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ピンクカプセルが紡ぐ未来  作者: つきや
Pink Capsule Universe 01:君と僕の子供たち
8/30

PCU-01-07 匿名Nの男

 いつもより遅いバイト帰り。

 駅前のロータリーで、自販機の缶コーヒーを片手に歩いていると──。


「達希!」


 呼び止められた。振り返れば、そこにいたのは──晴翔。

 息を切らし、スーツ姿で駆けてきた。


「待ってた。たぶん今日、この時間だと思って」


「……え?」


 突然の言葉に戸惑う達希をよそに、晴翔は少しだけ息を整える。


「僕さ、時間ないんだ。親の容態も、あんまり良くなくて。だから──ちゃんと、言っとこうと思った」


 夜の街灯に照らされた晴翔の顔は、珍しく真剣で、少しだけ寂しそうだった。


「僕、達希が良いよ。子供も、家庭も──ぜんぶ。好きとか、そういうのも含めて」


 不器用だけど、真っ直ぐだった。

 だけど──達希の胸は、ざわつくばかりで、言葉が出ない。


「……焦らなくていいけど、もし迷ってるなら……()()()()って言いたかった」


 それだけ告げて、晴翔は手を振った。

 夜風の中、背中が小さく遠ざかっていく。

 達希は、その後ろ姿をずっと見つめていた。


 高校の頃から見てきた背中じゃない、大人の背中だと思った。


 

 

 その翌日。

 スマホが無機質に振動する。


【システム通知】

「仮マッチング結果通知──高月達希 様

 第一候補:結城 晴翔 様

 第二候補:三沢 玲 様

 第三候補:自動マッチング対象(匿名)」


 ──現実が、着々と迫ってくる。

 自分で選ぶか、選ばれるか。

 どちらも待ったなしだと、改めて突きつけられた。


 

 

 そして、さらにその翌日。

 玲からの着信。めずらしく通話だった。

 電話越しの声は、いつになく素直で、少し焦ったように響く。


『なぁ、達希。お前、誰選ぶんだ?』


 いきなり単刀直入すぎて、言葉が詰まる。

 玲は続ける。


『俺、お前のこと、ずっと待ってる。正直、もう覚悟できてる。……だから、こっち選べよ』


 いつもの軽口はなくて、ただ静かで真剣だった。

 スマホ越しに沈黙が流れる。


『……逃げんなよ。お前が決めろ』


 そう言い残して、玲は通話を切った。


 プープープーと無慈悲に流れる音。

 静まり返った部屋の中で聞こえるカチコチとうるさい秒針。

 達希は、スマホを握りしめたまま、深く息を吐いた。


 

 ……選ばなきゃ、いけない。

 でも、心は揺れるばかりだった。




 そして、さらに、さらにその翌日。


 薄暗く落ち着いた照明の、都心の会員制カフェ。

 案内された個室で、達希は少し緊張しながら待っていた。


 ──昨日突然、匿名メッセージが届いた。

 

 「迷ってるなら、一度会って話してみない?」とだけ書かれていた文面の送り主。

 名前は『N』。

 怪しいかと思いきや、指定された会員制カフェは、種付け派や出産組の間ではよく知られた“中立的な相談所”だった。


 ドアが静かにノックされる。

 現れたのは、スーツ姿の落ち着いた男性。黒髪にメガネ、その人は達希が見覚えのある“名前だけは知っている人物”だった。


「……成瀬悠人(なるせ ゆうと)さん?」


「うん。初めまして、達希くん。」


 名を聞くだけで社会的な知名度がある──“理想の種付け派”と呼ばれる成瀬悠人。


 何冊か社会系の本を出版しているし、達希も読んだことがあった。

 若い頃から精子バンクを通じ、多くの精子提供の実績を持つ、いわば「この社会の理想モデル」と呼ばれる人物。

 

 その人が、今目の前でコーヒーを手にし、静かに微笑んだ。


「ここ、外にはバレないから安心して。僕も今まで、ずいぶんこういう場所で話をしてきた」


 成瀬はゆったりとした口調で言い、テーブルに小さなカードキーを置いた。


「──で、今。君は迷ってる。制度が選ぶ“正解”か、自分が選ぶ“本音”か」


 ずばり核心を突かれ、達希は言葉を失った。

 成瀬は、何かを見透かしたように、続ける。


「僕はね、制度を使った側の人間だけど。一つだけ確かに言えるのは──『制度が幸せを保証するわけじゃない』ってこと」


 成瀬の視線は穏やかだが、重みを持っていた。

 達希は、ごまかすようにコーヒーに口をつけた。


「……好きな人の子供を、産みたいんです。でも、それって──ただのワガママですか?」


 沈黙。

 成瀬は少し笑ってから、カップをテーブルに置いた。


「ワガママでいいんだよ。システムは、君に、種付け派か出産組かは選ばせなかった。でも、人間――君は相手を選べる。選ぶことは怖いけど……それが、()()ってやつだ」


 静かに、言葉が胸に染みた。

 制度に従えば安全。でも、心が納得できるかは別だ。


「好きな人が、どちらか決められないなら──まず、自分の気持ちから逃げるのはやめたほうがいい。期限が迫ってるなら、なおさらね」


 その言葉に、達希は小さく息を呑んだ。

 成瀬は立ち上がり、最後に一言だけ残す。


「最後に選ぶのは、システムじゃなく──君自身だよ。それに――」


 少し間が空き、成瀬が言葉を続ける。

 

「どっちの道を選んでも、君の未来だ。時には人は、欲張ってもいいんじゃないのかな」


 そう言い残して、静かに個室を出ていった。

 その背中を見送りながら、達希はまだぬるいコーヒーのカップを両手で包んだ。


 ──本当に選ぶ勇気が、自分にあるのか。

 それが、今いちばん怖かった。


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