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ピンクカプセルが紡ぐ未来  作者: つきや
Pink Capsule Universe 02:ポイント至上主義
16/30

PCU-02-02 悠真×裕 ②

 都市の高層マンション、その最上階。

 悠真ゆうまは、壁一面に広がるガラス窓から、人工的に均された街を見下ろしていた。


 深夜。

 空には星ひとつない。

 ただ、規則正しく瞬くドローンの警戒灯だけが、薄い青の軌跡を描いている。


 ビル群の隙間からは、冷えたネオンの海。

 赤、青、緑――人工光の色で染まったこの都市には、もう自然の闇すら存在しない。


 ひとつ、通知音が鳴る。


【通知:累計3,000P到達】

【社会ランク:S】

【特典:税免除・住宅優遇・年金保証・医療無償・市民権グレードアップ】


 無機質な文字列が、視界の端にホログラムで浮かび上がった。

 悠真はそれを一瞥するだけで、特に表情を動かさない。


 部屋の中は、いつも一定の温度と湿度に保たれていた。

 春も、夏も、秋も、冬も――ここには存在しない。


 冷蔵庫を開ければ、栄養管理システムが選んだ高級食材が整然と並び、

 床はロボットメイドによって埃ひとつ落ちていない。

 完璧な環境。完璧な効率。


 だが、その完璧さが、どこまでも無味だった。


 悠真は、手元のカレンダーアプリを開く。

 すでに知っている予定が、冷たくそこに表示される。


【明日 14:00 マッチング相手:産む派No.24983】


 カレンダーには、空白がない。

 朝起きて、交尾して、採精して、種付けして、

 ポイントを稼いで、眠るだけの日々。


 生産性がすべて。

 愛情も、欲望も、意味すら必要ない。


 悠真は、ソファに背中を預け、天井を仰ぐ。


 しん、とした部屋。

 どんな音も吸い込んでしまう、完璧な静寂。


 その中で、ぽつりと、独りごちた。


「この世界は、生む奴と、撒く奴……それだけで、人間の価値が決まる」


 窓の向こう、広場では今日もスピーカーが宣伝していた。


『今月の出産件数は前月比+3.2%! 出産ポイントで未来を掴め! 次世代への貢献を!』


 住民たちは誰一人、足を止めることなく、無表情で通り過ぎていく。

 誰も彼もが、機械のように、次の義務を果たすためだけに動いている。


 悠真は、その様子に何の感情も抱かない。

 それが、この世界の「正しさ」だから。

 疑問を持つことは、非効率だ。

 迷うことは、価値がない。


 すべてをシステムに委ね、

 求められる機能だけを提供する。


 それだけで、いい。


 それだけで――いいはずだった。


 悠真は、アプリを閉じる。

 ベッドに向かいながら、無意識に小さくつぶやいた。


「あと、何ポイント積めば……何かが変わるんだろうな」


 答えはない。

 そもそも、答えを探す意味すら、もう忘れていた。


 手に入るはずだった「安定」も、「保証」も、

 空虚なこの胸の中に、何ひとつ満たされないまま積み上がっていくだけだった。


 悠真は静かに目を閉じた。

 そしてまた、明日も同じように目を覚ますだろう。


 冷たく、

 無感情に、

 タスクをこなすためだけに――。






 朝、目覚めた瞬間から、悠真の一日は決まっていた。


 窓の外には雲ひとつない人工空。

 一定のリズムで飛ぶドローン、完璧な整列を保つ車列、整えられた無機質な植え込み。


 無菌のように清潔な空気を肺に入れ、シャワーを浴び、体脂肪率と水分量を測定する。

 朝食は、最適化された栄養バランス食。

 味も、匂いも、特筆するものはない。


 歯を磨き、髪を整え、着る服を選ぶ。

 そのすべてが「推奨される選択肢」の中から機械的に選ばれる。

 今日も、淡々と生きるために。


 そして、アプリが告げる。


【本日マッチング相手:産む派No.25014】


 通知をタップすると、相手の基本情報が表示される。

 年齢、健康状態、出生時の社会ランク。

 感情も表情も、そこには存在しない。


 ――それが、当たり前だった。


 



