第19話 ようやく掴んだ希望の光(従者ブルーノ視点)
「遅かったな」
ブルーノが部屋に入ると、月明かりが差し込むソファで横になったまま、アルフレードは開口一番に言った。
上空で目の前にいた主人達が飛竜ごと忽然と消えた後、必死に追いかけ、ブルーノが屋敷に到着したのがたった今。
アルフレードとエレナが街歩きに行った日の深夜だった。
「仕方ないでしょう。私とクララの飛竜はファルほど速く飛べませんし、『街の周りを掃除してから来い』って伝言寄越したのはアルフレード様じゃないですか」
アルフレードが消えてすぐ、ブルーノの元へ伝達魔術の氷が飛んできた。
そもそもエレナの護衛はファルとアルフレードがいれば何も問題ない。
それに、エレナはアルフレードの尋常ではない量の魔力が込められた指輪を嵌めている。
エレナを迎えに行く数日前、アルフレードが準備している指輪を見てブルーノは戦慄した。
「え、ちょ、それ防御魔術組み込んでません? あれ、私の目がおかしいんですかね? 今追加で攻撃魔術の陣も吸い込まれたような」
「エレナを守る手段はいくつあっても良いからな」
話している間も、アルフレードは涼しい顔のままどんどん指輪に魔力を注ぎ込んで行く。
「でもそれ、発動したら国滅びますよね?」
「エレナが守れるならそれでいい。攻撃魔術は相手の魔術をそのまま撃ち返すようにしかしていないし、自動で発動するのは防御魔術だけだから可愛いものだ」
「可愛いかなー。譲渡許可は取ってあるんですよね?」
「当然だろう。受領確認書も義兄上が手配している。婚約者や家族に贈る『守護のための譲渡』だよ。前と同じ、正当な理由として許可が降りたさ」
ブルーノは知っている。
アルフレードは『守護のための譲渡』を、過去に二回経験していることを。
一度は、幼い頃にエレナへ勝手に魔力を譲渡した際の申請書に記入した。
そしてもう一度は──。
表情を変えずその事に触れる主人に、ブルーノはそれ以上何も言えず口を噤んだ。
「お前ならもう少し早く戻るかと思っていたんだが。──しくじったのか?」
主人の言葉に、ブルーノは肩を竦める。
街の掃除はすぐに終わらせた。
アルフレードとエレナの時間を邪魔する刺客や諜者は暫く湧いてこないはずだ。
「まさか。クララを宥めるのに手間取ったせいですよ。全速力でエレナ様を追いかけるって聞かなくて。殺さずに戦うって難しいんですよね」
「クララは殺すなよ。エレナが悲しむ」
「わかっていますよ。兄君にも言われていますしね。それにしても──」
そこまで言うと、神妙な顔をしていたブルーノは耐えきれないとばかりに笑った。
「ずいぶんと楽しかったようですね」
会話の内容だけを聞けば、普段通りの冷酷で人間嫌いの氷の辺境伯様だ。
だが、月に照らされたその顔は、あたたかく慈愛に満ちた瞳で柔らかく微笑んでいる。
仰向けで横たわるアルフレードの視線の先にあるのは、光にかざすように顔の上に掲げられた、優しい栗色の組み紐。
「今日、死んでもいい」
「いや、嘘付かないで下さいよ。エレナ様が生きてる間は絶対死ぬ気ないでしょ」
軽口を叩きながらも、ブルーノは嬉しさが込み上げ、口元がニヤつくのを抑えられなかった。
(やっとだ)
呪いがアルフレードを蝕んで以来、初めて見る主人の幸せそうな顔に、ブルーノは浮かんでくるこれまでの苦労の日々が、まるで懐かしくさえ思えた。
(もし時が戻せるのなら……八歳の頃の小さなアルフレード様に、この未来を教えて差し上げたい)
──目を閉じれば、全てが鮮明に思い起こされる。
十五年前の太陽祭の日。
瞬く星空の下、たくさんの灯りが賑わう人々を照らし、音楽が流れ、ブルーノの前を走るのは、両親の手を引き瞳を輝かせていた黒髪の小さなアルフレード。
「こらアルフレード、そう急ぐと危ないぞ」
「父上、早くしないと挨拶に間に合いませんよ」
「あなたが剣舞を見に行きたいだけでしょう」
「母上、よくお分かりになりましたね。だって今年はミアとアデットも出るんですよ?」
はしゃぐ我が子を見て笑う夫妻。
利発で明るく皆に将来を期待されたアルフレード。
その様子を微笑ましく見守る領民達。
平和で、輝いていて、全てが完璧だった。
