第23話 会いたくない人物(従者ブルーノ視点)
「あの……私のせいでしょうか」
騒動の翌日、窓から差し込む夕日を背に、エレナが顔を青くして言った。
先程ブルーノが「アルフレードは暫く戻らない」と伝えたからだ。
「いいえ、急なお仕事で……一週間ほどで戻られる予定ですので」
そう言って、ブルーノはアルフレードから預かっていた手紙を渡す。
エレナがそれを読む間、顔には微笑みを貼り付けていたが、ブルーノは内心非常に焦っていた。
「──魔術師長と急な面会になったんですね。……わかりました。ブルーノもすぐ向かうのよね? お返事を書く間だけ、待ってもらえないかしら?」
「ええ、もちろん。エレナ様からのお手紙があれば、アルフレード様もそれはもうお喜びになりますから」
エレナの返事を受け取ると、ブルーノはすぐに飛竜に飛び乗った。
アルジェントの城に到着すると、早足でアルフレードの執務室へ入り、執務机の引き出しを開けた。
中から緊急用の転移魔術の陣が描かれた紙を取り出すと、ヴェレニーチェから預かっていた魔石を使い、術を発動させる。
「ぐ……」
発動と同時に燃えるような熱に包まれたブルーノが、硬く目を閉じ歯を食い縛る。
身を焼くような熱と痛みが消え、ゆっくり目を開くと、先程までいた執務室ではなく、暗く狭い小部屋の中に立っていた。
(やはり……アルフレード様の魔力は慣れないな)
呼吸を整えながら、目の前の小さな扉をそっと開ける。
開けた先の明るさに目を細めながら、ブルーノはそこにいる人物に気分が沈み、冷ややかな眼差しを向けた。
「ヴェレニーチェ様。アルフレード様のご様態は?」
ブルーノが転移してきたのは、王城の横、魔術塔にある魔術師長──ヴェレニーチェの研究室の一つだった。
壁一面にある棚は乱雑に押し込まれた書類で溢れ返り、机はその用途を成さない程に本が高く積まれている。床にはたくさんの走り書きのような紙と共に、薬草や実験用具が散乱していた。
「ああ、ブルーノ……遅かったね。坊やなら今は眠っているよ。恐らく今日はもう起きない」
どこか異国情緒漂う波打つ黒髪と褐色の肌。はっきりとした顔立ちに伸びやかな声。その風貌に引けを取らない豪奢な装飾があしらわれたローブを纏う女性──魔術師長ヴェレニーチェが、机に座り茶を啜りながら、ブルーノに向かって口角を上げた。
「エレナがいないと、途端に部屋がこの有様だ。そろそろ返して貰おうかな」
揶揄うように微笑むヴェレニーチェに、ブルーノは吐き捨てるように言った。
「ふざけないで下さい。エレナ様はもうアルフレード様のものだ」
研究室のさらに奥、アルフレードが眠っているであろう部屋へ向かおうとした時、ヴェレニーチェに制止された。
「やめときな。今の坊やはただの獣だ。新月の夜に無茶するから、反動で呪いが膨れ上がっている。眠らせるだけで一苦労だったんだよ。少なくともあと五日は黙って待ちな」
「……もう少し早く、元に戻ることはできないんですか」
悲痛な表情を浮かべるブルーノに、ヴェレニーチェはゆるゆると首を振った。
「無理だね。新月の夜に火の魔力を無理矢理押さえつけて長時間、人の姿でいたんだ。ご丁寧にエレナに手紙まで書いちゃってさ。おかげで化け物になってしまっては元も子もないけどね」
ブルーノは苦虫を噛み潰したように、顔を歪めた。
「アルフレード様の呪いを解く方法は、まだ見つからないんですか」
「何度聞いても同じさ。坊やの中で、氷の魔力と呪いはかなり複雑に絡み合っている。溢れ出た分は魔石に移して何とかできるけど、根本は無理だ。どれだけ移しても湧いて出てくる。無理に引き剥がそうとすれば、急激なストレスで魔力が結晶化して魔石になっちまう。魔力の結晶化は則ち、死だ。魔獣が死ぬ時と同じだよ」
「それはわかっています。ですが結晶化させずに呪いの魔力だけを取り出す方法を探すと言って、あなたの研究に付き合ってもう十五年も経ちました」
「言ってるだろ。湧き出る魔力の根源を切り離すってのは、死と同義だよ。生きたまま魔力の根源を取り出すなんて神の身技だ。今まで何百年も見つかっていない方法が、たった十五年研究しただけで見つかりゃ奇跡だよ」
ヴェレニーチェはブルーノの訴えを歯牙にもかけず、手を差し出してきた。
ブルーノはその手に、エレナの手紙を渡す。
「エレナは本当に──何も見ていないのかい?」
「……はい。エレナ様にはあの後何度も確認しましたが答えは同じでした。声が聞こえて森に入ったが、何の姿も見つからなかった、と。……声とは、アルフレード様の声なんでしょうか?」
「だろうね。エレナはアルフレードの魔力を持ってる。だから聞こえたんだろうさ。坊やの泣き声が」
「……また来ます」
そう言ってブルーノが立ち去ろうとすると、ヴェレニーチェが言った。
「私は坊やのことを秘密にするって契約を交わしているから、坊やの事をエレナには話せない。だけど、お前達は早くあの子に全てを話すべきだ。それが結局、全員のためになる」
「……アルフレード様は、時間が欲しいと仰った」
「いいや」
ヴェレニーチェが強い眼差しでブルーノを見る。
「絶対に、早く話しな。それで上手くいく。全てがね」
「それは……どういう事ですか」
「これ以上は教えられない。私は秘密を守る女だからね。女にも秘密はある。さあ、話は終わり。ほら、もうないだろ。新しいのを持って行きな」
怪訝な顔をしているブルーノに、ヴェレニーチェが魔石を放り投げた。
「お前の魔力だけでは転移できんからな。必要だろう。アルフレードの竜の魔力が」
手の中で血の色に輝く魔石。
ブルーノはそれを恨めしげに一瞥し、暗い小部屋に戻ると、再び強烈な痛みに耐え、アルジェントの城へと転移した。




