第二章2、『冬のような夜空』
外はすっかり暗くなってしまっていた。
それでも、生徒たちや大人たちはそんなことも関係なしに、せかせかと、せっせと、何か忙しそうに何かをしている。
それにしても、冬というものは随分と寒いもので、そんな冬と言えばやはり、どうしようもなく寒いことと言える。アズマ・ノーデン・ラプラスという人間にとって、『冬になった』という判断を取るために必要としていた情報は、これまで『寒いこと』だけだった。
「――」
足を止める。
その夜空には、三つの輝く星が浮かんでいた。
ちなみに補足だが、他にも星が輝いていたが、それよりもその三つはより輝いている風に彼は見て取れていたのだ。そんなアズマに対して、お前も一体何をしているのだろうかと摩訶不思議そうに首を傾げていたイザベラ・ダーレスは「あぁ、あれは――」と上から目線にある言葉を告げてきた。
「――冬の大三角形、だね」
「あぁ、そうだな」
てっきり、知らないものかと。
そんな顔をアズマは向けられて、キレて良いものか悩み、結果として苦笑いする。
「『冬はつとめて』」
「……枕草子?」
「彼女曰く、朝の間、忙しそうに何らかの準備をしている様を、『冬らしい』と定義したらしい。そんでもって、詳しいことは知らないけどさ、昴に思いを馳せていた彼女なら、アレに気づけても、気づいていても、おかしくないはずだろ?」
アズマは前に進み出す。
いきなり変なことを言い出したアズマを大丈夫かコイツ、とあからさまに心配するような素振りがダーレスから見て取れることだろう。
そして、それでも、彼女はアズマに足を揃えた。
「冬は寒いだけじゃない、あんなに綺麗な星だって浮かんでる。心が震えたよ、こんな風に冬だって分かることもできるんだって知れたんだから!」
嬉しそうな表情だと、誰にだって理解できる顔だった。
それは演技ではない。
それは心からの声のように思われた。
(――なるほど、そーゆーお年頃か……)
そんな心からの喜びを、そんな風に片付けられているとは、アズマはこれっぽっちも知ることはなかった。
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そんな出来事があったのは、トム・ジェイソンとアズマ・ノーデン・ラプラスの戦いがあってから数日後のことである。
「ん、よっと」
声が一つ。
場所はイギリス――そのはずだが、その建物の作りは日本のそれだ。そこまで古くはないはずなのだが、ギィと古びたアパートにあるような扉を開くと、スタスタとこちらに向けて駆けてくるような――実際に駆けてきているような音をアズマは受け取った。
数歩だけ前へ進んで、
「ただいまぁ」
我ながら気の抜けた声を出した。
それを待ちわびていたように、
「お帰りなさい、アズマ君。私にします? 私にします? それとも……ごめんなさい、やっぱり恥ずかしいのでやめて良いですかね、これ?」
ノエル・アナスタシアは顔が近いまでに飛び出してくる。
「い、いや、始めたのはそっちだから好きにして良いけど」
「今、アズマ君を好きにして良いって言いました?」
「ボケるのか正気に戻るのかはっきりして欲しいな、俺的には」
さて、アズマは男子寮で暮らしていない。
自らの護衛対象であるノエル・アナスタシアの部屋――女子寮で暮している。その所以を語るのだとして、それは二つの大きな理由を挙げることが出来るはずだ。
一つ、元々与えられた部屋が燃やされて使えない。
二つ、護衛対象であるノエル・アナスタシアと共に行動しておいた方が物事がスムーズに進む。
もしかしたら、これに嫌が痩せが付け加えられるかもしれない。
「……そいやぁ、イドラは? 家にいるはずだろ?」
「一人でぶつぶつ話しています」
男女屋根の下、何も起きないわけもなく……なんて、現実にはありえないようなテンプレを語るまでもなく、そんなわけでアズマが問題としていたのは、部屋の広さと十人の数が比例していないことである。
「話って一人でできるものだっけ?」
「呟いています」
「ん、なるほど。訳がわからんがよくわかった」
イドラ。
シスター・イドラ。
【世界神秘対策機構】の【参謀】たる【パンドラ】直属の部下の一人であり、限りなく【奇跡】の特性を強く兼ね備えているとされる【魔術】を司っている、燃え袖眼鏡の魔術師だ。
一応、日本語以外が使えないアズマのために派遣された翻訳担当なのだが、ここ最近は出番がないことで有名だ。レクシーやノエルたちによる英語のお勉強とやらのおかげで、メキメキと話せるようになっていることが要因だろう。だとしても、その成長スピードは異様なのであるが……。
常日頃身に着けている黒いローブを脱ぎながら、いつものようにノエルと共にリビングへとアズマは向かう。
「あ、アズマ様。ちょうど良いところに来てくださいました」
「どうかしたのか?」
それはそうと、この時、動きにくかったのか、普段は萌え袖になっている修道服を彼女は捲っていた。
珍しく、はっきりと見える手の指を顎に当てていた。
