第17話 デートのお誘い
「君がよければ……明日は一緒に街へ行かないか」
夕食の席で、アルフレードが突然、そう切り出した。
「街……ですか?」
彼の希望で、直前までエレナの幼少期から学生生活、侯爵家での日々のことを話していたため、唐突な話題変更にエレナはきょとんとした。
「その……アルジェントを案内できれば、と思ったんだが……疲れているようなら、また別の日でも構わない」
少し目を伏せ、食事を続けようとするアルフレードに、エレナはパッと顔を輝かせて言った。
「いえ、是非行きたいです!」
「そ、うか……では朝食の後、馬車で向かおう。小国だった頃の文化が色濃く残っているから、少し驚くかもしれない」
「アルジェントの事を早く知りたかったので、楽しみです!」
ほっとしたようにアルフレードが表情を緩め、同時にエレナは異文化が残る初めての街の散策に心躍らせた。
壁際でニコニコと微笑みながら「うん、うん」と頷くジョゼフを、アルフレードが睨む。
勇気を振り絞って誘ったアルフレードの耳が、緊張と喜びで赤くなっていることに、エレナは気づかなかった。
ゆっくり屋敷の中を案内して貰った後、疲れているだろうからと早めに部屋に戻り休むことになった。
「クララとブルーノには緊急連絡を送っておいたから安心していい。クララ以外の侍女は、ミアとアデットで問題ないだろうか」
「はい。素敵な侍女を二人もお付け下さって、ありがとうございます。歓迎して貰えたようで安心しました」
「相手が君なら、誰だって歓迎する」
「そうだと嬉しいです」
談笑しながら廊下を歩く。
部屋の前に到着すると、アルフレードが扉を開けてくれた。
エレナが一歩部屋に入り、アルフレードにくるりと体を向けると、就寝前の挨拶をして微笑んだ。
「明日、楽しみにしていますね」
「ああ、私も」
すると、アルフレードは徐ろにエレナの髪を一房掬い取り、吸い寄せられるように、ほんの微かに触れる程度の優しいキスを、髪先に落とした。
長いまつ毛が影を落とし、耳に掛かっていた薄灰色の髪が、さらりとアルフレードの頬にこぼれ落ちる。
劇の一幕のような麗しい姿。
見惚れていたエレナに、ゆっくりとアルフレードの視線が向けられる。
パチリと目が合うと、深い海色の瞳が甘く細められ、はにかむようにふわりと笑んだ。
「いい夢を」
ぼっと一気に赤くなったエレナを残し、パタン……と静かに扉が閉められる。
部屋で一人きりになった彼女は、へたりとその場に座り込むしかなかった。
(はあ……アルフレード様はご自分の破壊力をご存知ないんだわ。変に意識してご迷惑をおかけしないように、早く慣れなきゃ……)
エレナは決意を新たに、眠りについた。
◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。
「アルフレード様には、お支度が完成してからお会いしましょう!」
「目一杯、おしゃれして驚かせましょう!」
ミアとアデットに言われ一人で軽い朝食を済ませたエレナは、立ち上がると同時に、やる気に満ちた二人に風のような速さで部屋へ連行された。
「さあ、エレナ様! お好きなお洋服をお選び下さいね」
「昨日は衣装部屋まではご案内できませんでしたからね。さあ、こちらへ」
小柄で愛嬌のあるミアと、おっとりとした雰囲気のアデット。
二人は部屋の奥へエレナを連れて行くと、花模様が繊細に彫られた大きな扉を開いた。
大きめのクローゼットの扉だと思っていたそれは、広々とした部屋へ続く扉だった。
「──え?この衣装……」
「はい! もちろん、全てエレナ様のものですよ!」
「入りきらなかったので、夜会用のドレスや礼装などは別のお部屋に」
壁一面にぐるりと一周、色とりどりのワンピースやドレスがぎっしりとハンガーに掛けられ並んでいる。
この部屋一つで店が開けそうだ。
どの服を手に取ってみても、どれもがエレナの好みにぴったりだった。
どれにするか悩んでいたが、エレナはその中の1着に目がとまった。
手に取ったのは、ふんわりと広がるミモレ丈のワンピース。
