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ピンクカプセルが紡ぐ未来  作者: つきや
Pink Capsule Universe 02:ポイント至上主義

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15/30

PCU-02-01 悠真×裕 ①:愛? 何ソレ

 ――ピロン、と軽快な通知音。


 桐谷悠真きりたに ゆうま二十五歳は、わずかに視線を動かし、届いた内容を確認する。


【マッチング完了】

【産む派ユーザーNo.23847と契約可能です】

【本契約成立後、妊娠確認でポイント+100】

【累計:2,600P(Aランク)】


 無機質な文字が、冷たく光る。

 画面に映る相手の顔写真も、名前も、悠真は数秒しか見ない。

 必要なのは「妊娠能力」「契約意欲」「健康状態」――ただそれだけ。


 長い指先でタブレットをなぞりながら、悠真は吐き捨てるように呟いた。


「また100ポイントか。あと400でSランク……」


 身長180センチを軽く超え、整った顔立ちは誰の目にも好印象だろう。

 高学歴。社会インフラを支えるエンジニア。

 国家からも表彰されたことがある、いわばエリート。


 それでも、悠真にとってこの世界は、すべて「数字」でできていた。


 机の上にはマッチング成立済みリストがずらりと並ぶ。

 誰一人、感情の引っかかりはない。

 彼らはただの「実績」であり「踏み台」だった。


 国家システムが定めたポイント制度。

 種付け派は子を作れば作るほど待遇が良くなる。

 家も、税も、年金も、すべてはポイントに応じて変わる。

 愛や感情など、もはや「コストのかかる無駄」でしかない。


「愛? バカバカしい。ポイントさえあれば、すべて手に入る」


 冷えた目で画面を見つめながら、悠真は淡々と返信ボタンを押した。


【契約希望。日時を指定してください】


 相手がどんな顔をして待っているのか。

 どんな気持ちでいるのか。

 そんなもの、最初から興味すらなかった。


 ただカレンダーの隙間を、埋めていくだけ。

 それが桐谷悠真という男の「生き方」だった。





 ――契約当日。


 待ち合わせのカフェ。


 佐伯裕さえき ゆうは、緊張で指先を小刻みに震わせながら席に座っていた。


 涼しい室内にもかかわらず、手にはじっとりと汗が滲んでいる。

 眼鏡の奥の目は、何度も入り口を見つめ、胸を高鳴らせていた。


 彼はまだ十八歳。

 この春、高校を卒業したばかりの専門学校生。

 身長は平均的で、顔立ちも特筆すべきところはない。

 けれど、そんな自分を選んでくれた桐谷悠真に、裕は心から憧れていた。


(……好きな人の子供を産むって、どんな気持ちなんだろう)


 カフェのガラスに映る自分の顔を見て、裕は小さく深呼吸をする。

 高ぶる心を押さえきれない。

 生まれて初めての「恋」のような、くすぐったい感情。

 胸にあふれる期待と不安。


 カラン、とカフェのドアが鳴った瞬間、ゆうは心臓が飛び出しそうになった。


 現れた男は、雑誌から抜け出してきたようだった。

 高身長、細身、無駄のない立ち姿。深いブラウンの髪に、切れ長の目。鼻筋はすっと通り、うっすらと笑っているような口元。


(……かっこいい……!)


