第10話 人間嫌い?
「私のことは、どうかアルフレードと」
「ありがとうございます。私の事も、どうぞエレナとお呼び下さい」
まだぎこちない2人をよそに、諸々の手続きの書類や契約書をまとめ終え、母がにっこりと微笑んだ。
「では、これで詳細も全て決まりですね」
婚約を受けたあの後。
母が押し切る形でアルフレードは侯爵家に宿泊することになり、これからについての話し合いは夜まで続いた。
主に父がゴネまくったせいだ。
婚約期間は一年。
その間、領地の勉強や生活に慣れる為、そして他国から横槍を入れられないために、エレナは辺境伯領で過ごす事に決まった。
父は「出発の準備に、最低でも一ヶ月程は必要では?」と最後まで心配してくれていたが、1週間後には出発することにした。
アルフレードが「必要な物は全て我がモンテヴェルディ家で用意しよう」と言っていたし、何より、エレナの心は、早く妖精フーを探しに行きたいという気持ちが強かった。
「君なら飛竜にも乗れるはずだ。もし嫌でなければ私が飛竜で迎えに来るが、どうだろうか?」
庭にいた飛竜は、アルフレードが乗ってきたのもだった。
馬車の移動では片道20日も必要で時間がかかりすぎ、領主であるアルフレードが常に同行することができない。
また、多くの街にも立ち寄らなければならなくなり、警護が難しくなる。
エレナの護衛の観点から、アルジェントへは飛行速度が速い飛竜での移動はどうかと提案された。
その申し出に、エレナは手放しで喜んだ。
「飛竜に乗せて頂けるのですか!? ぜひお願いします!」
飛竜は自分が認めた者しか触れることを許さないと説明され、何と誇り高い生き物かとエレナは感心した。
出発当日になって乗れないとわかっても大変なので、アルフレードが領地に戻る前に、飛竜が乗せてくれるのか試させて貰う事にした。
念の為に守護防壁も展開し、エレナ達は庭に出る。
「綺麗……」
目の前で興味深そうに自分を見つめてくる大きな竜を見て、エレナは呟いた。
滑らかな赤い鱗が輝いている。
名前はファルという、雄の竜だった。
「大丈夫だ。そのままゆっくり近づいて」
アルフレードに促され、恐る恐る近づく。
すると、ファルは甘えるように《クウゥー》と鳴き、顔を近づけてエレナの服を咥えると、ヒョイっと勢いよく背中の鞍に放り投げた。
「きゃあ!」
驚いたエレナは、無意識に手綱を握りしめる。
それを確認したファルは、そのまま翼を広げ、嬉しそうにゆっくりと庭を旋回し始めた。
「と……飛んでる。……アルフレード様! 私飛んでいます!」
エレナは興奮し、飛竜の上から、地上に残されたアルフレードに向かって叫んだ。
「こら待てファル! だめだ! 降りて来い!」
アルフレードがすぐさま魔術を展開し、上機嫌なエレナと飛竜をキラキラと輝く霧で包むと、ゆっくりと地上に引き戻した。
「……氷?」
ひんやりとして周りをよく見ると、エレナが霧だと思ったそれは、細かな氷の結晶の集まりだった。
宝石の粉を散りばめたように光る美しい魔術に、エレナは思わず感嘆の声を上げた。
「エレナ、大丈夫か?」
駆け寄ってきたアルフレードが心配そうに手を伸ばし、エレナを優しく抱えて下に降ろした。
美しい彼には似合わない、焦った様子がなぜか可愛らしくて、エレナは自然と微笑んだ。
こうして、すんなりと飛竜に受け入れられたエレナは、空の旅でアルジェントへ向かうことが決まった。
アルフレードが領地に戻り、エレナを迎えに来るまでの一週間。
彼には人間嫌いの噂もあり、王命による政略結婚だ。
もし事務的で割り切った付き合いになったとしても、これ以上の負担にだけはならないようにしなければ……とエレナは意気込んでいたが、そんなことはなかった。
噂が嘘のように、アルフレードは穏やかで優しく、何よりエレナに対し良い関係を築こうとしてくれているらしかった。
短い期間にも関わらず、何度も手紙のやり取りを行った。
大きな白鷲が手紙の筒を首に掛け、部屋の窓まで届けに来てくれた。
兄が言うには、アルジェントで飼育している伝令用の珍しい鳥で、最高飛行速度は飛竜より速いらしい。
「隣国が攻めてきたとか、国王崩御とか、そう言う時しか飛ばさない鳥なんだけどな」
父と兄が呆れた顔でヒソヒソと話しているのを、エレナは知らない。
手紙の内容はいつもあたたかく、几帳面そうな美しい字でエレナを気遣う言葉が綴られていた。
《こちらでは、君が好きだと教えてくれたラールの花が、もうすぐ見頃を迎えそうだ。心配な事があれば、何でも言ってほしい。私も、屋敷の者達も皆、君が来るのを楽しみに待っているよ》
《あれからファルは、毎日のように侯爵領の方角へ散歩に行こうとねだってくる。どうやら早く君に会いたいらしい。けれど、もし飛行に不安があれば、馬車の手配もできるので遠慮なく教えてほしい。時間を掛けて領地へ向かうのも、きっと楽しいはずだ》
《良ければ、君の好きな食べ物を教えてほしい。こちらに到着して最初の食事を何にするか悩みすぎて、料理長が熱を出しそうなんだ。
私はホーンラビットのシチューが好きなんだが、君も気に入ってくれるだろうか》