 待ち合わせ場所は、無数にあるマッチング専用施設のひとつ。

 どれも似たような、清潔で、無個性なビル。


 悠真が訪れると、今日の相手がすでに待っていた。


 髪を丁寧に整えた、やや神経質そうな青年。

 目が合うと、向こうが軽く頭を下げた。

 悠真も、条件反射のように会釈を返す。


 形式的な自己紹介。

 表面だけの挨拶。

 互いに必要以上の言葉を交わさず、

 専用フロアに案内される。


 ベッドの上で交わるとき、

 青年は小さく肩を震わせたが、悠真は何も感じなかった。


 挿入し、射精する。

 ポイントを稼ぐ。

 以上。


 性交が終わると、専用の清掃ドローンが無言で部屋に入り、

 二人に向かって「退出」を促す。


 悠真は、青年に背を向けた。

 相手の顔を、名前を、声を――覚える必要はなかった。


 夜、帰宅してシャワーを浴びる。

 ぬるま湯に包まれている間も、思考は空白だった。


 



 翌日。


 また別の男。

 その次の日も、また別の男。


 出会い、交わり、別れる。

 流れるように消費される日々。


 中には、時々、

 どこか子供のように甘えてくる男もいた。


 抱きつき、離れず、

 耳元で「一緒に暮らしたい」とか、

 「好きになったかも」なんて言葉を漏らす者もいた。


 あるいは、

 悠真と似た、乾いた目をした男に出会うこともあった。


 諦めたように笑いながら、

 黙って体を重ねてくる男たち。


 そんな時、ふと胸の奥がざらつく。

 何か、言葉にならない感情が、

 指先のあたりで、わずかにうごめいた。


 だけど。


 ――すぐに、冷静になる。


 アプリを開き、ポイント残高を見る。


【累計ポイント:3,800P】

【ランク:S】

【次ランク特典:区画優遇権、資産承継権】


 数字は裏切らない。

 感情も、絆も、未来も――

 ポイントがなければ、何も得られない世界。


 悠真は、浴室の鏡に映った自分を見た。

 濡れた髪、無表情の顔。

 そこに、かつて「人間」と呼ばれたものの名残は、ほとんどなかった。


 夢なんて、持っても意味がない。


 誰かを好きになったって、

 誰かに好きだと言われたって、


 それで救われるわけじゃない。

 むしろ、無駄に傷つくだけだ。


 悠真は、タオルで髪を乱暴に拭きながら、

 無意識に口元で笑った。


 ひどく、ひどく、冷たい笑みだった。


 


 今日もまた、明日もまた、

 別の誰かとベッドを共にする。


 ポイントのために。

 生き延びるために。


 それ以外に、意味はない。





 ベッドの上でまた一人、任務をこなした帰り道。


 夜の街は、徹底された治安維持システムによって、

 不自然なまでに静かだった。


 淡い光を放つ歩道、デザインされた無音の植栽。

 ビル群の間を吹き抜ける風さえ、調整されている。


 悠真は、無意識にポケットから端末を取り出し、

 ポイント残高を確認した。


【累計ポイント:4,245P】


 上昇していく数字だけが、

 自分が生きている証だった。


 そのはずだった。


 


 ――ふと。


 人通りの少ない広場の片隅で、

 誰かがこちらを見ているのに気づいた。


 目が合った。


 相手は、若い男だった。

 どこかで見たことのある顔。


 けれど、すぐには思い出せない。

 脳が反射的に「不要な情報」として処理を拒んだ。


 男の腕には、小さな赤ん坊が抱かれていた。


 赤ん坊は、柔らかい毛布にくるまれて、

 無垢な目で悠真を見上げた。


 悠真は、ほんの一瞬、足を止めた。


 胸の奥が、鋭く軋む。


 男の目が、驚愕と――怯えと――何か、懇願のようなものを湛えていた。


 悠真を見つめたまま、微かに震えている。


 


 ……誰だ?


 ……知っている。確かに、どこかで――。


 汗が滲む掌を握りしめる。


 頭の奥で、何かがうごめく。


 ──この街で、出会った誰かか?

