PCU-02-01 悠真×裕 ①:愛? 何ソレ
――ピロン、と軽快な通知音。
桐谷悠真二十五歳は、わずかに視線を動かし、届いた内容を確認する。
【マッチング完了】
【産む派ユーザーNo.23847と契約可能です】
【本契約成立後、妊娠確認でポイント+100】
【累計:2,600P(Aランク)】
無機質な文字が、冷たく光る。
画面に映る相手の顔写真も、名前も、悠真は数秒しか見ない。
必要なのは「妊娠能力」「契約意欲」「健康状態」――ただそれだけ。
長い指先でタブレットをなぞりながら、悠真は吐き捨てるように呟いた。
「また100ポイントか。あと400でSランク……」
身長180センチを軽く超え、整った顔立ちは誰の目にも好印象だろう。
高学歴。社会インフラを支えるエンジニア。
国家からも表彰されたことがある、いわばエリート。
それでも、悠真にとってこの世界は、すべて「数字」でできていた。
机の上にはマッチング成立済みリストがずらりと並ぶ。
誰一人、感情の引っかかりはない。
彼らはただの「実績」であり「踏み台」だった。
国家が定めたポイント制度。
種付け派は子を作れば作るほど待遇が良くなる。
家も、税も、年金も、すべてはポイントに応じて変わる。
愛や感情など、もはや「コストのかかる無駄」でしかない。
「愛? バカバカしい。ポイントさえあれば、すべて手に入る」
冷えた目で画面を見つめながら、悠真は淡々と返信ボタンを押した。
【契約希望。日時を指定してください】
相手がどんな顔をして待っているのか。
どんな気持ちでいるのか。
そんなもの、最初から興味すらなかった。
ただカレンダーの隙間を、埋めていくだけ。
それが桐谷悠真という男の「生き方」だった。
――契約当日。
待ち合わせのカフェ。
佐伯裕は、緊張で指先を小刻みに震わせながら席に座っていた。
涼しい室内にもかかわらず、手にはじっとりと汗が滲んでいる。
眼鏡の奥の目は、何度も入り口を見つめ、胸を高鳴らせていた。
彼はまだ十八歳。
この春、高校を卒業したばかりの専門学校生。
身長は平均的で、顔立ちも特筆すべきところはない。
けれど、そんな自分を選んでくれた桐谷悠真に、裕は心から憧れていた。
(……好きな人の子供を産むって、どんな気持ちなんだろう)
カフェのガラスに映る自分の顔を見て、裕は小さく深呼吸をする。
高ぶる心を押さえきれない。
生まれて初めての「恋」のような、くすぐったい感情。
胸にあふれる期待と不安。
カラン、とカフェのドアが鳴った瞬間、裕は心臓が飛び出しそうになった。
現れた男は、雑誌から抜け出してきたようだった。
高身長、細身、無駄のない立ち姿。深いブラウンの髪に、切れ長の目。鼻筋はすっと通り、うっすらと笑っているような口元。
(……かっこいい……!)
