第2話 不人気令嬢の決意表明
「いっそ清々しいです」
『王族の婚約者候補』という名誉な肩書きがあるにも関わらず、ここまで人気のない令嬢なんて前代未聞だろう。
肩をすくめ眉を下げるエレナに、オルフィオとイザヴェラは慌てて返す。
「エレナ、そんなことはない。きっと……ちょっと声をかけられない事情が男性達にあるだけで……」
「そうよ、優しくて努力家で……あなたのことを知って好きにならない人なんていないわ!」
2人のあまりに真剣な様子に、エレナは思わず笑った。
「もう、オルフィオ様とイザヴェラ様は本当に私に甘いのですから」
自分の評価は、わかっているつもりだ。
ゆるくウェーブした栗色の髪、丸みを帯びた新緑の瞳で、よく言えば優しげな面差し。
悪く言えば、地味。
背は高くも低くもなく、スタイルも標準。
本を読んだり調べることは好きだが、学生だった頃の成績はいつも真ん中あたり。
運動能力も平均的。
『平凡』という言葉が1番しっくりくる。
魔術はどうだろう。
繊細な魔力操作は、あまり得意ではない。
国中に魔道具が普及しているし、貴族令嬢の普段の生活にわざわざ魔術は必要ではないが、基本の生活魔術は特に苦手で、使えるなんてレベルではない。
では家格はどうか。
家は侯爵家で、父は騎士団長だ。
だが、侯爵令嬢と言えば聞こえは良いが、家督は7つ年上の兄が継ぐと決まっている。
両親は優しいが、本質は厳しい実力主義者で、無条件で結婚後の自分や結婚相手の後ろ盾になる人達でもない。
侯爵家や騎士団長という立場は、あくまで家族のものであって、エレナのものではない。
それなら…。
と、別の条件を挙げようとしたが、そこでエレナは思考を止めた。
没落寸前だとか、家庭不和とか、美醜や健康や、何か大きな問題があるわけではない。
だが、同じような条件で良ければ、エレナの他にも素敵な令嬢はたくさんいる。
『王族の婚約者候補』という箔でさえ意味がない状態だ。
つまりは、エレナ自身を好きになってもらわなければ、選ばれないということだろう。
「待っているだけでは駄目だ、と思って声をかけたりもしてみたんです。恋愛は無理だとしても、せめて友人になれたらと」
エレナはため息を吐いた。
同性の友人はたくさんいる。
他の婚約者候補の令嬢達とも、平和的に仲良く過ごすことができた。
しかし、友人と呼べるほど親しい関係を築けた異性はいなかった。
最初は、楽しく会話ができるのだ。
だが、数日経つと何故か男性側がよそよそしくなり、距離ができてしまう。
学生最後の卒業パーティーも、成人を祝うデピュタントも、エスコートが必要な時はいつも父か兄。
せっかく夜会に参加できる年齢になったのに、家族とオルフィオ以外からダンスに誘われることも、ついぞなかった。
「これはもう、お手上げです」
待っていても駄目。
自分から動いても上手くいかない。
「ですので私、決めたんです」
エレナは瞳に熱をこめ、宣言した。
「結婚は諦め、仕事に生きます!」
選ばれない日々を何年も経て、エレナは決心していた。
女性の社会進出が進み、独り身で学問や研究に打ち込み、認められている者もいる。
平凡な自分ではあるが、城で学び、長い時間をオルフィオやイザヴェラと過ごしてきた。
王城での勉強中には、半ば強制的に魔術塔で師の研究の手伝いをさせられていたし、成人前に取得できる王城文官見習いの資格も持っている。
だからこれからは、本試験を受け正式な文官になり、全力で大好きな2人のお側で生涯懸命に働こう、とエレナは決意していたのだ。
だが、どうしてだろうか。
そのことを嬉々として説明すると、オルフィオとイザヴェラはみるみるうちに青ざめていく。
「結婚を、諦める……。エレナ、君の今の状況には、本当に申し訳ないと思っている」
「ごめんなさい、エレナ。でも私達にはどうすることもできなくて──」
「え、いえ、お二人のせいではございません。これは私自身の問題で……」
「いや、違う! そうではないんだ」
オルフィオに強く言葉を遮られ、エレナは目を見開いた。
