第13話 その抱擁は、初めてか再びか(後半アルフレード視点)
「ここがアルジェントって……どういうことですか?」
事態を飲み込めていないエレナを落ち着かせるように、未だ手綱を握りしめたままだった彼女の手に、アルフレードがそっと手を重ねた。
刺繍の美しい手袋の感触が柔らかくあたたかい。
エレナ指先は思っていたよりも冷えていた。
「説明する前に、ひとまず降りよう」
ふわりと抱えられ地上に降り立つと、アルフレードが外したマントを草地に広げ、そこにエレナを座らせてくれた。
目を輝かせソワソワしながらエレナのそばを彷徨くファルを、アルフレードは厳しい口調で一瞥した。
「ファル」
底冷えするような声で呼ばれ、ファルは叱られる事を察知したらしい。
しょんぼりと項垂れ、そのままエレナの周囲を包むように尾を丸くし、ズズンと地を揺らして伏せをする。
アルフレードはエレナの前に跪くと、眉を寄せ不安げな表情で、改めてエレナの顔色を確認した。
「問題なさそうには見えるけれど、心配だからこの回復薬を飲んでほしい。全部が無理なら半分だけでもいい」
アルフレードが腰に下げた小瓶の中から、薄紫色の液体が入った一本をエレナに渡す。
顔色の悪いアルフレードが心から心配しているのが伝わったため、エレナはそれを素直に受け取ることにした。
初めて見る色の回復薬だった。
こくりと飲んでみると、一瞬の苦味の後、口の中に微かに甘さが広がる。
「わ……普通の回復薬より美味しいです。ありがとうございます」
「そうか……よかった」
アルフレードはホッと息をつくと、深かった眉間の皺を和らげた。
彼はエレナが全部飲み終わるのを見守ってから、申し訳なさそうにおずおずと口を開いた。
「──エレナ。先程も伝えたが、今いるここは、アルジェント領の西側の国境に広がる森で、産卵に向けてサーリャを一時的に隔離するための場所なんだ。そこまではいいかな?」
エレナは先を促すようにコクリと頷いた。
「それで、何故こんなことになっているかだが……ファルが、いきなり私達ごと魔法で転移したんだ──君の魔力を使って」
エレナは目を丸くした。
人間と同じように、魔獣も魔術が使える。
だがそれは、呼吸することと同じように、勉強するでもなく生まれながらに使えるもののため、人が使う『魔術』とは区別し『魔法』と呼ばれている。
ワイバーンは風魔法、ケルビーは水魔法というように、それぞれに使用できる魔法に偏りがあり、魔法の威力や高度さは魔力量によって異なる。
だが、竜種が転移できるなんて知らなかったし、まさかエレナ自身が一緒に体験するとは思ってもいなかった。
「あの巨体でここまでの長距離を転移しようとすれば、回復に三日はかかる程の魔力が必要なんだ。飛んだ方が楽だし、普通はやらない。だが、今回は君がいた」
「私……ですか?」」
首を傾げるエレナに対し、アルフレードは一層眉を下げた。
「恐らく君がサーリャに『早く会いたい』と言ったのが余程嬉しかったんだろう。君の豊富な魔力を肌で感じて……魔力を分けて貰えれば可能だと思いついたようだ。そして、実行した」
「なるほど……早く奥さんを自慢したかったんですね」
ファルの純粋なウキウキが理解できて、エレナは苦笑した。
「だが……一気に魔力を奪ったせいで、君に負担をかけてしまった。こうなる可能性を予測できなかった私のせいだ。本当にすまない。主人失格だ」
ファルがしょんぼりしたまま《クゥーーン》とエレナの肩に鼻を擦り寄せるのと同時に、アルフレードが深く頭を下げた。
エレナは慌てて、アルフレードに手を伸ばそうと前かがみになった。
ファルの鼻が分厚い外套の裾に乗っていると気付かずに。
「ア、アルフレード様、私は全然問題ないですので、顔をお上げください──っあ!」」
「危ない!」
バランスを崩したエレナをアルフレードが咄嗟に抱き止める。
背中にふんわりと彼の体温を感じた空の旅とは違う。
旅装の上からでもわかる鍛えられたアルフレードの胸の中は、深い森のような香りがして、背中に回された腕は心なしか熱い。
向かい合わせでしっかりと抱きしめ合う形になり、エレナの顔は一瞬で茹で上がった。
「すすす、すみません!」
すぐに離れようとアルフレードの胸を軽く押したが、回された腕はガッチリと固まって緩まる気配がない。
「あの……アルフレード様?」
そのまま暫く動かない彼を不審に思い、顔を見ようと上を向くと、抱きしめた状態のままアルフレードに片手でそっと視界を遮られた。
「すまない……その……目に砂が入ってしまって──暫く……このままでいて貰えないだろうか」
微かに声が震えている。
(え……もしかして、泣く程痛いのかしら?)