 裕の胸が、きゅうっと音を立てた気がした。

 手汗をぎゅっとズボンに拭う。


 思っていた以上だ。いや、想像なんか遥かに超えている。

 これが、これから「子供を一緒に作る」人なんだ。

 そう思った瞬間、顔から耳まで一気に熱が上った。


 きっと、優しく手を取ってくれる。

 きっと、ぎゅっと抱きしめてくれる。

 きっと、「大事にする」って言ってくれる――。


 幼い妄想が頭の中で膨らんでいく。


 だけど、現実はあっけなかった。


 悠真ゆうまは、カフェの席に着くなり、タブレット端末を取り出し、無表情で裕を一瞥する。

 検品でもするみたいに、冷たく。


「プロフィール、確認済み。健康状態問題なし、過去の妊娠歴なし。――今月中に妊娠すればポイント条件も満たせる。悪くない」


 ビジネス用の声。温度のない瞳。


 妄想していた優しさなんて、どこにもなかった。


 それでも裕は諦めきれず、勇気を振り絞って口を開く。


「えっと……僕、ちゃんと愛し合ってから子供を作りたいって思ってて。  この世界でも、そういうのって大事だと思うんです」


 細い声だった。

 でも、それが裕の本心だった。


 けれど悠真は、まるで「壊れたおもちゃを見た」ときのような冷めた目で言った。


「愛なんて必要ない。君もポイントが欲しいんだろ? 俺も、ポイントが欲しい。ただそれだけだ」


 ぐさりと突き刺さる言葉だった。

 裕は俯き、唇を噛んだ。


 そんな裕の迷いなど意にも介さず、悠真はタブレットの契約画面を開き、ペンを差し出した。


「とりあえず、妊娠確認まで手順を進めよう。あとは医療センターが管理する」


 裕は震える手で、サインした。

 ペン先がかすかに擦れる音だけが、静かなカフェに響いた。





 カフェを出た二人は、そのままシステムが用意した施設へ向かった。

 一見すると高級ホテルのように見える建物。

 大理石のエントランス、重厚なドア、ふかふかの絨毯。


 けれど、どこか違和感があった。

 受付には無表情なスタッフ。部屋の入り口には小さなプレート。


【繁殖用ユニットB4】


 無機質な番号と、「繁殖」という冷たい言葉。


(……ここで……?)


 裕の足がすくむ。


 でも悠真は何の躊躇もなかった。

 淡々と電子キーをかざし、ドアを開ける。


 中はまるで映画のラブシーンみたいだった。

 広くて清潔なベッド、優しい間接照明、柔らかいリネンの香り。


 だが、壁には小さく「記録カメラ作動中」の表示。


 優雅に見えて、すべて「記録と管理」のためだった。


 悠真は無言でジャケットを脱ぎ、ベッドに腰掛ける。


「こっち、来い」


 その声に、裕はびくりと震えた。

 まるで作業の一環みたいな悠真の仕草が、胸を痛めた。


 初めてだった。

 何もかもが怖かった。


 けれど、――好きだから。

 裕は、きゅっと拳を握って、覚悟を決めて歩み寄った。


 ホテル仕様の「繁殖ユニットB4」のドアが、重い音を立てて閉まった。


 その瞬間、裕の体はびくりと震えた。

 静かな部屋に二人きり。空調の音すら遠い。


 室内は徹底的に「それ用」に設計されていた。


 純白のシーツとピローケースは、新品独特の少しだけ甘い香り。

 ホテル仕様といっても、どこか無機質で――まるで病院の個室のような空間。


 ベッドの傍には、無骨な銀色のボックスが置かれている。

 「使用済み用品はこちらへ」と簡素な文字。


 その隣、目立たない位置に、ひとつのケースがあった。


 ――《《ピンクカプセル》》。


 透明なプラスチックに収められた、ほんの小さな錠剤。

 うっすらと艶めくピンク色は、どこか不自然なほど明るい。

 ラベルには事務的なフォントで、たった一言。


 【受胎促進剤・必ず服用してください】


 無機質な指示。

 拒否権はない。


 裕はそっと、カプセルに触れた。

 硬質な感触。

 冷たくも、温かくもない。


(……これを飲んだら――本当に、もう戻れないんだ)