──その瞬間までは。
「あ、見て。飛竜だ」
「──何?」
怪訝な顔で、辺境伯が空を見上げた時──。
「──アルフレード様!!」
上を見上げ、空を指差したアルフレードの幼い横顔を、無力だった己の叫ぶ声を、ブルーノは一瞬も忘れたことはない。
その瞬間から、幸せだったモンテヴェルディ家は全てが変わってしまった。
最初の五年は本当に地獄だった。
苦しみに叫び続ける小さな主人を、何とか生かし続けるだけで精一杯だった。
皆で様々な文献を漁り必死に調べ尽くしたが、良い方法が見つからない。
隣国や呪いを知る一部の貴族達から送られてくる刺客は、ジョゼフ等と共に何人葬ったかさえわからなくなっていた。
希望の光が見えたのは、十年前。
ブルーノが十五歳、アルフレードが十三歳になり、例の如く魔術師長に呼び出された日。
「ブルーノ。手に入れたいものができたんだ。力を貸して」
銀に揺らめくアルフレードの瞳は、失われていた熱を孕んでいた。
(あの何の希望もない最初の五年に比べたら、侯爵閣下やオルフィオ殿下とやり合う十年の日々の、何と楽しかったことか)
ブルーノは目を細め、別人のように柔らかな空気をまとい寛ぐアルフレードを眺めた。
(エレナ様は……やはり希望の光だ)
アルフレードに命を吹き込むのも、幸せを与えるのも、きっかけはいつもエレナ・スフォルツィアだった。
主人がこの世で唯一求めてやまない彼女は、アルフレードの手を取り、ついにこの屋敷の中に連れられて来た。
(アルフレード様の全てを知っても、彼女ならば──)
ジョゼフ等の話を聞く限り、アルフレードとエレナの関係は悪くない。
呪いについて打ち明けるのを躊躇う主人には悪いが、こうも幸せそうなアルフレードの顔を見てしまっては、ブルーノがその先を急いてしまうのも仕方ないことだった。
「アルフレード様。それをお見せになってみては?」
躊躇いながらも言ったブルーノの言葉に、アルフレードの表情が消える。
(しまった)
ブルーノがそう思った瞬間には、もう遅かった。
柔らかかった空気は一気に霧散した。
組み紐を胸に下ろし、ゆっくりと月光にかざされたアルフレードの手に、手袋はない。
光なくじっとそれを見つめるアルフレードの瞳とは反対に、その手は光を反射し輝く白色の鱗に覆われていた。
「……もう少しだけでいい。もう少しだけ、俺はエレナに人間として見られたい」
「……アルフレード様は人間です」
「それを決めるのはお前じゃない。エレナだ」
アルフレードはひんやりと冷たく固い手で目元を覆うと、ため息を吐いた。
「もう下がれ。明日からはお前もエレナの護衛に加わるように」
「……かしこまりました」
静かに扉を閉め、ブルーノは自分の失言に盛大にため息を吐いた。
(あまりにもお幸せそうで、つい調子に乗って急いてしまった……)
項垂れながら階段を降りると、階下にジョゼフと料理長が待ち伏せていた。
「お帰りなさい、ブルーノ。美味しいお酒はいかがですか?」
「お前がいない間のお二人の話、聞きたいだろ?」
「この人、食材の買い出しがーとか言い訳して、街について行っていたんですよ?」
「ミアとアデットだけじゃ心配だからな。護衛はいくらいてもいいだろう」
二人の顔を見て、ブルーノはふっと肩の力を抜いた。
「──ノックスが一緒にいたなら、守りは完璧だったでしょうね」
幼い頃からアルフレードとブルーノに勉強を教えてくれたのはジョゼフだし、料理長ノックスは今でこそブルーノに勝ちを譲るが、戦闘技術の師範だ。
長く暗い地獄の日々を共に歩んできた二人が、目の前で穏やかに笑っている。
その事実に、ブルーノは気持ちを上向きにした。
(アルフレード様は悩んでいらっしゃるが──それでも確かに、前に進んでいる)
希望の光は手に入った。
ゆっくりではあるだろうが、後はその光を守り、アルフレードを包んでくれるのを見守る他ない。
(そうだ。急ぎすぎてはいけない。絶対に彼女に、アルフレード様を救って貰わなければいけないのだから)
ブルーノは深呼吸をすると、ジョゼフとノックスの肩を掴み、同じように笑ってみせた。
「さあ、今日は徹夜で聞かせてもらいましょうか。我らの希望の光の話を」