心配したエレナは、抱きしめられている羞恥心は気合いで封じ込め、アルフレードに開放されるのを大人しく待つことにし、心の中で叫んだ。
(ううう……心臓が爆発しそう!!)
───【side アルフレード─】──────
腕の中にエレナがいる。
十年間、毎日毎日、夢にまで求めた彼女が。
城で初めて出会ったあの日。
呪いを制御できず、ただ燃えて朽ちていくだけだった俺の前に現れた金色の光。
幼い彼女を一目見た瞬間、死を望みすぎた俺の元へついに神が迎えに来たのかと思った。
だが違った。
それは幼いエレナだった。
彼女の魔力は陽だまりのように暖かく、優しく、キラキラ輝いていて眩しかった。
隣にいるだけで呪いの苦しさがなくなり、溢れ続ける美しい魔力は、俺を抱きしめるように包んでくれた。
俺は泣かないようにするだけで精一杯だった。
エレナの話に、相槌すら碌に打てない程に。
それでも彼女は楽しそうに微笑んでくれていた。
そして言ったんだ。
「きれい」と。
俺を見て「きれい」だと。
呪われた俺にそんな言葉をかける者などいなかった。
「化け物」「悍ましい」「可哀想に」「怪物」「恐ろしい」
恐怖、嫌悪、絶望、同情、好奇、拒絶──。
どれだけ取り繕っても俺に隠すことはできない。
どいつもこいつも、その魔力は濁っている。
絶望の子供時代を耐え、呪いを制御するにつれ、他人の魔力にも鈍感になれた。
貴族の仮面だって何枚も被れるようになった。
侯爵に認められるまで何度も死にかけた。
エレナを怖がらせないよう必死に『普通』を装って婚約も受け入れて貰えた。
少しずつ近付ければ良かったんだ。
一年かけて、怖がらせないように、本当に少しずつ。
ファルがエレナを気にいるのは当然だ。
俺と同じ景色が、魔力が見えているんだから。
屋敷で再会し、この手を取ってくれた時。
空の上で、俺に背を預けてくれた時。
ファルから降りる際、魔力の不足した彼女を心配で抱き抱えた時でさえ、俺は『普通』を装えていた。
安心していたんだ。
俺は『普通』になれたんじゃないかって。
だけど違った。
エレナと一緒に過ごせる未来を待ちすぎて、本当に待ちすぎて、俺はまだ夢の中にいると勘違いしていたんだ。
そして今、アルジェントの地に降り立った瞬間、緊張の糸が切れたように、俺はようやく実感した。
腕の中に力いっぱい彼女を閉じ込めた瞬間、涙が溢れた。
やっと会えた。
やっと会えた!!
十年前、暗闇の中にいた俺を抱きしめてくれた金色に。
「すまない……目に砂が入ってしまって──暫く……このままでいて貰えないだろうか」
目の前で急に泣き出す男なんて、エレナが変に思うはずだ。
だって彼女は、俺の秘密を知らないんだから。
俺を覚えていないんだから。
ごめん、いつか必ず話すから。
そう誓って、俺はエレナの目をそっと塞いだ。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
ようやくエレナとの未来を掴んだ実感が湧いてきたアルフレード(^ ^)
これから二人の関係がどうなっていくのか、応援して下さると嬉しいです。
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よろしくお願い致します。