困ったように眉を下げたイザヴェラが、そっと王子の腕に手を添え首を横に振る。
それを見てオルフィオは天を仰ぎ、目を固く瞑ると、長く息を吐いて片手で顔を覆った。
「……私から詳しくは話せないのだが、本当に、今の状況はエレナのせいではないんだ」
2人の様子に、エレナは困惑した。
「私のせいでは、ない?」
「それから、私達の側で働くというのも、難しいんだ」
「え?」
「君には、西方辺境伯領アルジェントへ行ってもらいたい」
次々と投げられるオルフィオからの言葉に、エレナは理解が追いつかない。
頭の中は真っ白だ。
西方辺境伯領アルジェント。
ここ王都から遠く離れ、深い森、高い山に囲まれた自然豊かな土地。
馬車で片道20日ほどはかかる距離だ。
広大な森には、古からの大型魔獣も多く生息し、さらにその森の先には隣国、好戦的な異教の宗教国家がある。
人とも魔獣とも、戦が絶えない土地だ。
エレナはまだ会ったことがないが、その土地を治める『氷の辺境伯』も社交界で有名だ。
2年前、21歳という若さで爵位を継いだ、氷魔法を得意とする辺境伯。
恐ろしい程の美貌で注目を集める反面、人間嫌いで、冷酷非道との噂だった。
「私が……王都を離れ、西に?」
エレナの手は、微かに震えていた。
鼓動も速さを増し、ジワリと汗が滲む。
「ああ。急な話で困惑すると思うが、実は……」
オルフィオの言葉は、そこで途切れた。
彼の視線の先には、額に汗を滲ませ、焦った様子の王宮侍女長と近衛騎士が早足で近づいてきている。
その顔は顔面蒼白という言葉がぴったりなほど、血の気が引いており、近衛騎士は側に控えていたオルフィオの従者に何やら囁くと、震える手で彼に手紙を差し出した。
一瞬表情を曇らせた従者がオルフィオに手紙を差し出すと、王子は「やはりな」とため息を吐いた。
オルフィオが眉根を寄せ手紙を読む間、エレナの頭の中は、その王子の様子よりも突然のアルジェント行きの件でいっぱいになっていた。
エレナはドクドクと脈打つ胸を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐いて思考を巡らせた。
長い間婚約者候補だった自分が、これからも2人の側にパートナーも無くずっといる、というのは、改めて考えてみると外聞が悪そうだ。
婚約が決定した今、自分が近くをウロウロしていては、流石にお邪魔虫だろう。
自分とオルフィオの仲を疑う者も出てくるかもしれない。
優しいオルフィオとイザヴェラのことだから、きっとそんな噂から自分を守るため、遠くへやるつもりなのだろう。
西方辺境伯領は魔獣や隣国の脅威があるため、治めることが難しい土地で、王城からの派遣辞令に難色を示す者も多く、人材が常に不足しているとも聞く。
自分には城で学んだ知識、実務経験もあるため、本試験後に文官として派遣されるということではないか。
うん、そうだわ。
それならば、遠く離れても2人のために頑張って働きたい。
それに、私には──。
遠のいていたエレナの意識は、クシャリと握られた手紙の音で引き戻された。
見ると、手紙を握り締め、肩を落としたオルフィオがため息を吐く。
「あいつめ……少しは待てないのか」
どうしたのだろう、と見つめるエレナに、オルフィオは心底疲れたという様子で言った。
「すまない、エレナ。今すぐ侯爵家へ戻ってくれ。」
「今すぐですか?」
何か、家族に大変なことが起きたのか。
心配に胸がざわついだが、それは王子が否定してくれた。
「できるだけ早くでお願いしたい。アルジェント行きについては、申し訳ないが覆せない。父から君に改めて直接話す予定だったんだけれど……この様子では無理かもしれないな」
後半は独り言のように、オルフィオはテーブルに放り投げられた手紙を見つめ、ため息を溢しながらエレナに軽く手を振った。
「今後について、詳しいことは君の父と、それから本人に聞いてくれ」
そうしてエレナは、王宮侍女長に急かされ庭を後にし、頭に大量の疑問符を浮かべたまま、侯爵家へ戻る馬車に乗り込んだ。
西方辺境伯領アルジェント行きの話に、密かに深緑の瞳を輝かせて。