えくすとらA-2『罰か、甘えか』
黄昏時のことだった。
その黄金色の夕日に、僕は既視感を覚えていた。
そこで思い出す。
あの色はノエルの髪によく似ている、と。
温かいようで、どこか懐かしさを感じさせる色だ。これを見て、戦意を失ってしまう人だっていることだろう。そう考えてみると、ノエルの瞳の色にも見覚えがあった。思わず、二度寝してしまいそうなほどに澄んだ空気を帯びた蒼い空。瞳の色はそれによく似ている。……我ながら三流ポエミーなことを考えていると自覚しているが、少なくとも、それを考えていなきゃ退屈過ぎて死ぬレベルで、彼は精神的に追い詰められていたのである。
最初のうちは「いつになったらノエル来るのかなぁ」と――本人に聞けば違うと即答されるだろうが――ワクワクしていた彼なのだが、病院での朝は早く、尚且つ俗世から離れていたアズマにゲームなどの娯楽はなく、その上友人もいない。そもそも彼にとっての娯楽と言えば、他人との会話程度である。戦闘狂、と言っても、他人との会話を楽しみつつ打倒するのが好きなタイプの部類なのだ。
さて、話を戻そう。
退屈は人を殺す、とはこのことなのだろう。
先程、トム・ジェイソンが尋ねてきた際に、本を要求したのは、これが理由だった。敵か、それとも味方か、それが明確になっていない以上、アズマ自身はトムや天月の手を借りないようにしようとしていた……と言うのに、ついに退屈に負けた上の行動だった。
だからだった。
アズマは感じていた。
扉の前に人気があることを。
アズマは察していた。
ノエルが何らかの仮装をしてくることを。
アズマは勘づいていた。
ノエルがびっくりさせようとしていることを。
「ハッピー・ハロウィン!」
瞑想するには丁度良いほどに静かな病室で、そんなこっちまで同じようになりそうな楽しげで嬉しげな声が響く。それらの行動はあまりにもテンプレであって、俗世をあまり知らないアズマでさえも呆れる始末のはずだった。
「ハッピーハロウィン!」
キャラ崩壊も良いところで、嬉々としてアズマはそう返していた。それを見たノエルからは動揺されるほどに、その瞳は輝いている。ギラギラと言うよりも、キラキラと言った様子である。
ふと、アズマは発作のような形で冷静になる。
そして思った。
「……はっぴーはろうぃん?」
ある程度にしか分からない英単語を基にその言葉の意味を暫定して、彼はどういうことだと顔を顰めた。
「いや、ハッピーハロウィンってなんだ?」
「いや、急に冷静にならないでくださいよ」
そう口にしたノエルを改めてみてみると、その服装は若干の既視感を感じさせてくる代物を着衣していた。
「……その恰好で、ここまで来たの? マーリンの服の劣化版とも上位互換とも言えるその服装で?」
「魔女服をご存じでないっ!?」
「いや、ハロウィンが仮装をする行事ってのは知ってるぜ? でもさ、その体つきで、その服装は反則なんじゃないかな? まだ、お嫁に行く前なんだから、こんな露出の多い服を着てはいけません!」
「ま、待ってください、アズマ君! さっきから前後の文の意味がまったく繋がっていませんよっ!? と言うか、この服そんなに露出が多いですかね……?」
「うん、多い」
と、スパッと、しれッと、そう断言するアズマなのだが、ここだけの話、内心ではそんなこと一欠けらも思っていない。普通に仮装としてちょうどいい服装だと思っているし、この程度で狼狽えるわけがないとも考えていた。これで露出が多いとか言っていたら、彼女の持つ服の全てが着れない世界になってしまうことだろう。
さて、ここでの問題は、ノエル・アナスタシアと言う美少女に、ごくごく普通のありふれた魔女服が似合いすぎたということだろう。先ほど言ったとおりに暇すぎたので、彼女がどのような仮装をしてくるのかと考えた中には、もちろん魔女服は存在していた。覚悟をしていたのである。だというのに、ここまで彼は狼狽えてしまっていた。ある意味、照れ隠し……みたいな……ものであるはずだ。
何はともあれ、それを聞いたノエルは(何故か)落ち込んだ風な表情をして、こう言った。
「……そうで「嘘、まったく大丈夫だよ」
訂正しよう、言おうとした。
「へ?」
あまりにも純粋な声色からなる誉め言葉に照れるか、支離滅裂のように見える言動に動揺するか、どこまでも二極化された状況に立たされて、ノエルは気の抜けたような声を出した。
「すっごくかわいい。似合ってる。あ、その服を着ているところを他の奴に見せない方が良いよ。似合いすぎて、俺じゃなきゃ堪えられないからさ」
「え、へ?」
きっと、あんな顔をされて真実を口にしない奴はいないはずだ……と、アズマは思う。だから、アズマは羞恥心を振り切ったし、その言葉を口にした。
「……(やべぇ、口滑らし過ぎた)」
いや、し過ぎた。
何故、自分はここまで極端なのかと呪いたくなってくる。
「と、トリックオアトリート! ……、です」
「オレ、エイゴ、ワカンナイ」
「お、かしをくれないと、いたずらをしないと、いけません?」
「いや、俺が聞かれても」
明確に空気がおかしくなってきた。
そのことに両者は危機感を覚える。
「……ちょっと待ってくださいね」
「あぁ、こっちもだ」
二人そろって、自分自身の頬を叩いた。
「「……」」
「アズマ君」
「何だ、ノエル?」
「トリックオアトリート。悪戯と強盗、どちらが好みですか?」
「悪戯だけど」
「え?」
「いや、するならって話。されるなら菓子あげた方が良いけどさ」
「じゃあ、お菓子をください」
「持ってない」
こればっかしは嘘ではない。なにせ、ノエルが来るまでの時間が暇で暇でしょうがなかったために、与えられた飴玉は既に完食済みである。
「むむ、むむむ。ノリが悪いですねぇ」
「仕方ねぇだろ、ハロウィンとか初めてなんだから」
初めて。
この体が既にしたことがあったとしても、その記憶がない限りはそう言うしかないだろう。
(……君は何を恐れている?)
