第12話 飛竜は自由気まま
「すごい! 海が見えますよ! あれは──えっ、あれは何ですか!?」
遥か上空、初めての空の旅に、エレナは興奮し通しだった。
通り過ぎる領地のことや海や森、場所によって違う街並み、そこに住む動物や人々のこと。
見る物全てが新鮮で、子どものようにはしゃぐエレナの質問の嵐に、アルフレードは終始丁寧に優しく答えてくれた。
前方を飛ぶブルーノ、後方のクララに挟まれ縦一列の形で飛んでいく。
守護防壁を展開しているおかげで、もの凄い速さで頬を撫でる風も、そよ風程度に感じられ気持ちが良い。
そうしていくらか進み、太陽はすっかり真上に来ていた。
「この森を越えると、今日宿泊する予定の領地に入る。そこで昼食にしよう。飛竜を休ませる関所までもう暫くかかるが疲れてはいないか?」
「大丈夫です! むしろ楽しすぎて時間があっという間です!」
元気いっぱいに返事をしたエレナに同意するかのごとく、ファルが《クォーーーン》と鳴き、くるりと宙返りした。
「きゃあ!」
そう叫ぶより早く、アルフレードの右手が抱き寄せるように力強くエレナの腹部に回り、傾きかけた体を支える。
「こらファル! エレナが乗っているんだぞ!」
アルフレードの声を気にも止めず、ファルは機嫌良さそうに翼をゆっくりと羽ばたかせ喉を鳴らした。
「はあ……すまない、エレナ。ファルはすっかり君に夢中なんだ。背に乗る君が楽しいと言ってくれたので、少し調子になってしまっている」
「いいえ、仲良くなれて嬉しいです! ファルは人懐っこい性格なんでしょうか?」
飛竜は気位が高く、人にはあまり懐かないと聞いていたが、侯爵家の庭で初めて触った時から、ファルはエレナに好意的だった。
個体によって性格にも大きく差があるのだろうかと、エレナは疑問に思った。
「いや、どちらかと言えばファルは気難しい方だな。初対面で触るのはまず無理だし、触れるのは私やブルーノを含めてほんの数人だけだ」
「まあ、そうなんですか? 乗せてくれて本当にありがとう」
エレナがファルの背を優しく撫でると、可愛らしい咆哮を一つあげた。
「喜んでくれたんでしょうか?」
「いや、今のは少しくすぐったかったみたいだ」
笑って言うアルフレードに同意するように、ファルはブンブンと首を縦に振る。
本当に会話しているような彼らの様子に、エレナも微笑ましくなり目を細めた。
「ファルは一度しか会っていないのに、私の顔を忘れず覚えてくれていたんですね。とても賢い子ですね」
「ああ、顔というより、竜は魔力で生き物を見ているんだ。君の魔力は、春の日差しのように暖かく煌めいていて、ふんわりと優しくて、例えようもない美しさなんだ。忘れられるはずがない」
その言葉に「その通り」と言わんばかりに、《くぅぅぅぅー》とまたファルが機嫌良く鳴いた。
「そ……そうなんです、か」
突然、耳元で褒め言葉を浴びせられ、エレナはぼっと顔を赤くした。
「あ……アルフレード様はすごいですね」
「すごい?」
「ええ。そこまでファルの伝えたいことがしっかりわかるなんて」
魔力には、生命それぞれに異なる色があるのは知っている。
魔力が魔石のように結晶化した場合、一つ一つ色が微妙に色が違うのはそのためだ。
だが人間の目では普段それは見えないし、自分や他人の魔力の色を知る機会はごく稀で、魔力譲渡や特別な検査でも受けない限りわからない。
まさか自分の魔力について、竜の視点で説明され、しかもこんなに褒められるとは思ってもいなかった。
非常に照れはしたが、エレナは素直に感動した。
「本当にファルと仲良しなんですね。まるでアルフレード様にも実際に見えたような色の例え方で、私にもよくわかり──アルフレード様?」
急にエレナを支えていた腕に力が入り、エレナはどうしたのかとわずかに後ろを振り向いた。