手紙と一緒に、魔術で花の香りが閉じ込めてあることもあったし、キラキラと木陰から覗く陽の光のように、便箋が煌めくよう細工を施してあることもあった。
柔らかな筆跡は美しく、エレナの心には、アルフレードへの信頼がじんわりと広がっていった。
「国から押し付けられた政略結婚なのに、噂とは違って、とてもお優しい方なんだわ」
読み終わると毎回すぐに返事を書き、白鷲に持たせてその飛び立つ姿を見送った。
目が覚めると、毎朝エレナの部屋の花瓶には違う花が活けてあり、アルフレードから届く優しい香りが嬉しかった。
「完全に、転送魔術の無駄遣いだな」
食事中、半眼で呟く兄に、エレナは笑った。
「お兄様ったら。そんな高度な魔術を、花を届けるために使う人なんていないわ。早朝に届いたお花を、メイドが飾ってくれているのよ」
「はあ……辺境伯サマの浮かれ具合を、妹が全くわかっていない」
「本当に、私もそう思います」
エレナの後ろで、専属侍女のクララが、呆れるルカに深く頷き同意した。
アルフレードが領地に帰った後、侯爵家には毎日のように贈り物がわんさかと届いていた。
その一部は、一般的な魔術師が1日分の魔力全てを注ぎ込まないと成功しない転送魔法で送られて来ている。
エレナは転送魔術は習得していない。
手紙のやり取りに転送魔術を使わず白鷲に届けさせているのは、早くエレナからの返事を受け取りたいからだろう、というのが家族総意の結論だった。
「お兄ちゃんは心配だ。クララ、向こうでもどうか妹を宜しく頼むよ」
「もちろんです。全身全霊でお護り致します」
キリリと答えるクララを横目で見て、エレナは何とも言えない気持ちだった。
「……いつも聞いていた『お護りします』が、まさか物理的な意味だったなんて」
辺境伯領への移動方法や護衛について相談していた時、何故か護衛としてクララの名前が挙がった。
エレナが不思議に思っていると、それを察したのか本人から説明された。
「専属侍女でも間違いではありませんが、正確には私は、紅茶も淹れられる護衛騎士です」
「え?護衛?」
エレナが八歳の頃からずっと一緒で、専属侍女だと思っていた彼女は、実はエレナの護衛騎士だと言う。
貴族学校と騎士訓練校を、どちらも飛び級で卒業した神童。
魔術師長の弟子で、すでに部下として働いていた十四歳の時、国王と侯爵に懇願されてエレナの護衛になったらしい。
自分が国の保護対象にしては、一般的な貴族警護と同じ人数しか護衛がいなかったけれど、と感じていたエレナは驚愕した。
(まさか、日々優雅な所作で侍女の仕事をこなすクララが? きっちりと纏めた髪と揃いの、少し勝気な赤い瞳が綺麗な、姉のように優しいクララが?)
「私以上にお嬢様の護衛ができる者は、絶対におりません。お茶に入った毒物の確認はもちろん、厠でも湯殿でも寝室でも、1番近くで堂々と警護できますからね」
さらに、何年も前に辺境伯領での特務訓練も行ったことがあり、飛竜にも乗れると言う。
(驚くことが多すぎて、もう頭が追いつかないわ)
エレナは心の中でそう呟くと、考えるのをやめ乾いた笑みを浮かべた。
それを見て何を勘違いしたか「任務関係なく、エレナ様のことが大好きなのは本当ですから!」と、クララから必死に慰められたのも良い思い出だ。
何はともあれ、アルジェントにも引き続き侍女兼護衛としてクララが付いてきてくれるとのことで、エレナは大喜びだった。
「エレナ様。お部屋に、アルフレード様から飛行用の旅装が届いていますよ」
クララの言葉に、エレナはパッと目を輝かせた。
「ルカ殿から乗馬は得意と聞いていますが、竜とは勝手が違うことでしょう。ぜひ騎竜用の旅装を贈らせて下さい」
辺境伯領へ戻る朝、アルフレードがエレナにそう約束してくれていた。
空の旅用の服とはどんなものかと想像を膨らませ、エレナはそれを楽しみにしていたのだ。
「本当!? すぐ見に行くわ」
エレナは急いで立ち上がり食堂を後にする。
その後ろ姿を見ながら苦笑しているルカに、クララが尋ねた。
「それにしても、なぜ侯爵閣下は辺境伯様を嫌っていらしゃるのですか? エレナ様に対し誠実な方ですよね。なぜ何年も警戒対象として拒否されていたんですか?」
「ああ……クララは知らないのか──まあ、そうだね。娘を渡したくないのは、どこの父も同じってことかな?」
それ以上話す気はないようで、ルカは肩をすくめて見せた。
「まあ、とりあえず見なくてもわかる。届いた騎竜服は、ぱっと見ではわからない絶妙な隠し方で、守護の祝詞と魔法陣がびっしり刺繍されているだろうな。辺境伯サマは妹の安全を守る紳士でいらっしゃるだろうから」
おどけて見せるルカの様子に、クララもそれ以上の追及はしなかった。
「正解です。辺境伯様には、侯爵様に隠れて有益な情報を流してくれる素敵なお友達がいらっしゃるのか、色やデザインも全てお嬢様好みでしたよ」
クララは片眉を上げ、ルカを揶揄うように一瞥すると、エレナを追いかけ部屋をでた。
「はは。これはまいった」
部屋に残されたルカは、大笑いした。




