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追放勇者は家庭教師  作者: 七原七原
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一夜の転機

 さて、そういう風にして俺の新生活は始まった。新天地で、新生活だ。思ったよりも快適な居心地で、俺は旅に縛られていた心を落ち着けることが出来ていた。

 しかしその一方で、当の仕事は……つまり、イリスの成績の改善という仕事は、あまり上手くいっていなかった。


 まず初めに行ったことは、単純に魔術の行使に関しての教授だった。最も初歩的な魔術、魔力の塊に属性を付与して撃ち出すという攻撃魔術を、その理論から実行に至るまで、今一度イリスに確認させながら行わせたのである。


 ここに何か問題があるのならば、話は簡単だった。初歩の初歩だ。ちょいと軽く矯正すればいい。楽な仕事だ。

 しかし、その所作には欠点など一つとしてなかった。


 いや、むしろ素晴らしいぐらいだ。そりゃあ実際の戦闘に使うには隙だらけで心許ないが、そこは分野が違うと言うことで、寧ろ貴族の行使する魔術としては礼節も交え、完璧に近いほどである。


 俺が、「中々やるじゃないの」と声を掛ければ、彼女ははにかみながらも「いえ、全然ですよ」と謙遜の言葉さえ口にしたほどだ。


 しかし、謙遜が出来たのは初歩魔術から少し発展したところまでだった。


 初歩魔術の応用から既に、イリスの表情は段々苦しくなっていった。中級に至っては、顔は青白く、その手際もまた、誰から見ても酷いものであった。


 まず、発動までが遅い。そしてようやく放たれた魔術も、中級と言うには威力が低すぎて、一般に想定されるそれの一回り二回りも下回っている。

 そして、放たれた後のイリスの様子は、魔力の枯渇に息も絶え絶えで、放たれた魔術の劣悪さに悔しむ表情さえ、浮かべられないほどだった。


「おいおい、大丈夫ですか」

「……っ、はぁっ……いつものことなので……」

「……そうですかい」


 俺は気のない返事をしながら、今行われた魔術の仔細を思い返していた。その発動の速度、魔力の属性変換、攻勢への転換、そうして出した結論は……。


 ――イリスは、魔術を勉強していないのか?


 そう、俺は思った。


 魔術の発動が遅いと言うことは、そもそも、魔術を十分に理解していないと言うことである。威力が低いのも、異常に魔力の枯渇が早いのも、それら全てが同じ理由に集約される。

 自分が今何をやろうとしているのか、分からぬままに行えるほど魔術というものは簡単では無いのだ。


 しかし、伯爵から聞くに、学院では一年までには中級の魔術は全て習うと……そもそも、貴族ならば入学前に家庭教師から習っているのが常であるという。

 イリスもまた、セルドニア家の雇った家庭教師から、入学前までには中級魔術の理論を修め、上級の魔術さえ勉強していたほどだと語っていた。


 実際、学院の成績を確認してみても、実技の成績は惨憺たる有様だったが、座学に関しては中々良い成績だった。

 だが、目の前で行使されたイリスの魔術には、その学習の過程で当然生まれるはずの魔術への理解、慣れや親しみといったものがまるで欠けていた。


 ――話は変わるが、一般に、魔術そのものへの理解不足から来るこういった不得手というものは、冒険者に多く見られる。


 付き合いや実戦の中に見よう見まねで覚えたものの、その更に上の段階や、別の属性の魔術は行使できないものが普通である。例え覚えたのが上級の魔術であっても、そのまま下級を行使することさえ難しいのだ。


 それは偏に、彼らが正当に魔術を行使していないからである。彼らが使うのは魔術を自分なりに真似て、なんとか形として使えるようにしただけの、模倣以前のものでしか無い。

 理解の段階を踏んでいないから、熟練によって更に難しい魔術や、もっと平易な魔術を使うことが出来ないのだ。


 イリスの魔術には、彼らと似通った感じがあった。理論が欠けた、上辺だけの真似事といった印象がそこにはあった。


 しかし、ならば何故? といった疑問が浮かんでくる。イリスはまず理論から学び、そこから実践へと移行している。冒険者たちのように、変な覚え方や手癖で感覚が歪むような事は無いはずだ。


 実際、魔術行使の前に理論を尋ねてみれば、学院の教科書に書かれていることがそのまま返ってきた。イリスは、魔術理論を諳んじることが出来るほどに理解を深めている。学習は確かに存在しているのである。