裕の胸が、きゅうっと音を立てた気がした。
手汗をぎゅっとズボンに拭う。
思っていた以上だ。いや、想像なんか遥かに超えている。
これが、これから「子供を一緒に作る」人なんだ。
そう思った瞬間、顔から耳まで一気に熱が上った。
きっと、優しく手を取ってくれる。
きっと、ぎゅっと抱きしめてくれる。
きっと、「大事にする」って言ってくれる――。
幼い妄想が頭の中で膨らんでいく。
だけど、現実はあっけなかった。
悠真は、カフェの席に着くなり、タブレット端末を取り出し、無表情で裕を一瞥する。
検品でもするみたいに、冷たく。
「プロフィール、確認済み。健康状態問題なし、過去の妊娠歴なし。――今月中に妊娠すればポイント条件も満たせる。悪くない」
ビジネス用の声。温度のない瞳。
妄想していた優しさなんて、どこにもなかった。
それでも裕は諦めきれず、勇気を振り絞って口を開く。
「えっと……僕、ちゃんと愛し合ってから子供を作りたいって思ってて。 この世界でも、そういうのって大事だと思うんです」
細い声だった。
でも、それが裕の本心だった。
けれど悠真は、まるで「壊れたおもちゃを見た」ときのような冷めた目で言った。
「愛なんて必要ない。君もポイントが欲しいんだろ? 俺も、ポイントが欲しい。ただそれだけだ」
ぐさりと突き刺さる言葉だった。
裕は俯き、唇を噛んだ。
そんな裕の迷いなど意にも介さず、悠真はタブレットの契約画面を開き、ペンを差し出した。
「とりあえず、妊娠確認まで手順を進めよう。あとは医療センターが管理する」
裕は震える手で、サインした。
ペン先がかすかに擦れる音だけが、静かなカフェに響いた。
カフェを出た二人は、そのままシステムが用意した施設へ向かった。
一見すると高級ホテルのように見える建物。
大理石のエントランス、重厚なドア、ふかふかの絨毯。
けれど、どこか違和感があった。
受付には無表情なスタッフ。部屋の入り口には小さなプレート。
【繁殖用ユニットB4】
無機質な番号と、「繁殖」という冷たい言葉。
(……ここで……?)
裕の足がすくむ。
でも悠真は何の躊躇もなかった。
淡々と電子キーをかざし、ドアを開ける。
中はまるで映画のラブシーンみたいだった。
広くて清潔なベッド、優しい間接照明、柔らかいリネンの香り。
だが、壁には小さく「記録カメラ作動中」の表示。
優雅に見えて、すべて「記録と管理」のためだった。
悠真は無言でジャケットを脱ぎ、ベッドに腰掛ける。
「こっち、来い」
その声に、裕はびくりと震えた。
まるで作業の一環みたいな悠真の仕草が、胸を痛めた。
初めてだった。
何もかもが怖かった。
けれど、――好きだから。
裕は、きゅっと拳を握って、覚悟を決めて歩み寄った。
ホテル仕様の「繁殖ユニットB4」のドアが、重い音を立てて閉まった。
その瞬間、裕の体はびくりと震えた。
静かな部屋に二人きり。空調の音すら遠い。
室内は徹底的に「それ用」に設計されていた。
純白のシーツとピローケースは、新品独特の少しだけ甘い香り。
ホテル仕様といっても、どこか無機質で――まるで病院の個室のような空間。
ベッドの傍には、無骨な銀色のボックスが置かれている。
「使用済み用品はこちらへ」と簡素な文字。
その隣、目立たない位置に、ひとつのケースがあった。
――《《ピンクカプセル》》。
透明なプラスチックに収められた、ほんの小さな錠剤。
うっすらと艶めくピンク色は、どこか不自然なほど明るい。
ラベルには事務的なフォントで、たった一言。
【受胎促進剤・必ず服用してください】
無機質な指示。
拒否権はない。
裕はそっと、カプセルに触れた。
硬質な感触。
冷たくも、温かくもない。
(……これを飲んだら――本当に、もう戻れないんだ)
頭では分かっていた。
でも、身体が震えた。
隣を見れば、桐谷悠真は慣れた手つきでシャツのボタンを外している。
何の迷いもない。
この場所にも、この流れにも、すべて馴染んでいる。
裕は、喉の奥で小さく息を呑んだ。