 ──それとも、あの日、交わった誰かの中に、彼がいたのか?


 わからない。


 わからない。


 それでも、心臓のどこかが、

 見えない針で刺されるように痛んだ。


 


 赤ん坊の小さな指が、

 悠真のほうに向かってふにふにと動いた。


 その仕草に、

 なぜか喉の奥がひどく熱くなる。


 違う。

 俺には関係ない。


 これは、俺の人生には存在しないものだ。


 悠真は、無理やり視線を外し、

 背を向けた。


 歩き出す。

 逃げるように。


 それでも、背後から、男の視線が刺さる。

 まるで、

 「助けて」

 と、無言で叫んでいるかのように。


 


 都市のノイズの中に紛れながら、

 悠真は奥歯を噛みしめた。


 ──俺の、なのか?


 そんな馬鹿な。

 そんな感傷、

 持つ資格なんてないはずだろ。


 俺はもう、

 夢も、希望も、未来も、


 全部捨てたんだろ?


 


 冷たい夜風が、

 ひどく、ひどく痛かった。






 夜。


 ホテル街のネオンが、

 静かに、そして下品に輝いていた。


 悠真は、今日もまた別の男を連れて、

 義務のようにその扉をくぐる。


 無機質な受付ロビー、

 磨かれたタイル床。


 壁の大型スクリーンに、

 広告が流れていた。


 


『産もう! 僕らの未来のために!』


 甘い音楽とともに、流れるイメージ映像。


 白いワンピースをまとった、

 一人の若い男が、にこやかに子供を抱いて微笑んでいた。


 その腕には、三人の子供たち。


 幼い子供と、双子の赤ん坊。


 そして、画面の右上には、

 大きく誇らしげに文字が踊る。


【産む派モデル No.24983】

【出産数:3人】


 


 ――……。


 悠真の足が、止まった。


 


 画面に映る男。


 ……どこかで、見たことがある。


 いや、忘れようとしていた顔だ。


 先日、あの広場で赤ん坊を抱えていた、あの男。


 裕。


 


 ワンピース越しでもわかる、痩せた身体。

 けれど、目だけは優しく、穏やかだった。


 抱きかかえられた長男。


 その顔を見た瞬間、悠真は息を呑んだ。


 ……小さい頃の、自分にそっくりだった。


 


 脳裏に、

 幼いころ親に抱かれた自分の姿が蘇る。


 あれは、――俺だ。


 


 広告の映像は、容赦なく続く。


 裕が、双子たちに微笑みかける。

 赤ん坊が、彼の指をぎゅっと握る。


 その手つきが、あの日、広場で向けられた、

 あの無垢な動きと重なる。


 


 「……っ」


 何かを吐き出したくなる。


 けれど、悠真は、

 無理やり足を動かした。


 


 ――見なかったことにしろ。


 ――関わるな。


 そう自分に命じながら。


 


 ロビーの奥、各部屋へと続くエレベーター前。


 タイミングが重なった。


 


 エレベーターのドアが開く。


 そこに、

 別の男と一緒に立っていた。


 裕だった。


 


 裕も、こちらに気づいた。


 一瞬、動きが止まった。


 けれど、

 彼はすぐに何事もなかったように、隣の男へ微笑み、

 寄り添うようにして歩き出した。


 


 同じタイミングで、

 悠真も連れの男に肩を押されるようにして、

 別の方向へと進んだ。


 


 すれ違う。


 交わらない。


 視線も、言葉も、交わさない。


 


 別々の部屋のカードキーが、

 機械的な電子音を立てて認証される。


 

 白いドアが、二人を、

 完璧に切り離した。


 


 ドアの向こう。


 それぞれの違う男たちと、

 それぞれの「仕事」が始まる。


 


 同じ建物の中にいながら、

 互いを知らないふりをして、


 悠真と裕は、

 二度目の、すれ違いを果たした。


 


 何も、言わなかった。


 何も、できなかった。


 


 ただ、

 悠真の胸の奥では、


 言葉にできない叫びが、

 どす黒く渦を巻いていた。


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