 頭では分かっていた。

 でも、身体が震えた。


 隣を見れば、桐谷悠真は慣れた手つきでシャツのボタンを外している。

 何の迷いもない。

 この場所にも、この流れにも、すべて馴染んでいる。


 裕は、喉の奥で小さく息を呑んだ。


 ひとりだけ、取り残されている気がした。


 逃げ場も、救いもないこの部屋で。

 ただ、システムに管理された"交尾"をこなすためだけに――

 新品のベッドと、ピンクのカプセルと、無表情な指示が、裕を追い詰めていた。


 裕は、ピンクカプセルを指先でつまみあげた。

 それだけで、指が少し震える。


 カプセルを唇に当てた瞬間、微かに薬品の匂いが鼻に抜けた。

 それを感じたとたん、胃の奥がぎゅっと縮む。


 ――これを飲めば、確実に「産む体」になる。


 目をぎゅっと閉じて、カプセルを飲み込んだ。

 喉を通る感覚は、生ぬるくて、異物だった。

 カプセルが胃の中に落ちていくのを、裕ははっきりと感じた。


 その直後。


 「立って」


 桐谷の冷たい声が落ちてくる。


 裕はびくりと肩を跳ねさせながら、命令に従った。

 足が頼りない。呼吸が浅い。


 そんな様子を、桐谷は一瞥するだけで、何も言わない。

 優しくもない。気遣いもない。

 ただ、事務作業のように、裕の手首を掴んだ。


 力強くもなく、でも逃げられない強さで。

 まるで壊れ物に触れるような、無感情な手つきだった。


 そしてそのまま、ベッドへ連れて行かれる。


 足元がふらつき、裕は桐谷に身体を預けるような格好になる。

 でも、桐谷は支えもしない。

 ただ、ベッドの縁に裕を押し倒すだけだった。


 新品のシーツが、くしゃりと音を立てた。


 裕は、硬直したまま、天井を見つめた。

 白い。冷たい。何もない天井。

 そこに救いなんて、どこにもなかった。


 桐谷の指が、機械的に裕の身体に触れる。

 熱も、感情も、伝わってこない。

 裕は思わず、首をすくめた。


 (……こんなはずじゃ、なかった)


 好きな人と、ちゃんと、愛し合って、

 そんなふうにして子供を授かるのだと思っていた。


 でもここにあるのは、

 管理されたベッド。

 義務として飲んだピンクカプセル。

 無感情な相手。


 裕は、唇を噛んだ。

 痛みだけが、唯一、自分が生きている証だった。


 桐谷の熱が体内に押し入り、行為は淡々と進んでいく。

 呼吸が交わることもなく、目を合わせることもなく、

 決められた手順のように、すべては終わった。



 裕はシーツの上で、小さく身体を丸めた。

 桐谷は、シャワーも浴びずに服を整えると、さっさとタブレットを開き、記録を付けている。


 「これで完了。あとは医療センターに行って、検査受けとけ」


 それだけを告げると、桐谷はドアへ向かった。

 振り返りもしない。


 裕は、ひとり、シーツの海に取り残された。

 どこかで乾いた機械音が、次の予約通知を告げていた。





 初めての健診は、想像以上に無機質だった。


 裕は指定された医療センターに出向いた。

 受付は、透明なスクリーン越しに行われる。

 無表情の事務員が、冷たい声で手続きを促した。


 「佐伯裕さん、初期確認、ですね。

  ――では、機械に入ってください」


 渡されたカードキーを手に、裕は無言で指示されたブースへ向かう。

 白い無人カプセルのような検査機械。

 「産む派専用」とプレートが貼られている。


 怖い、と思った。

 だけど、後戻りはできない。


 カプセルに入ると、ドアが自動で閉まる。

 密閉空間に、心臓が跳ねた。


 無機質な音声案内が響く。


 《妊娠可能性、確認作業を開始します》


 温かいジェルのようなものが腹部に塗られ、

 機械のアームが無表情に動く。

 モニターに、何やら波形が映った。


 《着床初期段階、確認》

 《おめでとうございます。妊娠判定:陽性》


 「……え?」


 裕は思わず声を漏らした。

 誰も答えない。

 冷たい機械音だけが続く。


 《今後は、月一回の健診が義務付けられます。

  違反した場合、ポイント減算及び罰則対象となります》


 まるで、ただの作業の進捗報告だった。


 下腹の奥に、小さな命が宿った。

 それなのに、誰ひとり、祝福の言葉をくれる人はいなかった。


 裕はカプセルを出て、カードキーを返却する。

 事務員は書類を手渡すだけで、目も合わせない。


 「次回健診までに異常があれば、自費で対応をお願いします」


 それだけ。


 裕は小さくお辞儀して、医療センターを後にした。

 春の空はやけに眩しくて、泣きたくなった。


 だけど、泣く場所もなかった。


 



