第二章1、『トム・ジェイソンとの日常』
十二月十七日のことだ。
男子寮というと、昔はアズマが暮らしていた場所である。
現在、彼の部屋は不死鳥フェネクスによってバーニングファイヤされてしまったために(それも、綺麗にアズマの部屋だけ)、密かに修理中ということになっている。そんなこともあって、アズマの担う任務の性質も合間見られてだが、実質的に、表向きには不服ながらも、彼は女子寮にいることが多いのである。そのことを知る生徒が意外にも少ないのだが、(だからこそ)それを知る生徒もわずかにも存在している。
その一人が、かつて『魔術師』としてアズマと対峙した【魔弾の射手】、トム・ジェイソンである。彼の持つ、その合理的な思考は【世界神秘対策機構】でも有名で、それだけでなく、【魔術】を使えることもあってか、有能な人物として知られていた。ただ、現在、彼は実質的に『魔術師』を――その性質上――引退している。それと共に、【世界神秘対策機構】を離脱しているような立場にもあった。理由はそれぞれ、もう【魔術】が使えないこと、ノエルの護衛には指示が通らないことを理由に挙げていた。
さて、そんな彼の部屋は、もちろん男子寮にある。
「しゃあぁ、俺の勝ちぃ!」
「う、嘘だろ……、始めたばかりの素人に僕が負けるだって!?」
さて、学園生活が始まって、あの【剣聖】の名で知られているアズマは、ゲームにハマっていた。更に言うと、その手腕はそこそこやっていたトム・ジェイソンを容易に超えてしまっていたほどだ。全てはこれを彼に勧めた、アンジェリカ・ウィリアムズの所為である。
それはそうと、アズマはトムとゲームをするためにここに来たわけではない。
「それで、話って何だよ」
小さくため息をつくと、アズマは勝負に一区切りついたからか、コントローラーを机の上に置いて、さりげなくそう口にする。イメージの問題で、アズマに対して敵対的なトム・ジェイソンが自分から【剣聖】に関わりを持とうとすることは随分と珍しい出来事であり、尚且つ「ようやく仲良くなれるのではっ!?」とアズマは嬉々としていたわけだった。
「……実は、こんな手紙が届けられたんだ」
一瞬の躊躇を垣間見せながら、トムがそう言って差し出してきたのは、その言葉通り、うっすらとした桜色の封筒に包まれている一通の手紙のようなものだった。その封筒の色合いから一見、真新しいように見える。
「これは?」
「今日、僕の下駄箱の中に入っていた」
その視線を逸らしながら、トム・ジェイソンは続ける。
「きっと……いや、読んでみてくれ」
「? 別に良いけど」
アズマは平然とそれを手に取った。
そして、丁寧に扱われていることは分かったのか、そっと歪めないようにやさしく中身を抜き取った。そうして日の目に出てきたのは、見たこともない言語――いや、どことなく英語に見ている文字の羅列が目に入った。そこで、それがレクシーやノエルたちから噂に聞いていたものなのだと気が付いたのであろう。
ポツリと言った。
「なぁ、トム・ジェイソン」
「……何だ?」
「確かに、俺はノエルやイザベラに英語をそこそこ教えてもらっている。だがな、だからと言って、筆記体は読めんぞ?」
「……つまり」
「オマエが読め」
ため息が一つ。
侮蔑のそれであった。
「……内容はこうだ」
完全に感情が込められていない、機械のような声色で彼は言う。
「拝啓、トム・ジェイソン様。
明日の放課後、屋上に来てくださりませんか?
