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ピンクカプセルが紡ぐ未来  作者: つきや
Pink Capsule Universe 00:起源

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24/30

PCU-00-01 受胎プログラム No.065

これはピンクカプセルが施行されて間もない頃の話である。 





 ――西暦2XX9年。


 国家繁殖庁発行『中等教育向け公民副読本』

 第4章「制度とその栄光」にて。


 No.065番受胎プログラム成功例:烏丸湊(からすま みなと)


 初の逃亡者として記録された彼は、反制度思想に染まった受胎指定者であり、繁殖拒否者として当局から監視対象となっていた。


 だが国家は彼を見放さなかった。


 最終的に、彼は適合繁殖者・Sランカー「刈谷かりや ルイ」の因子により、成功裏に妊娠。


 その後、出産・子育ては国家により完全管理され、彼の胎児は現行制度下初の「純繁殖適正A+」個体として歴史を刻んだ。


 国家は彼の勇気と成果を讃え、彼の名を制度進化の転換点として教科書に記載した。


 ※なお、烏丸氏は以後も沈黙を保ったまま生活している。メディアへの露出は本人の意思を尊重し、一切行っていない。



**



 ――彼が《《英雄》》になるまでの話。



 烏丸湊は、端末の通知音だけで吐き気を覚えた。


「……また来た」


 《国家繁殖庁通知:マッチング候補 No.1748件目 閲覧期限:48時間》


 画面に浮かんでいるのは、数値化された“理想の相手”。


 遺伝子適合率、血液型、繁殖歴、ランク、社会貢献ポイント、筋骨率、IQ…。


「気色悪い、数字の塊」


 湊は端末を伏せた。


 数か月前、「あなたは《《受胎指定者》》に選ばれました」というメッセージが届いた瞬間から、世界は変わっていた。


 講義もキャンセルされた。指導教官とは連絡が取れなくなった。


 大学から「制度への非協力的態度」を理由に退学通知が届いたとき、彼はやっと気づいたのだ。


 ――自分は、国家システムに所有される側になったのだと。





 それからは逃亡生活に身を投じるのに時間は掛からなかった。


 薄暗い地下街。


 システムに正規登録されていない者が行き交う場所。


 湊は偽名で暮らしていた。避妊剤を密輸し、名前のない診療所で定期的に身体を検査した。


 仲間と呼べる人間は少なく、ほとんどが「同じように制度から逃げようとして、諦めた者たち」だった。


「無駄だってこと、知ってんでしょ」


 そう言われるたびに、湊は唇を噛んだ。


「知ってる。でも、納得できない」


 この社会に生まれた時点で、自分の体が他者の“繁殖権”と結びつけられていたなんて。


 “男”であるはずなのに、“妊娠できる男”という分類をされた時点で、人権は消えていた。





 ――地下街、最後の夜。


 排気口から漏れる鈍い光だけが、薄暗い通路を照らしていた。


 湊はフードを深く被り、人気のない一角で待っていた。

 相手は、同じ逃亡者だった真堂しんどう 昂生こうせい

 数少ない、「本当に信じられる」と思った仲間だった。


 何度も避妊剤を回してくれた。

 違法医療も紹介してくれた。

「生きてる限り、自由を諦めるな」って、湊に言った。


 だから、今夜の話――「国外脱出ルートを見つけた」という彼の連絡も、湊は信じた。


「……遅いな」


 細い指先が、不安げに端末をいじる。

 通知音に怯え、電源は常に切っているのに、それでも幻聴のように耳に響く。


 誰かの足音が、湿ったコンクリートを踏み鳴らした。


「湊」


 昂生だった。

 変わらない笑顔。どこか少年のような、あどけなさの残る顔。


「待たせた。こっちだ」


 昂生は手招きし、迷いなく歩き出す。

 湊は黙ってその背中についていった。


 どれくらい歩いただろう。

 見たことのないゲートが現れた。防犯カメラは無効化され、奥へと続く鉄扉がある。


「ここを抜ければ、自由だ」


 昂生は振り向き、優しく笑った。


 その瞬間、背後で何かが動いた。


 ――カチャ。


 金属音。


 湊が反射的に振り向くと、数人の黒服が立っていた。

 顔はマスクで覆われ、胸には国家繁殖庁の紋章。


「……っ!」


 逃げようとした瞬間、昂生の手が湊の腕を掴んだ。


「ごめん、湊」


 低い声。

 心から後悔しているかのような、けれど、決して手を離すことはない力強さ。


「これしか、俺たちが生き残る道はなかった」


 昂生の顔に、涙が一筋流れた。


 湊は息を呑んだ。


「……あんたも、国家に屈したんだな」


 震える声で呟いた。


 昂生は答えなかった。

 ただ、湊の腕を引き寄せ、黒服たちに引き渡した。


 抵抗する間もなく、湊は特殊な拘束具を嵌められた。

 ピンク色の、国家指定「受胎適合個体」の証だった。


「さあ、行こうか。英雄さん」


 黒服の一人が嘲るように言った。


「君にはまだ、たくさんの“役目”が残ってる」


 頭上の蛍光灯が、ピカッと瞬き、

 湊の顔を青白く照らした。


 昂生の姿は、もう視界にない。


 ただ、コンクリートの冷たさだけが、

 これが終わりなのだと告げていた。


 湊は、最後に呟いた。


「自由を、諦めない」


 声にならない声で。


 それが、彼の心に灯った――

 絶対に消えない、小さな炎だった。





