第25話 竜の咆哮とサーリャの危機
2025年10月1日に投稿しましたが、翌日2日、次の話にする予定だった文章を、やっぱりキリが悪いなと感じてこのお話の後半に1,000文字程追加しました。
更新前にお読み頂いた方は、次話でお話が飛んだように感じたかもしれません。すみません。
「ファル! 落ち着け! ファル!」
エレナとアルフレードが竜舎に入ると、小さく蹲るサーリャにファルがピッタリと寄り添い咆哮をあげ続けていた。
巨体を覆い隠し守るように広げられたファルの羽根の下では、サーリャが声もあげずぐったりと丸まっている。
「アルフレード様、サーリャが──!」
「ああ、恐らく魔力が足りてない。ファル! 落ち着くんだ!」
錯乱状態のファルは、アルフレードの声が聞こえていないようで、瞳孔が開き、焦点が定まらない。
アルフレードが声を掛けながら近づいていくと、ファルが牙を剥いて高く尾を上げ、物凄い勢いで二人に向けて振り下ろした。
エレナは恐怖で足がすくみ、その場から動けずに硬く目を瞑った。
「──っ!」
だが、エレナに尾で打たれる衝撃は来ず、代わりにガラスが割れたような甲高い音が響くと同時に、ぶわと体が倒れそうになる程の爆風が襲ってきた。
風がおさまりゆっくり瞼を上げると、目の前にはエレナを背に庇うように、アルフレードが立っていた。
軽く挙げられた掌の上には、発動直前の光を帯び旋回している複数の魔術の陣。周りには、大きな盾のような形をした氷柱が、二人を囲むようにずらりと浮かび並んでいた。
ゆらゆらと揺れ、二撃目を振り下ろそうとしているファルの尾の下には、氷の破片が散乱している。アルフレードが魔術で氷の盾を出し、衝撃を相殺させたらしかった。
「エレナ、絶対に俺から離れないで」
アルフレードの声は低く強張り、焦りが滲んでいる。
緊迫した表情でファルから一切目を逸らさず、アルフレードは手に浮かぶ陣に一気に魔力を込めた。
《グアアアアアーーーーン!》
ファルが再び物凄い勢いをつけ、二人を尾で薙ぎ払おうとした。
振り回される尾に、アルフレードが攻撃魔術をぶつけ、勢いを相殺し続ける。
徐々に尾の先が凍りつき、ファルの攻撃の勢いが弱まった瞬間。
アルフレードがぶわりと細かな氷の粒を霧状に広げ、ファルの周囲を包み込んだ。
「少し眠っていろ」
アルフレードの言葉と同時に、霧がどんどんファルに集まっていく。
霜が降りたように全身を結晶に包まれたファルは、ゆっくりと瞳を閉じ、その場に項垂れ動きを止めた。
ほう、と息を吐き、周囲の氷柱を霧散させたアルフレードに、エレナがおずおずと尋ねた。
「ファルは……眠ってしまったんですか?」
振り返ったアルフレードは、エレナに手を差し出し、頷いた。
「ああ、暫く起きないが体に問題はない。今のうちにサーリャの所へ行こう」
眠るファルの翼を押し上げると、ぐったりとして目を閉じているサーリャの顔が見えた。
「やはり魔力がかなり不足しているな……恐らく、腹の中で急激に卵に魔力を吸収されている」
サーリャの様子を調べながらアルフレードが言う。
「大丈夫なんですか……?」
「腹の状態から見て、今夜にでも産卵する可能性が高い。この状態では……産卵と同時にサーリャは死ぬだろう」
息を呑むエレナの横で、アルフレードが続ける。
「サーリャは元々他の竜に比べて体が小さく魔力も少ない。本来ならあと四、五ヶ月はゆっくり卵に魔力を注がなければならないが──ファルとの相性なのか、子の力が強すぎるのか、──急激に卵がサーリャの魔力を吸い取り、産卵の準備が始まっている」
「そんな……サーリャを助ける方法はないんですか?」
「……ファルを隔離して、サーリャと卵の事は諦めるのが最善だ」
