囲が明るくなったかと思うと、次の瞬間には、パンッという破裂音と共に、竜舎中に、キラキラと黄金に輝く光の粉が降り注いだ。
「これ……は……」
ゆっくりと降るその煌めきに、手を重ねたまま、アルフレードが上を見上げて驚きの声をあげる。
いつの間にか魔力を引き出される衝撃がなくなっていることにも気づかず、二人は呆然とその幻想的な光景を眺めた。
《クウゥアーーーーン》
「きゃあ!」
光の粉が徐々に霧散し消えた頃。
ぼーっとしていたエレナは、穏やかなサーリャの鳴き声が聞こえると同時に、ファルにベロリと顔を舐められた。
目を丸くしパチパチさせると、ファルがさらに頭を擦り付け、ぐいっと無理矢理顔を反対側に向けられる。
「──あ」
視線の先、横たわるサーリャの尾がゆらゆらと揺れている。
その尾の付け根の辺りには、子供一人が余裕で入れそうなくらい大きな──美しいつるりとした竜の卵が産み落とされていた。
「──サーリャ!!」
エレナは、思わずサーリャの腹に抱きついた。
「サーリャ……頑張ったね、サーリャ。おめでとう!!」
燃えるような熱はもうなく、頬にあたる鱗はひんやりと冷たい。
「エレナ……本当にありがとう」
クシャリと顔を歪ませたアルフレードの瞳には、安堵が滲んでいる。
アルフレードはふわりとエレナを毛布で包むと、そのままぎゅうと彼女を抱きしめた。
エレナは目を細めると、そっとアルフレードを抱きしめ返し、茶色の組み紐で結ばれた青灰の髪を、優しく撫でる。
「……アルフレード様のお役に立てて、私も嬉しいです」
抱き合う二人を、ファルが再びベロリと舐めた。
サーリャの産卵は、無事成功に終わった。