ひとりだけ、取り残されている気がした。
逃げ場も、救いもないこの部屋で。
ただ、システムに管理された"交尾"をこなすためだけに――
新品のベッドと、ピンクのカプセルと、無表情な指示が、裕を追い詰めていた。
裕は、ピンクカプセルを指先でつまみあげた。
それだけで、指が少し震える。
カプセルを唇に当てた瞬間、微かに薬品の匂いが鼻に抜けた。
それを感じたとたん、胃の奥がぎゅっと縮む。
――これを飲めば、確実に「産む体」になる。
目をぎゅっと閉じて、カプセルを飲み込んだ。
喉を通る感覚は、生ぬるくて、異物だった。
カプセルが胃の中に落ちていくのを、裕ははっきりと感じた。
その直後。
「立って」
桐谷の冷たい声が落ちてくる。
裕はびくりと肩を跳ねさせながら、命令に従った。
足が頼りない。呼吸が浅い。
そんな様子を、桐谷は一瞥するだけで、何も言わない。
優しくもない。気遣いもない。
ただ、事務作業のように、裕の手首を掴んだ。
力強くもなく、でも逃げられない強さで。
まるで壊れ物に触れるような、無感情な手つきだった。
そしてそのまま、ベッドへ連れて行かれる。
足元がふらつき、裕は桐谷に身体を預けるような格好になる。
でも、桐谷は支えもしない。
ただ、ベッドの縁に裕を押し倒すだけだった。
新品のシーツが、くしゃりと音を立てた。
裕は、硬直したまま、天井を見つめた。
白い。冷たい。何もない天井。
そこに救いなんて、どこにもなかった。
桐谷の指が、機械的に裕の身体に触れる。
熱も、感情も、伝わってこない。
裕は思わず、首をすくめた。
(……こんなはずじゃ、なかった)
好きな人と、ちゃんと、愛し合って、
そんなふうにして子供を授かるのだと思っていた。
でもここにあるのは、
管理されたベッド。
義務として飲んだピンクカプセル。
無感情な相手。
裕は、唇を噛んだ。
痛みだけが、唯一、自分が生きている証だった。
桐谷の熱が体内に押し入り、行為は淡々と進んでいく。
呼吸が交わることもなく、目を合わせることもなく、
決められた手順のように、すべては終わった。
裕はシーツの上で、小さく身体を丸めた。
桐谷は、シャワーも浴びずに服を整えると、さっさとタブレットを開き、記録を付けている。
「これで完了。あとは医療センターに行って、検査受けとけ」
それだけを告げると、桐谷はドアへ向かった。
振り返りもしない。
裕は、ひとり、シーツの海に取り残された。
どこかで乾いた機械音が、次の予約通知を告げていた。
初めての健診は、想像以上に無機質だった。
裕は指定された医療センターに出向いた。
受付は、透明なスクリーン越しに行われる。
無表情の事務員が、冷たい声で手続きを促した。
「佐伯裕さん、初期確認、ですね。
――では、機械に入ってください」
渡されたカードキーを手に、裕は無言で指示されたブースへ向かう。
白い無人カプセルのような検査機械。
「産む派専用」とプレートが貼られている。
怖い、と思った。
だけど、後戻りはできない。
カプセルに入ると、ドアが自動で閉まる。
密閉空間に、心臓が跳ねた。
無機質な音声案内が響く。
《妊娠可能性、確認作業を開始します》
温かいジェルのようなものが腹部に塗られ、
機械のアームが無表情に動く。
モニターに、何やら波形が映った。
《着床初期段階、確認》
《おめでとうございます。妊娠判定:陽性》
「……え?」
裕は思わず声を漏らした。
誰も答えない。
冷たい機械音だけが続く。
《今後は、月一回の健診が義務付けられます。
違反した場合、ポイント減算及び罰則対象となります》
まるで、ただの作業の進捗報告だった。
下腹の奥に、小さな命が宿った。
それなのに、誰ひとり、祝福の言葉をくれる人はいなかった。
裕はカプセルを出て、カードキーを返却する。
事務員は書類を手渡すだけで、目も合わせない。
「次回健診までに異常があれば、自費で対応をお願いします」
それだけ。
裕は小さくお辞儀して、医療センターを後にした。
春の空はやけに眩しくて、泣きたくなった。