【転生者】とアズマの契約を彼女は知らない。
これを知れば、僕が彼女を守る義務は消える。
彼女が一緒にいて欲しいと、守って欲しいと願う限りは、僕はそれに応えなきゃいけない。だけど、僕が君を殺すことを知ってしまえば、僕の居場所は無くなることだろう。
そういうものだ。
これは、そう言う関係だ。
楽しげに彼女は笑う。
「じゃあ、君の初めてをもらっちゃいましょうか」
「初めて?」
僕は彼女が好きだからか。
彼女が僕が好きだからか。
前者をする権利は、僕にはもうない。
後者だったとしても、僕にはその資格はない。
軽い足つきで、そっとアズマに近づいて、
「トリックオアトリート。お菓子くれなきゃ悪戯するぞ」
悪戯をするようにそう告げた。
「・・・・・・お菓子かぁ。なんかあったっけなぁ」
そう言って、アズマは頭を掻いた。
考えるような素振りかもしれない。
照れるのを誤魔化している素振りかもしれない。
けど、資格や権利、義務なんてものを、もしも彼女が拒んでいるのだとしたら、そんなものが必要なくても、ノエルの元に居てもいいにだとしたら、僕は僕のしたいようにしようと思う。
彼女のために生きて、彼女にために殺して、彼女にために死のうと思う。
きっと、僕はノエルが好きだ。
いや、好きなんだ。
もしかしたら、思い込みかも知れない。
もしかしたら、ノエルが好きでいてくれるから、僕も好きでいないといけないと言う強迫観念かも知れない。
もしかしたら、僕はノエルがどうでもいいのかも知れない。ーーそれだけは避けたい、避けたかった。
僕は僕が分からない。
分かるために、理解するために、まずは欲望に忠実になろう。
いや、なるんだ。
そうやって考えた末に、ふとアズマは思い出した。
「……あ、飴あった。そういやぁ、アイツに貰ってたんだっけ?」
「じゃあ、それで満足してあげます。プリーズ!」
ノエルは――その事実を知って安心したような表情を浮かべて――そう言うと、アズマにそっと手を広げつつ差し出してくる。
――ここでふと、アズマは思ったのだ。
(よく考えたら、ノエルは俺よりも年上だよなぁ)
魔がさした、とも言える。
本来なら、立場は逆なはずだ。『トリックオアトリート』と口に出す権利を持つのは、アズマの方のはずだと。なら、これは、何をするべきなのか、分かり切ったことだろうと、我ながらおかしなテンションでその発想に至っていた。
……言い訳は。
建前は、ここまでにしておこう。
僕はノエルに何をしたい?