 数週間後。


 裕は、用事の帰りに立ち寄った駅ビルのカフェで、その人影を見た。


 ――桐谷悠真。


 すぐにわかった。

 背の高いシルエット。

 無駄のない仕草。

 座ったままでもわかる、モデルのようなバランスのいい身体。


 でも、その隣には、別の人がいた。


 若い。

 裕と同じくらいの年齢か、もしかしたらもっと幼いかもしれない。

 ふわふわした茶髪。

 甘ったるい笑顔。

 桐谷に身体ごと寄りかかるようにして、笑いかけている。


 桐谷は、少しだけ口元を緩めて、

 その子の髪を撫でた。


 ――優しい。


 裕は、知らない顔を見た気がした。

 自分に向けられたことのない、そんな柔らかさ。


 (……ああ)


 裕は胸の奥が、ぎゅうっと締めつけられるのを感じた。


 自分には、あんな顔を見せてくれなかった。

 自分は、ただポイントを稼ぐための「誰か」でしかなかった。


 わかっていたはずなのに。

 期待なんて、していなかったはずなのに。


 それでも。


 目から溢れそうになるものを、裕は必死に堪えた。


 カフェのガラス越しに、

 桐谷と、笑う誰かを見ながら。


 ポケットの中で、そっと、お腹に手を当てた。


 (君だけは、絶対に、大事にするからね)


 小さく心の中で、芽生えた命に誓った。

 それだけが、裕をかろうじて、立たせていた。




 季節が巡る。


 裕のお腹は、目に見えて膨らんできた。


 最初は、ほんの小さなふくらみだった。

 けれど、今ではシャツの上からでもわかるほど、

 しっかりと存在を主張している。


 歩くたびに重みを感じる。

 座るとき、寝るとき、立ち上がるとき。

 すべての動作が、前とは違っていた。


 身体がきついのは、もちろん。

 だけど、それ以上に――孤独だった。


 誰にも頼れなかった。

 助けてくれる人なんて、最初からいなかった。


 (……大丈夫、大丈夫だ)


 裕は何度も自分に言い聞かせた。

 だけど、時々、怖くて仕方がなくなる。

 夜中、目が覚めたとき。

 ひとりで、静かに涙をこぼした。


 それでも、健診にはちゃんと通った。

 誰も優しくはなかったけれど、

 それでも、命は確かに育っている。


 機械の冷たいアームが腹をなでるたび、

 モニターに小さな心音が映るたび、

 裕は思った。


 (君は、生きてる)


 それだけが、救いだった。


 


 ――そして。


 出産前、最後の健診の日。


 センターに向かう途中で、裕はまた、あの人を見かけた。


 桐谷悠真。


 今日も別の誰かを連れていた。

 また違う相手。

 今度は、黒髪の、落ち着いた雰囲気の男。

 おそろいみたいなシンプルな黒のシャツ。

 ふたり並んで歩く後ろ姿が、どうしようもなく似合っていた。


 桐谷は、笑っていた。

 普段の無機質な微笑みじゃない。

 心から、誰かと過ごす時間を楽しんでいるような、あたたかい笑顔だった。


 裕は、ただ立ち尽くした。


 声も、かけられなかった。

 名前を呼ぶこともできなかった。


 だって、わかっていた。

 桐谷にとって、自分は――ただの「義務」だったんだ。


 交尾の場に送り込まれて、

 ピンクカプセルで準備されて、

 「産む派」として生きるために、利用された。


 それだけ。


 裕の存在は、桐谷の中に、一ミリも刻まれていない。


 (……それでいいって、思ってたはずなのに)


 こぼれそうになる嗚咽を押し殺して、

 裕は、ゆっくりと背を向けた。


 守らなきゃいけないものがある。

 自分だけじゃない。

 この手の中に、育っている小さな命がある。


 だから、泣いてる場合じゃない。

 桐谷を追いかける暇なんて、もう――ない。


 


 医療センターの、冷たいカプセルに入る。


 最後の健診。

 最終チェック。


 《胎児状態:安定》

 《出産推定日まで、十日》


 モニターに、産まれるまでのカウントダウンが映る。


 (あと、十日……)


 裕はお腹をそっと撫でた。

 あたたかい命の重さが、じわりと手に伝わってくる。


 システムは、相変わらず冷たい。

 祝福の言葉なんて、どこにもない。


 それでも。


 裕の心の中にだけ、確かに芽生えていた。


 (君に、会えるんだね)


 それだけが、

 世界でたった一つの、確かな希望だった。


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