「私はずっと疑問に思っておりました。昔のアズマ様は、【魔術】を会得していたのか、と」
「……そう言えば、【魔術】ってどういう風に使うんだ?」
「呼吸みたいなものでございます。いつもは普通の呼吸でございますが、【魔術】を使うときだけは過呼吸になる、みたいな」
「何それ怖い」
恐らくは、【魔術】を使用する際と使用しない際の切り替えを具体的に伝えたかったのだろうが、残念ながらアズマにはうまく伝わらない。どちらかというと、過呼吸が『危ないもの』という認知であったため、【魔術】イコール『危険なもの』という印象が生まれてしまっていた。
もちろん、ふざけている。
「……ノエル様は、【転生者】と言うこの世界で最大級と呼べる神秘を生まれながら持っておられています。【神秘】を好む者は、自然と【神秘】に身を漬かしている、同時にそれは一般人は嫌悪する、……とある魔術師の言葉でございます。これに則りますと、ノエル様の持つ【神秘】に匹敵する、していないとしても、少なくとも、アズマ様は【神秘】を持っていることになります」
イドラの説明にノエルは後付けする。
「昔、アズマ君は母様の後を継ぐと言っていました」
「それは……」
表向きには【パンドラ】という女性は一教会のシスターらしい。
実際には【パンドラ】という女性は『世界神秘対策機構』の参謀である。
「確か、母様は、その『世界神秘対策機構』の参謀……なんですよね?」
「はい、その通りでございます。組織をまとめ上げる役割を担っている、と言えばご理解いただけますでしょうか?」
【パンドラ】の後を継ぐと豪語していた『アズマ』は、果たして教会を継ぐという意味合いでノエルにそう宣言していたのだろうか。その『アズマ』という少年がどのような人間だったのかはともかくとして、仮にアズマ・ノーデン・ラプラスという人間ならば、そう言った『遊び』を一枚含めるはずだ。その人間性に変革が起きているかどうかは不明だが――もしも起きていないのなら……。
「でしたら、あの時、アズマ君は、その参謀としての役割を受け継ごうとしていたということになって、だから何らかの【神秘】と関わり合いがあったことは確定……ってことですか?」
「……俺が【魔術】――【神秘】に関わっていたら、だな」
訂正する。
飽く迄それは、『アズマ』が関わることのできる【神秘】の中で【魔術】が最も可能性が高いものである、というだけなのだから。少なくとも、そうしなければならない義務がアズマには存在していた。
少なくとも、そうあるべきだと、アズマは考えている。
「はい、その通りです。……ですが、私は一度もアズマ様のような方が魔術師であるとは、聞いたことがございません」
「秘密裏に動いていたってことは、ありませんかね?」
「あぁ、それはあり得る。それこそ、隠密性に特化した【魔術】だったとかな」
「そ、それに、持っていないかもしれませんよね?」
訂正する。
訂正してしまう。
それが何を意味しているのか、よく考えないままに、アズマはそれを口にしてしまう。
「あぁ、俺がその嫌悪感以上の好意を持っていたかもしれない」
「……はい」
ノエルの声のトーンが歪んだ。
沈んだ。
思わず、笑ってしまいそうにアズマはなってしまう。
(あ、地雷を踏んだな、これ)
同時に、反射的に、話をズラすようにこう口にした。
「……あれ?」
「どうか、なさいましたか?」
実際に、心底おかしそうに。
それは何よりも――【魔術】よりも関わえる可能性が高いものだ。
「いや、その、思ったんだけどさ」
はっきりとそれを見据えて、それはあまりに有り得てしまう話であることに、アズマは戦慄してしまう。――それこそ、【転生者】がアズマに対して、何故か以前に会ったことがあるかのように、違和感を覚えるほど親しげにしていたことへの、ジグソーパズルの正解とも思えるほどのものだった。
(――その時の俺が最初に出会った【神秘】が、ノエルだって可能性は?)
(――俺は既に、【転生者】に出会っていたのだとしたら?)
(――【転生者】と俺は、一体何をしようとしていた?)
その仮説はアズマにとってはどうってことはない。
されど、それは真実に瓜二つのように見えて、それに騙され、それをノエル・アナスタシアが鵜呑みにしてしまったら……。
「……まぁ、この話は、今は置いておこうぜ。なにせもうすぐ、学校は終わる。日本の連中とドンぱちやったら、イギリス本土に戻ることだし、そこでどうなのかはしっかりと俺たちの手で確かめようぜ。どちらにしろ、パンドラなら、絶対に答えを知っているはずだ」
――きっと、苦しむことになる。
「そう……ですね」
その肯定は一体、何なのだろうか。
一体、彼女は何を肯定したのだろうか。
「で、今日の夜ご飯は!?」
「あ、ハヤシライスですよ。」
「手伝うよ、何をすればいい?」
「玉ねぎを斬ってください」
「お、【剣聖】に斬り仕事とは、面白いこと言ってくれるじゃないか」
新しい発見を口にする余裕など、アズマにはありやしなかった。