「ノエル」
僅かに微笑んでアズマがそう口にすると、紙に包まれた飴玉を解放する。そして、その淡い赤色の球をノエルの方に向けた。
「え、あ・・・・う」
一瞬の空白が垣間見える。
その次には、動揺だ。既視感があったのかもしれない。ーーもしかしたら、この以前に、昔のアズマが、彼女に同じようなことをしていたのかもしれない。ノエルたちが知る昔のアズマと、よく知られている今のアズマにどれほどの差があるのか、それを彼自身知らないし知るつもりはない。
いや、知りたくない、というのが正しいだろう。
――知っていたから。
死んだ人はもう戻ってこないことを。
――知っていたから。
大切な人が自分のせいで死んでしまう苦しみを。
――知っていたから。
死んだ人の意見は誰も知れないことを。
だからこそ、その事実が、死ぬまで消えない恐怖になってしまう。
ただ、彼は重ねてほしくはなかったのだ。
「・・・・・・ほら、あーんってやつ」
「あ、あーん」
「ん」
「え、ちょ、何で口に入れたんですか?」
(そりゃ、貰ってから結構時間たってたし食べさせるわけにいかんだろ)
そう思いながら、改めてアズマは別のことを思う。
「へぇ、飴ってのは糖分を持続的に取るに限って、随分と効果的みたいだな。小腹が空いたらいけないし、今後のために買っておくかな」
「……お、お菓子は?」
「ねぇよ。さっきのでパーだ」
「……で、どんな悪戯をしてくれるわけ?」
「……く、くすぐりますよ!」
「謎の宣告。まぁ、ドンと来い。どうも、笑うことは健康に良いらしいからな。悪戯どころか、むしろ苦いお薬だ」
「え、じゃあ、悪戯にならないし……」
トムの言っていた通りに、ノエルは焦ったような表情をする。いや、困ったような表情かも知れない。
「だったら、いや、でも、流石に……」
そう口にしたかと思うと、アタフタと小さな独り言を始めるノエル。声が小さすぎて言葉は聞き取れなかったが、その声質だけは若干分かる。何だか、恥ずかしそうだし、色っぽい? 感じがした。少なくとも、後者で既に、アズマは嫌な予感を受け取っていた。
「の、ノエルさーん? 何だか、その独り言すごく怖いんですけどぉ」
「・・・・・・し、ます」
「聞こえなかった言葉は二文字と予想しておこう!」
「・・・・・・き、キス、しますよ?」
「え、当たったし。いや、うん? キス? 魚? 流石に接吻じゃないよね? ・・・・・・ヤベェ、接吻って、死語じゃないよね? ところで、飴をこれから下の売店まで買いに行くつもりなんだけど一緒に行かない? ほら、そこで、飴買うからさ。あの、流石にね、冷静になろうぜ、ノエルさん!」
「じゃ、じゃあ、キスをしつつ飴を奪い取ります!」
「じゃあ!? じゃあって何だよ! 冷静になってくれ! 冷静になれ! さっきの俺の慌て具合以上に混乱してんのが目に見えて分かるぞ! 何で真面目な顔で、そんなこと口に出せんのんですか!」
そんな中、如何にも脱線している台詞が聞こえてきた。
「天月先輩、【剣聖】の病室の扉に耳当てて、なに盗聴してるんですか? いや、共犯者になるつもりもないし、普通に警察に通報しますよ?」
次に、バタバタと騒がしい音が響く。
逃げるような音である。
「「……」」
さて、聞き覚えのある声だった。
アズマの声でも、ノエルの声でもない。
イマ、ナンテイッタ?
「クッソ、あのクソ魔法使いその二ぃ、ってぇ! 何で、何で急に体が痛くなったんだ!? おかしいだろ、これ!」
【浮遊魔法】は重力を操る代物と聞く。おそらくは、それの応用でアズマの動きを濁らせたのだろう。咄嗟にアズマがノエルの方を見ると、
「……あ」
顔が赤くなっていた。
「の、ノエル。ノエルさん? 今すぐ、今すぐ、絶対安静の僕の代わりに、あの脳内常時フェスティバルな天月を止めてきて!」
「あ、あぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ノエルが羞恥心で死んだぁぁっ!?」
小さな音を立てながら扉が開かれる。
そして、呆れたような調子でトム・ジェイソンは言った。
「……ここは病院だ。静かにしろ。してくれ。高校生だろう、貴様らも」
「トム、トムソン、トム・ジェイソン! 助けて、あの女を止めて!」
「無理に決まってるだろう。何故、実質的に【魔術】も使えない一般人と化した僕が、上位互換の【魔法使い】に勝てると思ってるんだ?」
「うわぁぁぁぁぁああああああああ!」とアズマが叫んだ次の瞬間、スンとした表情になって呟く。
「……いや、別にいっか」
「アズマ君っ!?」
「【剣聖】、頼まれていた例の本だ」
「お、サンキュー。どれどれ、あらすじあらすじ」
「え、切り替えが、早過ぎません? は、早過ぎませんかっ!?」
「諦めが肝心だぜ、ノエル。それに、よく考えたら、マーリンに今までされてたことをまたされるようになっただけだしな! ……マーリン? あ、あはは、あいつ、そう言えば、俺のせいで……」
「あ、アズマ君っ!?」
一方、ある意味現状の引き金であり、尚且つ何が起きているのか理解できてないトム・ジェイソンは、顎に手を当てて言った。
「これが、【神秘】の頂点辺りにいる人間、か」
「君は何に感心してるんですか!?」