 そのはずであるのに、イリスが碌に魔術を使えないのは、魔術行使の度に、苦悶に息を荒げるのは……一体何を理由としているのだろうか。






「どうですかね」


 豪華な夕食の後のティータイムに、伯爵はそう切り出した。


「イリスさんの事ですか」

「ええ、ええ。その通りです。それで、どうですか。新学期が始まって数日経ちましたが、目処は立ちましたかね……?」

「ふうむ……」


 俺は遠慮がちな呻き声と共に茶を啜った。


 進歩を聞かれてのその反応は、実質答えているようなものだった。しかし、伯爵は何でもいいから言葉が欲しいようで、器を傾ける間もじっとこちらを見続けたまま黙っていた。


 だから、俺は思い切って直球に言った。


「良くないですね」

「……良くない、良くない、と」


 伯爵は、噛み締めるように繰り返した。


「はい。まるで目処が立っていません。イリスさんが何故、初歩魔術は完璧に出来るのに中級魔術が出来ないのか、その理由は先日お話ししましたよね」

「……そもそも、魔術自体を理解していないと」

「ええ」

「中級魔術が使えないで、初歩魔術が使えるように見えるのも、初歩魔術に関しては、理論だけを覚えることで浅い魔術への理解を補っており、実体は表面だけをなぞっているに過ぎないと、そう、ニールさんは……」

「ええ、そう言いました」


 その答えに、伯爵は何かをぐっと噛み締めるかのように軽く俯いて、カップになみなみと注がれた茶を一息に飲み干した。

 熱くないのかね、と思っている内に、伯爵はカップを、勢いに反してそっと置き、詰まる喉を苦しげに叩きながら、言った。


「えっほ、げっほ! ……だが、しかしですよ! イリスは勉強に関しては人一倍努力を重ねて、学院でもそちらに関しては秀才と言われるほどでして、魔術の理解が浅い、なんてことは無いはずです……!」

「だからこそ不可解なんですよ」

「…………」


 深い沈黙が下りる。


「……イリスさんは、座学に関しては優秀です。だからこそ、今後の目処が立たないんです。本人も魔術を分かっているはずなのに、実際には全然分かっていない。この矛盾を埋めるための答えを今探しているところですが、どうにも……」

「そうですか……」

「無属性魔術も一応見ましたがね、あれには下級も上級も決められていませんから、ただ出来る事が出来る、という風です」

「……成る程、ですね」


 伯爵はすっかり気落ちして、声の張りも萎んでしまっていた。だが、実を言うと俺は、一つ気になっている事があった。


 それは、今言った無属性魔術に関してだった。他の魔術に関しては嘘偽り無く言ったままその通り……理解も成しに上辺だけを真似ている、と言った印象だが、無属性魔術に関してだけは、違ったのだ。


 あの、どういう理論で行われるのかも全く不明な魔術を行使する際にだけ、上辺だけの物真似と言った印象は払拭され、通常の……いや、通常以上に理解を深めて、心の底から確信を込めて、行使されたように見えたのである。


 勿論この印象は、単なる勘違いかもしれない。だが、俺はそういう、常人とは異なる、心の底から放たれる魔術というのを幾らか目にしたことがあった。


 それは例えば『勇者』アルフが放つ光と闇の魔術であり、『僧侶』グウェンが行使する治癒魔術であった。

 彼らの魔術は特定の属性にだけ偏って、通常のそれとは隔絶した凄まじい威力を発揮する。それらは先天に獲得した、偏った才能による特異な魔術の行使であり……説明のしようのない、才能の領域の話であった。


 だからこそ、俺はこの懸念を口にしなかった。

 もしその才能が、無属性魔術が行使できる、得意である、というだけなら何の問題も無い。純粋に素晴らしい才能だと言えるだろう。

 しかし、この未知なる才能にこそ、イリスの魔術行使を邪魔している原因があるというのなら、話は全くの別になる。


 原因が無属性魔術にある。そう言ってしまえば、どうなるだろうか。

 無属性魔術とは未知の魔術である。未知の魔術の、未知の才能が原因で、普通の魔術を行使できないならば、どうやってこの問題を解決しろというのだろう?