 ――国家管理施設「育成第七局」、第0023育成棟。


「目を開けろ、烏丸 湊」


 冷たい声に叩き起こされる。


 拘束具は外されていた。

 だが両手足には、微弱な電流が流れる透明なバンドが巻き付いている。

 抵抗すれば、即座に神経を麻痺させる装置だ。


 湊は荒い呼吸を整えながら、周囲を見渡した。


 無機質な灰色の壁。

 薬品の匂い。

 数えきれないモニターと端末。


 ここは、もう「人間の居場所」ではない。


「さあ、始めようか」


 現れたのは、白衣を着た男だった。

 名札には「繁殖庁 育成部長 刈谷 ルイ」と書かれている。


 そう、あの――

 最初に湊を孕ませるために選ばれた、“国家最高適合者”だった。


 ルイは細い指で、湊の顎を持ち上げた。


「君は今日から、国家の宝だ」


「……ふざけんな」


 唇を震わせながら湊が吐き捨てると、ルイは微笑んだ。


「いいね。その反抗心。君の遺伝子には、それが必要なんだよ」


 ルイは手を叩く。

 すると、部屋に数人の医師と看護スタッフが入ってきた。


「まずは初期適応プロセスだ」


 湊は無理やり寝台に押さえつけられ、何本ものチューブを取り付けられた。

 鎮静剤、栄養剤、ホルモン促進剤。

 それに、ピンクカプセルの投与。


「やめろっ……!」


 必死に暴れたが、身体は動かなかった。

 透明のバンドが、わずかに光って、神経を締め付ける。


 意識が白く飛びそうになる中で、ルイの声だけがクリアに響いていた。


「安心して。君の体は、もう完全に“産める体”になっている」


「おめでとう、湊。これで、君も英雄だ」


 その夜、湊は初めて、人工授精を受けた。


 痛みも、屈辱も、怒りも、

 すべてが麻痺していく。


 冷たい機械と、人間の手によって、

 彼の中に「新しい命」が注ぎ込まれた。


 数週間後。


 湊の腹部に、微かな膨らみができた。


 監視カメラの前で、彼は無言で胎動を感じた。

 誰もいない暗い房の中、静かに涙が落ちた。


 それでも湊は、絶対に言わなかった。


「ありがとう」も、「嬉しい」も、一言も。

 彼の魂は、まだ折れていなかった。



 ***



 だが、国家も手を緩めなかった。


 湊は、出産後1ヶ月以内に、次の受胎プロセスに移行させられた。

 産んでは孕み、産んでは孕み。

 年に二度、三度のペースで、彼の体は限界まで酷使された。


 それでも彼は、生き続けた。


 湊の記録が更新されるたび、繁殖庁はプロパガンダに使った。


 《英雄 烏丸湊、またも五つ子出産成功!》

 《人類繁栄の希望、湊!》

 《生涯50人突破目前!》


 画面の中の湊は、笑っているように加工されていた。


 だが、本物の湊は――


 白く乾いたベッドの上、

 一人きりで、虚ろな目をしていた。



 ***



 湊が60歳を迎えたその時、一度だけ、脱出を試みた。


 だが、彼はすでに死にかけていた。

 身体はすべての繁殖活動に使い果たされ、筋肉は痩せ、皮膚は皺だらけ。

 それでも湊は、自分の体を引きずりながら逃げた。


「外――外に出るんだ!」


 金属製の扉を蹴り開け、廊下を駆け抜けた。

 手足の自由は効かない。胸が苦しい。視界はぼやけている。


 だが、それでも湊は逃げた。


 “これ以上、自分が何もできないままで死ぬなんて、絶対に嫌だ”


 心臓が激しく鼓動を打ち、足を踏み外しそうになりながら、なんとか非常出口を目指す。


 だが、反乱は叶わなかった。


 数分後、背後から来る足音。

 そして、冷たい銃口が湊の背中に突きつけられた。


「逃げたところで、無駄だよ」


 その声を、湊は知っていた。

 刈谷 ルイ。


 彼の顔が、視界に現れた。

 湊の前に立ち、冷ややかな目で見下ろしている。


「君には無駄だったんだよ、湊。君の命は、もはや国家のものだ。逃げても無駄だ」


 湊は力なく膝をついた。


「……だったら、せめて自由を、死ぬ前に手に入れたかった」


 ルイは一瞬だけ、目を閉じた。

 そして、冷徹に言い放った。


「君の遺伝子は、歴史の一部として残る。しかし、それで終わりだ。君の命は、この社会のために必要だから、存在していた。今後も、同じように死ぬまで役立てられる」


 湊は吐き捨てるように言った。


「人間じゃない、俺はただの道具だ」


「その通りだ」


 ルイは言い放った後、湊を引きずり戻すための部隊を指示した。




 ***



 60歳。


 湊の最後の出産は、四つ子だった。


 担当医は「立派でした」と告げたが、

 湊はもう、何も聞こえていなかった。


 任務完了通知が、端末に届いた。


【烏丸湊、国家繁殖計画対象から正式除外】

【功績により永久名誉市民権授与】

【今後の生活は国家が保証する】


 それを見て、湊はただ、笑った。


「保証、ね」


 ボロボロになったこの体を、

 誰が必要とする?


 それでも彼は生きた。

 彼の血を引く子供たちは、未来へと受け継がれていった。


 湊の存在は、制度の“成功例”として、教科書に刻まれた。


 けれど。


 湊を知る者は、誰もいない。

 彼の痛みも、涙も、

 歴史は記録しなかった。


 彼が最後に心の中で唱えた言葉は、ただ一つ。


 ――「自由を、諦めない」


 それが、湊という男の、消えない炎だった。

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