竜は卵を産む時、そして卵から雛が孵る時に大量の魔力が必要だ。
サーリャが産卵と同時に死んでしまえば、雛へ魔力を渡す者がいなくなり、結果的に雛も死ぬという事だった。
アルフレードが悲しげな瞳でサーリャの頭を優しく撫でる。
エレナはその様子を見て、ふとある事を思い出した。
「私では……ダメなんでしょうか?」
「え……?」
「私、アルジェントに来た日、サーリャに魔力を渡しました! また私の魔力を使えば……サーリャも卵も助けられるのではないですか!?」
魔獣は人間の魔力を弾き返す。
だが、サーリャは自ら望んでエレナの魔力を受け取った。
エレナは僅かに希望が見え語気を強めたが、アルフレードは険しい表情でその提案を断った。
「駄目だ。確かに助けられる可能性はある。だが……それは私がさせたくない」
「なぜですか? 助けられるかもしれないのに」
「君は……魔力が枯渇し、飢餓感に飲まれた竜の苦しみがどれほど強いものかわかっていない」
サーリャを見つめたまま、低い声で静かに言うアルフレードの顔からは、一切の感情がごっそりと抜け落ちていた。
「番であるファルの魔力をサーリャが受け入れていないのは、魔力を吸いすぎファルを殺す可能性があるからだ。だが君は違う。飢餓感に飲み込まれたサーリャは、我が身と子のために、君の魔力を全て吸い取り、君を殺すかもしれない。前回の譲渡でさえ、私は気が気でなかった。こんな状態のサーリャに魔力譲渡をするなんて、危険すぎる」
言い切り、エレナを見つめたアルフレードは、顔を歪め、小さな子どものように泣きそうな顔をしていた。
彼の様子から、エレナは自分がどれだけ危険な事を提案しているのか理解し、指先から温度がなくなっていく。
だが、エレナの気持ちは変わらなかった。
「それでも、私にできることがあるのなら、私はサーリャを助けたいです」
不安と恐怖が体を震えさせるが、その芯はどくどくと脈打ち決意に燃えていた。
「確かに、危険かもしれません。でも、アルジェントに来て、私を歓迎してくれたサーリャを、何もせずに死なせたくありません。私にサーリャを助けさせて下さい。お願いします!」
沈黙の中、エレナとアルフレードはお互いをじっと見据え続ける。
エレナは固唾を呑んで、アルフレードの答えを待った。
無言のまま、強い瞳でじっと見つめ合う二人。
先に折れたのは、アルフレードだった。
「……言い出したら聞かないのは、義兄上とそっくりだね」
剣呑な眼差しが緩められ、アルフレードは大きなため息を吐きながら、片手で額を抑えた。
「──いいよ。成功するかはわからないけれど、エレナの案を試してみよう」
エレナがパッと表情を明るくする。
「ありがとうございます!」
「ただし」
アルフレードが射抜くような強い眼差しでエレナを見据える。
「もしサーリャが君に無理をさせて、私が危険だと判断したら──その時は、私は躊躇なくサーリャを殺す。私は君に、一生守ると約束したはずだ。それだけは譲れない」
「アルフレード様……」
エレナはアルフレードに近づくと、そっと頭を撫でるように、青灰色の髪に優しく触れた。
エレナには、アルフレードの強張った瞳に滲む葛藤が見えた。
エレナを守ろうとする彼の気持ちも本物だろう。
だが、ファルやサーリャが彼にとって家族同然の存在であることは、共に暮らしてみてエレナにもよく解っていた。
口では厳しい事を言っているが、サーリャを死なせたい訳がない。ファルを悲しませたい訳がないのだ。
「そんなに悲しい顔をしないで下さい。私……頑張りますから!」
エレナはにこりと笑ってみせる。
髪に優しく添えられた彼女の手を、アルフレードは縋るようにきつく握りしめた。