 ……この先、最先端の魔術師達が一生を掛けて、何年も何年もかかって、無属性魔術とは何か、普通の魔術との違いとは何かを理解して、その情報が王国の貴族あたりに開示され初めてようやく、俺が今向き合っている問題は解決することになるのだ。


「途方も無い」


 俺は口の中で呟いた。途方も無い、途方も無さ過ぎる話である。それは実質、一生初級以上の魔術が使えないことを告げるのに等しかった。


 だから俺は、この可能性を無視して別の方法を探るしか無かった。


「……いや、しかし全く、ありがとうございます」

「うん?」


 伯爵は俺に向けて頭を下げた。再び上げられたその顔には真摯な瞳が宿っており、この話を聞いてなお、伯爵は俺にイリスを預けようとしているのだと察せられた。


「ニールさん、こんなに熱心にイリスの子を考えて下さって、本当にありがとうございます! 今はまだ糸口が見つからなくても、何時かきっと、貴方なら出来ると信じていますよ!」

「いやあ、どうも……」

「――イリスもそう思うだろう!?」


 と、伯爵は突然全く別の方を見た。


「あなた…………」

「……あー」


 そこにはイリスと奥方が座っていた。


 奥方は僅かな怒りを含ませるように溜息を吐いていたが、イリスに関しては、俯いた表情は髪に隠されて窺えないものの、傍目にもげっっっそりとしていて落ち込んでいるようだった。


 そう、伯爵は何を思ったのか、夕食の後の団欒の時間に唐突にこの話を始めたのだ。

 当然、話題の中心であったイリスは、伯爵と俺の一言一言に顔を青ざめさせて、用意された茶も途中から全く手を付けなくなっていた。


 大丈夫なのかこれ。勿論貴族としての伯爵の人間性や口の軽さも心配だが……いや、今後を考えると本当に心配だが、今はそれ以上にイリスが心配だ。


「ま、まあ、なんとかなりますよ。イリスさん」

「……そう、ですかね」

「ははは……」


 俺は誤魔化すように下手糞に笑った。

 いや、もう、ほんと、笑うしかない。






 その晩の事である。俺は気分転換に夜の庭を歩いていた。


 無論、時刻を過ぎて門外へ出ることは許されていないが、こうして庭を散歩するだけなら護衛や監視も付けられずに歩くことが出来ていた。こういった点も、思った以上の快適な暮らしを形成する要素の一つである。


 眠らぬ王都の街光に、空はうっすらと明るくて、だから星が見えなかった。月は流石に図抜けて明るいが、その輝きを頼りに草木を探る必要は無い。夜を歩くのに月が必要ないほどに、王都の夜は明るかった。


 そういった新鮮さに物寂しさを抱いていたその時、ふと、風を切るような音を聞いた。それは自然の音では無かった。ひゅっ、ひゅうっ、と鋭い音が、続けざまに重ねられている。


 ――まるで、剣を振るような音だ。それもかなりの腕前の……。


 しかし、この邸宅に剣術を趣味とするような者はいなかったはずだ。下男下女が隠れて趣味にやっているなら別だが、それならこんな屋敷の近くで行わなくても良いだろう。

 王都には他にも剣の振れる場所はある。道場や、練兵場を間借りしても良い。もし職務中でも我慢できないほどならば、この腕前なのだから、出奔しても剣で食っていけるはずだ。


「他の可能性としては……いや、まさか、泥棒が素振りをしているわけないもんな」


 不思議に思いながら俺は音の元へと歩いた。近付くごとにそれははっきりと聞こえて、自然、剣を振るう当人の姿も浮かび上がってくる。


 その音は単純な素振りでは無く、実践を想定した剣技だった。振るわれる剣は空間を縦横無尽に切り裂いてなお止まらず、想像上の相手を散り散りに刻んで、一つ呼吸、続けて更に振るわれる。

 必死さを感じさせる修練の音だった。まるで、自分の肉体を痛め付ける事を目的にしているようであり、自分を憎んでさえいるようにさえ思われた。


 それは本当に凄まじかった。その剣閃が一つ重ねられる度、宙を裂く音の鋭さが増していた。

 異常な成長の速度だ。俺の知る究極にはまだまだ遠いとしても、一秒一秒に熟練を重ねるその速度は本当に異常だった。


「凄いな、ほんと……」


 音を探り行き着いた、ある暗がりを前に俺は呟いた。

 この草木に囲まれた中にその人はいる。果たしてその正体は、暇を飽かした下男下女か、貴族の家で素振りをしてみたかった狂った剣客か、それとも意外に伯爵か。


 ……何だか、伯爵が一番有り得そうなのが嫌だな。


 そんな妄想にかぶりを振って、払い落として、俺は暗がりに向けて言った。


「誰だ!」


 途端に、ひゅっ、という不意を突かれた声と共に風切りの音は止まり、それから何の音も立てられなくなった。


 無音の内に、じりじりとした緊張感が続くかと思われた。だが、暗がりに剣を落とす音が聞こえたかと思うと、草木の間から人影が姿を現した。


 果たして正体は誰か。下男下女か、剣客か、それともやはり伯爵か? 俺は不慮の事態に備えて構えた。

 しかし、夜空に照らされて見えた顔は、実に意外なものだった。


「――――イリスさん?」


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