上部の白から裾にいくにつれて深い青色へ変わっていくグラデーションは、揺れる度に水面が揺れているようで美しい。
襟元と袖口には金糸で細かな刺繍が施され、金ボタンには羽根模様が彫られていた。
(この羽根……フーの羽根にそっくりだわ)
エレナは知らぬ間に、そのワンピースを見て微笑んでいたらしい。
ミアとアデットに全力で「それにしましょう」とお勧めされ、着て行く服が決まった。
「アルフレード様の瞳の色のワンピースですね」
「デートにぴったりだと思います!」
丁寧に髪を編んでいくミアと、真剣に化粧をしているアデットの言葉に、エレナはギョッとした。
「デートだなんて……! アルフレード様は領地の街を案内して下さるだけで……」
「え!? エレナ様、それを世間ではデートって言うんですよ!?」
「あ……まさか、純粋な視察だと思ってらしたのですか?」
「そ、その……」
エレナはつい先日までオルフィオの婚約者候補で、男性の友人はいない。
オルフィオと外出する時は、もちろんイザヴェラや他の令嬢も一緒だ。
男性が「街へ行こう」と言うのは、つまり「視察に行こう」と同義だと思っていた。
恥ずかしそうにしているエレナの話を聞いて、ミアがゴクリと喉を鳴らした。
「それはつまり……今日がエレナ様の人生、初のデート……!!」
「まあでも、そうですよね。他の男性とデートなんて、アルフレード様がお許しになるはずないですもの」
「──? どういうこと?」
「「いいえ、何でもありません」」
声を揃えたミアとアデットは、それから物凄い速さで手を動かし、あっという間に支度を完了させた。
「──完璧、です」
「最高ですね」
「そうね……自分じゃないみたいだわ」
鏡越しに拍手する二人を視界の端に捉えながら、エレナはそこに映る自分の姿に感動した。
髪はハーフアップに纏められ、ワンピースと同じ濃い青色のリボンが、サイドの髪と一緒に編み込まれていて可愛らしい。
下ろしている後ろ部分の髪がゆったりと波打ち、可憐で上品な仕上がりだ。
肌は普段よりも艶やかに透き通っていて、頬はほんのり薔薇色に色付いている。
目元も普段よりパッチリと大きく見えた。
エレナは笑顔で振り返った。
「二人とも、ありがとう。とっても素敵!!」
「う……エレナ様、その笑顔はアルフレード様にとっておきましょう」
「そうですね。そろそろ良いお時間ですし、玄関に参りましょう」
二人に急かされ玄関ホールに向かうと、すでにアルフレードが待っていた。
スラックスにシャツを合わせるだけのラフな格好にも関わらず、その佇まいは輝いて見える。
その上には大きなフードのついた、丈の長い薄手の街頭を羽織っていた。
「お待たせ致しました!」
「──っ!」
急いで階段を降りて目の前に立つと、アルフレードが目を見開いて固まった。
彼は微動だにせず、エレナを見つめている。
暫しの沈黙が流れ、じっと見られていることに耐えきれなくなったエレナは、おずおずと小声で尋ねた。
「……ご用意頂いたワンピースを着てみたんですが……いかがでしょうか?」
顔を上げてアルフレードを見ると、彼は片手で顔を覆って俯いていた。
エレナは眉を寄せると、思わず一歩後ろに下がる。
「あの、お気に召さないようでしたら、着替え──」
「違う!」
慌てたエレナを引き止めるように、アルフレードが彼女の手をとった。
ようやく見えた彼の顔は、僅かに赤い。
「違うんだ。その……あー……あまりにも可愛くて──見惚れてしまっていた」
エレナの手を握ったまま、照れたように斜め下に視線を向けるアルフレード。
その様子に、何故かエレナも恥ずかしくなりじわーと熱が上がる。
「あ……ありがとうございます。アルフレード様も、素敵……です」
「君にそう言って貰えて……本当に嬉しいよ」
アルフレードは暫くエレナを見つめていたが、はあーと大きく息を吐くと、一度手を離した。
そうしてもう一度、今度はエスコートの形に手を差し出すと、ふわりと微笑んだ。
「それじゃあ、出かけようか」
エレナはアルフレードに優しく手を引かれ、馬車へと乗り込んだ。
デート編にするつもりが、出発前でもだもだしすぎて次回に持ち越してしまいました(^_^;)




