PCU-03-02 透真×律 ②
時は流れた。
律は、
10人以上の子供を産み、
いつの間にか、
顔も、体も、ボロボロになっていた。
男たちはどんどん変わった。
誰ひとり、律を愛した者はいない。
律の体は、
もうあちこち傷だらけで、
医療義務だけでギリギリ保たれている。
繁殖適齢期を過ぎ、
律は国家に「繁殖終了」の烙印を押された。
使い捨ての道具。
価値のない、壊れた器。
それでも律は、生き延びた。
透真との、たった一度の記憶だけを抱いて。
透真もまた、
パートナーと定められた男と暮らし、
何人も子供を作らされた。
男に愛されたことなど、ない。
ただ「国家の義務」をこなすためだけに、
抱かれ、
妊娠し、
出産した。
心は、
とうに死んでいた。
それでも透真は、
律との約束を心の底に埋めていた。
(生きろ――)
ただ、それだけで、
歯を食いしばって、生き延びた。
そして。
運命の日が来た。
廃棄寸前の繁殖終了者たちが集められる、
小さな慰労式。
国家は表向き、「感謝の式」と呼ぶが、
実態は「不要になった者たちの処分前集会」だった。
律は、
どす黒いローブをまとい、
俯いてそこに立っていた。
もう、
誰にも期待なんてしていなかった。
その時だった。
律は、
視線を感じた。
――前を見ろ。
心の奥で、
誰かが囁いた。
律は、
おそるおそる顔を上げる。
そして、
息を呑んだ。
そこに――
透真がいた。
あの時の面影は、もうどこにもない。
痩せ細り、
白髪混じりになり、
深い皺に刻まれた顔。
でも。
その瞳だけは、
昔と、
何も変わっていなかった。
律を、
まっすぐに、
見つめていた。
透真もまた、
律を見ていた。
ぼろぼろになった律を、
痛みを堪えながら、
まるごと抱きしめるように。
律の膝が震えた。
どうして――
どうして、まだ、
俺を見てくれるんだ。
律の目から、
ぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。
立てない。
膝が、砕ける。
それでも、
透真は歩み寄った。
何十年の時を超えて、
互いにボロボロの体を引きずりながら、
ゆっくりと距離を詰める。
まるで、
この世界に、二人だけしかいないかのように。
律は、
震える声で、かすかに叫んだ。
「……と……ま……」
透真も、涙を流しながら、答えた。
「律……」
そして。
二人は、そっと、抱きしめあった。
骨ばった腕。
痩せ細った体。
でもそこには、確かに、
愛があった。
誰にも、奪えなかった。
どれだけ世界が壊れても、
国家が二人を引き裂いても、
この魂だけは、ずっと、
互いを求め続けていた。
律は、
透真の胸の中で、
声を殺して泣いた。
透真も、律を抱きしめたまま、
ただ泣いた。
何十年もの地獄を、
二人は、
やっと、
超えたのだ。
律と透真――
二人の抱擁は、
まるで世界の終わりの中で灯った、
最後の炎のようだった。
それを、国家システムは監視していた。
冷たく、無機質な演算。
しかし――
その奥の、どこか、
ほんのひとかけらだけ、
かすかに、
エラーにも似た感情が生まれたのかもしれない。
【特別認定】
二人に下された通知は、
見たこともないものだった。
――今後、再生産義務を免除する。
――二人で、自由に余生を過ごしてよい。
――国家からの干渉は行わない。
律は、ぼんやりとその通知を読んだ。
透真も、震える指で確認した。
信じられなかった。
だが。
(……ああ、いいか。たとえ罠でも)
律は、透真の手を握った。
透真も、ぎゅっと握り返した。
罠でも。
夢でも。
たとえ、
明日、また地獄に突き落とされても。
この瞬間だけは、
信じたかった。
二人は、
小さな、古びた家を与えられた。
郊外の、誰も来ない森の中。
小さな畑を作り、
鶏を飼い、
薪を割り、
静かに、
静かに、
暮らした。
傷だらけの体は、
もう重い荷物も持てなかった。
それでも、
律は透真のために水を汲み、
透真は律のために火を起こした。
二人で肩を寄せ合い、
夜の寒さを凌いだ。
少年のようだったあの日から、
何十年もかかった。
やっと、
やっと、
手に入れた時間だった。
ある年の冬。
律は、
透真の手を握ったまま、
ベッドに横たわっていた。
小さな暖炉の火が、
オレンジ色に揺れている。
透真も、隣にいた。
二人は、
互いの皺だらけの顔を、
見つめあった。
「……律……」
透真が、微笑む。
「ありがとう。……生きててくれて……」
律も、微笑んだ。
「……一緒に……いられて、よかった……」
二人の瞳に、
涙が滲んだ。
けれど、
もう、悲しみはなかった。
静かな、
静かな、
幸福だけがあった。
雪が、静かに降り積もる。
世界が、真っ白に染まっていく。
小さな家の中で。
二人は、
互いの手を握ったまま。
――そっと、目を閉じた。
律と透真の、
長い長い旅路は、
ここで、
静かに、
終わった。
誰にも引き裂かれず、
誰にも邪魔されず。
ただ、二人だけで。
ただ、
愛だけを、抱いて。
そして。
国家システムの記録。
【特別繁殖終了者:律、透真】
【最終ステータス:共生終了】
【備考:幸福にて終了】
初めて、
"幸福"という単語が、
国家システムに刻まれた瞬間だった。