大切な話がございます。
貴方様が来ることを、心より願っております」
数秒間、トムの部屋が静寂に包まれる。
トム・ジェイソンは恨めしそうにアズマを睨んで、アズマ・ノーデン・ラプラスは気まずそうに目を逸らしていた。
「……は、はは。うん、なるほど」
目を合わせずに、アズマは納得したように頷く。
なにせ、この手の話は最近よくされるものだったからだ。駄目なものは、駄目と言う話だ。なるほど遂に、あのレクシーがこのトムの手を借りたということだろう。猫の手も借りたい、なんて状況なのだろう。
そんな勘違いだった。
「やはり、そうだろうか?」
運のいいことに、そこでアズマは違和感を感じた。幸いなことに、その違和感の正体を調べようと彼は思い至ることに成功していたのである。
「あぁ、理解したぜ、魔弾の。分かった、ここまでするってことはそれほどに俺が屋上を使うことが気に食わないんだな?」
「……ん?」
「どうせ、レクシーのやつから言われたんだろ? 分かったよ、分かったって。最近、ようやく、授業中に眠らずに済むようになったし、そろそろこれもやめなきゃいけんと思ってたんだよ」
アズマには日課として、放課後の屋上で外を眺めていることが多い。むろん、屋上は危険とされているために使用は禁止されている。そもそも、レクシーが【神秘】と関わるようになってしまったのは、ここに立ち入ったアズマの所為であり、彼女は校則以前の問題として、彼が屋上に行くことを如何にしたものかと思っていた。止めるべき理由があるのにやめなかったのは、単純に一人になれる時間が欲しかったからでもあるのだが、ここまでされるとなると流石に考えを改めるべきだろう、との結論に至る。
……が、それを聞いたトムは困ったような顔をする。具体的には、苦笑いをされてしまう。基本無表情の彼にしては珍しい。
「……いや、そうではなく」
「え、違うのか?」
「……これは僕が書いたものでも、委員長が書いたものでもない。正体不明の人物からの貰い物だ。性別はきっと、女性だろう」
「え、何で分かんの?」
「……確かに、女性じゃない可能性はあるが……個人的には女性であって欲しいと言う願望に過ぎないのだが……」
「?」
アズマは可不思議なものを見たかのように首を傾げた。
「まさか……新しい敵対勢力か?」
「ふざけてるのか?」
「いや、大真面目だけど?」
キョトンとした表情でアズマがそう口にすると、呆れたようにトムは天井を仰ぎ、疲れたようにため息をついた。そして、自分の失敗を恨んでいるような声で、面倒見の良さが見え見えの様子で言う。
「世の中には、ラブレターと言うやつがある」
「……愛の手紙?」
覚えたての英語でアズマは誇らしげにそう訳した。その後、ハッとした表情をすると、驚いたような声色で叫んだ。
「あれって……愛の言葉だったのかっ!?」
――もちろんふざけて言っているのだろうが、自分への言葉であるという思い込みが足を引っ張っているのかもしれない。
「そう聞こえたのなら、お前の頭は末期だよ、【剣聖】!」
「だよなぁ、じゃあ、そのラブレターって何なんだよ」
「……これは愛の言葉を伝えるために使われるものだ。そうだな……さっきの手紙は僕を屋上に呼び出していただろう?」
「なるほど……っ!」
殺し合いの際のように嬉々として、アズマは手を叩いて言う。――正しくは、苦手な色恋沙汰の気まずさから茶化すように。
「決闘をするための呼び出しか?」
それを聞いたトムは(鼻で)笑う。
「貴様の脳は筋肉で出来ているのか?」
「冗談だよ」
真面目な声色でアズマがそう返すと、
「……大体わかった。あれだろ? そこで愛の言葉を告白するんだろうな」
そう淡々と口にする。
「で、どう思う?」
「何が?」
が、その雰囲気は一瞬で朽ちて、何も考えていないような声色になった。
きっと、感情が音になって聞こえるなら、ムカッ、なんて者が響いているはずだ。
「いや、嫉妬を望んでいるわけじゃない。ただ、これが本物だと思うか?」
「……知らねぇよ」
ラブレターって概念も知らなかった俺に聞くな、とぶっきらぼうに言い放ちつつも、アズマは続けた。
「ただ、これが悪戯だったとしたら、その仕返しに俺を混ぜろ」
アズマは交戦的な笑みを見せて。
「人の人生に容易に踏み入り、その果てに馬鹿にする。そんなことをする奴は、神が許そうと俺が許さない。他人の思い、感情、それらを侮辱する行為は、俺は絶対に許さない。その思いに、それ以上もそれ以下もない……ってわけだ」
一方で、仮にトム・ジェイソンが明日の放課後に屋上に向かわなければ、アズマは彼と分かり合えぬと襲いかかることだろう。――当然だ、その行為は、名前も知らない誰かの思いを否定することに繋がる。それを見逃すほど、彼は身内には甘くなかった。結局は許してしまうところ、やはり身内に甘いことに変わりはないが……。
「駄目だ。貴様に借りを作るつもりはない」
「っは、ごもっともだ」
そう言って、アズマは再びゲームのコントローラーを握った。そして、ニヤリと楽しげに笑みを浮かべる。
「こうしよう、魔弾の。俺とオマエはまた、このゲームで勝負する。俺が勝ったら、オマエは取り敢えず明日の放課後、その手紙とは関係なしに屋上に行け」
「僕が負けたら?」
「オマエはオマエを信じろ。他でもない、この俺に勝利したトム・ジェイソンという男をな」
「……面白い。乗ってやるよ」
「そうこなくっちゃな」
かつて、命を賭けて争った二人の少年は、隣同士になって座っていた。
その関係は、未だ敵対状態に近い。
ただ、利害の一致で共に歩んでいるだけ。
それでも、あの冬の話のように、友情は生まれるものだ。
その決闘の結末は、二人しか知らない。
多分。