第16話 人生最良の日(家令ジョゼフ視点)
それは午後のお茶の時間を少し過ぎた頃。
主人であるアルフレード達が帰還した時のために、ジョゼフが侍女のミア、アデット、料理長を合わせた4人で、3階に決めたエレナの部屋で、彼女の好みの最終確認をしていた時だった。
「これは……!」
たくさんの氷の結晶が、風と共に窓から入り込むと、ジョゼフの周囲をくるくると旋回し始めたのだ。
(アルフレード様からの緊急連絡だ!)
そう思うと同時に、ジョゼフは呪文を唱え、手のひらの上に小さな火球を作った。
すると、そこにどんどん結晶が飛び込んでいく。
最後の一粒が火球に触れた瞬間、火球は風船が割れるようにパンッと音を立てて霧散し、キラキラと輝く氷の粒でできた文字に変わった。
『 転移にて帰還 西の森 竜舎 』
細かく光を反射させながら宙に浮く文字を見て、ジョゼフはサッと顔を青ざめさせた。
「ミア、アデット」
「「はい!」」
ジョゼフが名を呼ぶより早く、二人は勢いよく窓から飛び出し、風のような速度で屋根や木々の上を飛び渡り西の森へ向かった。
「転移ってどういうことだ? 襲撃にでもあったのか!?」
「わかりません。援護要請の信号は来ていないので、ご無事だとは思いますが……」
だが、届いた内容が不審すぎる。
主人の到着は4日後だったはずだ。
わざわざ、どうやってか転移したと言うことは、大変な事情があるはず。
もしや隣国からの襲撃?
いや、侯爵閣下が土壇場で邪魔しに来た可能性もある。
それとも──。
「考えても仕方ありません。彼女達からの連絡を、ひとまず待ちましょう」
ジョゼフと料理長は、不安な表情で窓の外を見つめ待ち続けた。
竜舎の上空あたりを見つめていると、応援要請の信号魔術が微かに光った。
「なっ──!!」
「アルフレード様!!」
二人は部屋を飛び出すと、一気に階段を駆け下り武器を掴んで森へ走りだした。
「全員、直ちに緊急配置で竜舎へ向かえ!! 今すぐだ!! 今すぐアルフレード様のもとへ!!」
顔面蒼白で叫ぶジョゼフを追いかけ、武器や回復薬を抱え、そこかしこから屋敷で働く者達が飛び出してきた。
屋敷にいるのは、全員で10人にも満たない。
アルフレードの呪いを隠すため、彼が幼い頃から人数は最小限だ。
主人の全ての真実を知っても、忠誠を誓える者。
人間を遠ざけるアルフレードが、側に置いてもいいと認めた者だけが、この屋敷で主人を見守り続けてきた。
「ジョゼフ様! 何事ですか!?」
駆けつけた者達も共に走りながら、血の気の引いた顔で尋ねてくる。
「わからん!! 万が一に備え、三名は攻撃魔術展開準備へ!! 二名は守護魔術の展開準備!!」
指示を飛ばしながら必死に駆け抜ける。
もう竜舎は目の前だ、という所で、行手を塞ぐように先行したミアとアデットが立っていた。
「ジョゼフ様……あ、アルフレード様が……」
二人は顔をぐしゃぐしゃにし、大粒の涙を流しながら小声で何か言おうとしている。
ジョゼフは目の前が真っ暗になった。
不安が一気に確信に変わる。
「アルフレード様!!」
スラリと剣を抜き再び走り出そうとした瞬間、ミアとアデットに両側から掴まれた。
「しーーーーーーーー!!!!!」
泣きながら静かにしろと訴えられ、ジョゼフ達は困惑した。
「違うんです、ジョゼフ様! アルフレード様が……アルフレード様が、笑ってるんです!!」
全員がそれぞれ気配を消し、息を潜めて木々の上や影の中に隠れ、主人が竜舎から出て来るのを待った。
「──っ!!」
出てきたアルフレードの様子に、全員が瞠目した。
「本当だ……本当に、笑ってらっしゃる……!!」
目の前を通り過ぎていくのは、柔らかく、優しげな瞳を細め、心の底から幸せそうに微笑むアルフレード。
貴族的に口角を上げ、微笑みの形を作ることはある。
だが、あんなにも幸せそうな主人の顔は、ジョゼフはもちろん屋敷の者全員、15年前の太陽祭の日から一度も見たことがない。
呪いは、幼いアルフレードから希望も、愛も、笑顔も、安らかな眠りの時間さえも奪っていった。
苦痛と孤独を抱え、屍のように生きる小さな主人が、10年前に見つけた希望の光。
それがエレナ・スフォルツィアだった。
彼女を手に入れるため、アルフレードがどれだけ努力し戦ってきたかを、屋敷の全員が知っている。
どれだけ彼女を求め続けていたかを、知っている。
それがどうだ。
今ジョゼフの目の前では、アルフレードとエレナがしっかりと手を取り、微笑みあっている。
エレナの瞳には親愛が滲んでいるし、アルフレードは花開くように笑っている。
それは、全員が夢にまで見た、幻のように幸せな光景だった。
「うぅ……エレナ様……ありがとうございます……!!」
感謝しながら、音も立てずに急いで屋敷へ戻る。
途中で合流する誰もが、泣いていた。
初めて挨拶するエレナに、アルフレードのためにも絶対失礼を働くわけにはいかない。
大急ぎで出迎えの準備を済ませ、玄関前に整列する。
だが、遠くの庭でラールの花に囲まれた二人を視界に捉えると、ジョゼフの涙腺は我慢の限界を迎えた。
部屋に案内したエレナをミアとアデットに託し、扉を閉めるとすぐさまアルフレードに睨まれた。
「お前達、本当に何をやっているんだ」
普段なら「申し訳ありません」と反省を示す所だ。
だがこの日は違う。
こんなに明日が、その先が楽しみで心が躍る日が、他にあっただろうか。
ジョゼフはシワを深くしニッコリと微笑むと、涙ぐんだままの目元で言った。
「人生最良の日を、心に刻んでおりました!」
ため息を吐いた主人の顔が、嬉しそうなのは気のせいではないだろう。
明日からもずっと、最良の日は更新されていく。
ジョゼフはそう、確信した。