だけど、泣く場所もなかった。
数週間後。
裕は、用事の帰りに立ち寄った駅ビルのカフェで、その人影を見た。
――桐谷悠真。
すぐにわかった。
背の高いシルエット。
無駄のない仕草。
座ったままでもわかる、モデルのようなバランスのいい身体。
でも、その隣には、別の人がいた。
若い。
裕と同じくらいの年齢か、もしかしたらもっと幼いかもしれない。
ふわふわした茶髪。
甘ったるい笑顔。
桐谷に身体ごと寄りかかるようにして、笑いかけている。
桐谷は、少しだけ口元を緩めて、
その子の髪を撫でた。
――優しい。
裕は、知らない顔を見た気がした。
自分に向けられたことのない、そんな柔らかさ。
(……ああ)
裕は胸の奥が、ぎゅうっと締めつけられるのを感じた。
自分には、あんな顔を見せてくれなかった。
自分は、ただポイントを稼ぐための「誰か」でしかなかった。
わかっていたはずなのに。
期待なんて、していなかったはずなのに。
それでも。
目から溢れそうになるものを、裕は必死に堪えた。
カフェのガラス越しに、
桐谷と、笑う誰かを見ながら。
ポケットの中で、そっと、お腹に手を当てた。
(君だけは、絶対に、大事にするからね)
小さく心の中で、芽生えた命に誓った。
それだけが、裕をかろうじて、立たせていた。
季節が巡る。
裕のお腹は、目に見えて膨らんできた。
最初は、ほんの小さなふくらみだった。
けれど、今ではシャツの上からでもわかるほど、
しっかりと存在を主張している。
歩くたびに重みを感じる。
座るとき、寝るとき、立ち上がるとき。
すべての動作が、前とは違っていた。
身体がきついのは、もちろん。
だけど、それ以上に――孤独だった。
誰にも頼れなかった。
助けてくれる人なんて、最初からいなかった。
(……大丈夫、大丈夫だ)
裕は何度も自分に言い聞かせた。
だけど、時々、怖くて仕方がなくなる。
夜中、目が覚めたとき。
ひとりで、静かに涙をこぼした。
それでも、健診にはちゃんと通った。
誰も優しくはなかったけれど、
それでも、命は確かに育っている。
機械の冷たいアームが腹をなでるたび、
モニターに小さな心音が映るたび、
裕は思った。
(君は、生きてる)
それだけが、救いだった。
――そして。
出産前、最後の健診の日。
センターに向かう途中で、裕はまた、あの人を見かけた。
桐谷悠真。
今日も別の誰かを連れていた。
また違う相手。
今度は、黒髪の、落ち着いた雰囲気の男。
おそろいみたいなシンプルな黒のシャツ。
ふたり並んで歩く後ろ姿が、どうしようもなく似合っていた。
桐谷は、笑っていた。
普段の無機質な微笑みじゃない。
心から、誰かと過ごす時間を楽しんでいるような、あたたかい笑顔だった。
裕は、ただ立ち尽くした。
声も、かけられなかった。
名前を呼ぶこともできなかった。
だって、わかっていた。
桐谷にとって、自分は――ただの「義務」だったんだ。
交尾の場に送り込まれて、
ピンクカプセルで準備されて、
「産む派」として生きるために、利用された。
それだけ。
裕の存在は、桐谷の中に、一ミリも刻まれていない。
(……それでいいって、思ってたはずなのに)
こぼれそうになる嗚咽を押し殺して、
裕は、ゆっくりと背を向けた。
守らなきゃいけないものがある。
自分だけじゃない。
この手の中に、育っている小さな命がある。
だから、泣いてる場合じゃない。
桐谷を追いかける暇なんて、もう――ない。
医療センターの、冷たいカプセルに入る。
最後の健診。
最終チェック。
《胎児状態:安定》
《出産推定日まで、十日》
モニターに、産まれるまでのカウントダウンが映る。
(あと、十日……)
裕はお腹をそっと撫でた。
あたたかい命の重さが、じわりと手に伝わってくる。
システムは、相変わらず冷たい。
祝福の言葉なんて、どこにもない。
それでも。
裕の心の中にだけ、確かに芽生えていた。
(君に、会えるんだね)
それだけが、
世界でたった一つの、確かな希望だった。