「あ……ああ、そうだね。少し領地にいる他の竜のことを考えていて。すまない、苦しくはなかった?」
ぴたりと体を固定しているため、振り向いても顔色までは見えないが、アルフレードの声は微かに強張って聞こえた。
「私は大丈夫です。あの……お声がご不安そうですが、他の竜に何かあったのですか?」
「いや、大丈夫だよ。そうだな……実はファルの番が産卵前でね。繊細な時期だから少し気になってしまって」
「そうなのですか!? ファル、あなたパパになるのね。すごいわ! おめでとう」
先程よりも少し強めに撫でると、ファルはエレナの方に顔を向け、目を細めてふーっと鼻息を吹きかけた。
「褒められて得意気だな。番のメスの竜はサーリャといって、珍しい薄紅色の鱗の飛竜なんだ」
「薄紅色……。ファルの鮮やかな赤色も綺麗ですが、サーリャも素敵な竜なんでしょうね。早く会いたいです!」
エレナがそう微笑んで、またキラキラと鱗が輝く背を撫でたその瞬間──。
勢い良くファルが大きく翼を広げたかと思うと、エレナの体の中にぶわりと強風が通り過ぎるような圧迫感が広がった。
「エレナ!!!」
突然のことにギュッと目を瞑り蹲るエレナの耳に、どこか遠くの声のようにアルフレードが叫ぶ声が聞こえるが返事ができない。
一瞬の圧迫感の後、今度はどっと力が抜けぐらりと傾き、蹲るように前屈みになっていく。
エレナの体が倒れないよう、アルフレードが覆い被さるように強く抱き留めてくれているらしかったが、その力強さもよくわからないくらい、濁流に飲み込まれたような衝撃に耐えるのでエレナは必死だった。
長い時間のように感じたそれは、恐らくほんの一瞬だったのだろう。
徐々に指先に力が戻り、エレナはホッと息を吐きながらゆっくり目を開け、体を起こしかけて──絶句した。
「……え?」
「エレナ! エレナ、大丈夫か?」
エレナが動き出したのに合わせ力を緩めたアルフレードは、素早くお互いの留め具を緩めると、ぐいとエレナを体ごと自分の方に向け、視線を上下左右に走らせて状態を確認している。
「え? あの……ええ??」
「気分は? 吐き気はないか?」
「いえ、あの……わ、私は大丈夫です、けれど……」
呆然と見開いたエレナの目は、正面の心配な表情で慌てるアルフレードを通り越し、周囲の光景に釘付けだった。
「あの……ここは一体……どこなのでしょうか?」
先程までは、確かに森の遥か上空を飛んでいたはずだ。
それがどうだろう。
今、エレナ達がいるのはファルの背の上ではあるが、地上だ。
ファルはすっかり羽を畳み、何故か興奮気味に金の瞳を輝かせ、首を回してエレナを覗き込んでいる。
目の前に広がっているのは、開けた草原と澄んだ水が美しく輝いている大きな湖。
遠くでのどかに鳥が囀り、目の前には蝶が羽ばたいている。
その周囲には樹齢数百年はゆうに超えていそうな木々が高く高く伸び、草原を囲み守るように広がった枝葉からは、キラキラと輝く木漏れ日が降り注いでいる。
湖を挟んだ反対側の岸には、厩舎に似た形の石造りの建物が見える。
だが厩舎にしては、その屋根はあまりにも高く、大きさも何倍もありそうだ。
神秘的とも言える美しい情景を前に、困惑したままの目をぱちりと瞬かせ尋ねた。
「ここが……休憩予定の場所……ということでしょうか?」
だが、アルフレードは困ったように眉を下げ、ふるふると力なく首を振ると申し訳なさそうに答えた。
「いや……ここは、アルジェントの西の森──ファルとサーリャの家だ」
「……え?……アルジェント?」
エレナはパチパチと目を瞬かせた。
(アルフレード様は、今何と仰ったの? 辺境伯領に到着するのは4日後ではなかったかしら?)
事態が飲み込めないエレナへ「ようこそ!!」と言わんばかりに《グォォォォーーーーーン!!》と機嫌良さげにあげたファルの咆哮が、のどかな森にこだました。




