序章7、『クソ野郎の理想郷』
荷物を回収するために【理想郷】に言った際の話だ。
アズマの立つその周辺には、そこでは四季なんて『理』を完全に無視していく方針なのか、いろいろな十人十色の花たちが咲き乱れている。更にそれを異様にさせているのは、不規則に地面に突き刺さっている木刀だ。その長さはどれも等しく、まるでその全てが全く同じ刀のようにも見えることだろう。
唯一の違いは、それぞれのその木刀の完成してから過ぎた年月だろう。
――【理想郷】。
またの名を【アヴァロン】。
かの伝説的に有名で半人半魔な【魔法使い】が己の弟子に手を出したばっかりに――正しくは手を出そうとしていた相手に自分の【魔法】を教えて結果――まんまと【異世界】に封印されてしまった上に、その間に彼が行っていた悪事が周囲にバレて、結果的に呆れられてそのまま救出されることなく幽閉されることになった場所だ。
彼曰く、ここは【異世界】のようなもので、よっぽどのことがない限り、ここに侵入することはできないらしい。実質、今のところはアズマしか正式に出入りすることができないはずである。……その例外としては、アズマが直接案内するなどが存在はするが、それをする状況にアズマは立っていない。
ノエルとの会話を終えたアズマは、無事に問題なくここに戻ることができた。
これまでの出来事を聞いた、それも【魔法】を使って見ていたはずの赤毛の女性は小さく頷く。
「なるほどなるほど。君の『記憶』の手がかり、か。いやはや、あまり、過去に執着することはおススメしないけれどね」
もう【理想郷】で過ごして半年は経っているが、未だにここの主の格好になれることがアズマにはできていない。楽園の主は花が咲いていない場所で、ティーカップを片手に持ち、優雅にくつろいでいる風に見えた。この牢獄に道なんてものはないが、それでもアズマは気まぐれで進み、彼女の元に無事辿り着いていた。
そして、アズマもまた、彼女と同じように椅子に座っていた。
かのアーサー王伝説に登場する伝説的な【魔法使い】――マーリン。
その身長はアズマよりの数センチ高い。その上に、誰もが敬う美貌を持っている女性だと言えることだろう。その体つきは豊満であるだけではなく、誰もが嫉妬するレベルにスレンダーだ。それこそ、アズマなら、師匠の次に美人と語るはずだ。
彼女。
……そう、女性。
表向きには男性として、それも老人として語られている『半人半魔』の【魔法使い】、マーリンは、実際には女性なのだ。これもまた、基本的に【神秘】を秘匿するスタンスを取る『業界』ではよくある話である、らしいとマーリンは以前語っていた。
「――なぁ、マーリン」
「何かな、アズマ」
「何で、オマエは女なわけ?」
『業界』のスタンスを一応は知っているアズマは、それでも尚、そう尋ねた。
恐らく、『アズマ・ノーデン・ラプラスは何故、アズマ・ノーデン・ラプラスなのか』、と言う問いと同じ程度に無茶なものに聞こえたはずだ――はずだった。
「いや、そもそも、淫魔が性別を持っていると何故思っていたのかな?」
「……いや、うん」
まるで、昔は男の体で行動していた、と言わんばかりの言動だ。
訂正しよう、マーリンは女ではない。
更に言えば、マーリンは男でもない。
性別中性、とでもいうべきか。
ただ、アズマにとって、これはそう大した問題ではない。――いや、確かな問題ではあるのだが、もっと問題にしなくてはならない現実が目の前に存在しているのだ。そう、思春期を生きる少年ことアズマにとっての一番の問題とは、彼女? 彼? ……マーリンのその格好にある。
指をさしながら、アズマは尋ねる。
「――ナニソノカッコウ」
すると、マーリンはニヤリと笑って、両手を広げる。
色々と見えてしまう。
「良いだろう?」
「いやまったく」
「最近の流行らしい」
「生まれたままの姿の上に水着とマントを羽織るだけとか、それはどんな露出狂だよっ!? てか、そんなものが最近の流行であってたまるか!」
この女の外見を持つ男として生きている(?)ろくでなし【魔法使い】マーリンは、何があったのか、何を悟ったのか、御覧の通りに露出狂へと進化を遂げていた、遂げてしまっていた。あのろくでなしがひねくれたらこうなるのかと思いながら、アズマはマーリンを冷たい目で見ていたが、よくよく考えてみれば、ほぼ全裸な女性(男性かもしれない)を見つめるとか、我ながらシュールな光景だなと思う。
きっと、正しい反応は目を逸らすべきなのだろう。……と言うか、ただの変態じゃん。が、しかし、ここで視線を逸らすのはなんだかマーリンに負けな気がするので、彼には逸らす気は一切ない。
いや、正直止めたいのだが。
そんなアズマの苦悩を無視するかのように、マーリンは笑って尋ねてきた。
「そもそも、何をいまさら言っているんだい?」
「確かに、今の今までオマエの格好についてツッコミはしてこなかったけどさぁ。外に出てみてわかったんだよ。オマエは絶対に間違ってるとな」
逆に外に出るまで違和感を何故感じていなかったのかとアズマが戦慄していると、これだから最近の若者は、みたいなことを考えていそうな顔をしてマーリンは鼻で笑う。
「考えて見なよ、アズマ。数億年前に遡れば、その頃の人類はもっとはだけていたらしいじゃないかい。ならば、これは人類にとっての正装と思わないか?」
「思わないし、思いたくもねぇよ、クソ淫魔! 俺は確かに最近の若者だろうが、オマエは遡りすぎなんだよ!」
「淫魔とは悪魔のことであり、更に言えばクソであるのは当たり前だけどね。その後にアズマが言ったことは何のことだかさっぱりだけど」
と、すんなりとアズマの指摘をマーリンは認めた、一部を除いて。そんな、特に悪びれた様子もなく、どこか達観したような言い草で。
「……うん、本当にオマエは【魔法使い】なわけ? そんな貫禄、俺は一切感じないけど」
「ああ、いかにも、我こそは! アーサー王伝説にて最高の『魔術師』と称された【夢幻の魔法使い】、アンブローズ、もといマーリン様だ!」
「へぇ……、オマエ、何歳だ?」
「十七歳だとも」
「……」
「十七歳だとも」
ちなみに、アーサー王伝説がいつの話なのかというとアーサー王がサクソン人をぶっ倒したのが五世紀ごろの話であり、マーリンはアーサー王の前任者のユーサー王の時代から宮廷魔術師として存在していたという話をアズマは唐突に思い出していた、がそれを口にすることを必死に堪えて、その代わりに別のことを口に出すことにした。
「絶対違う気が、イタタタタ!」
そもそも、ノエルとほぼ同じ年齢という時点で嘘だとまる分かりである。
いつの間にか席から立ち上がりすぐ真横に立っていたマーリンは、年頃のレディ(?)のようにアズマの耳を引っ張って、ほぼゼロ距離で淡々と甘い声で囁く。
狐に化かされたように、とも言えるだろう。
「いくら年を重ねようとも、淫魔の外見は変わりはしない。むしろ、自由自在に変えられる。それが、私たち淫魔だ。そんな異端なる存在の一柱であるこのマーリンを、貴様ら人間の常識の定規で図れると思うなよ」
それは、自己暗示のようにも聞こえた。
同時に、現実逃避のようにも聞こえた。
どっちみちろくでもないのは変わりなかったため、体が女だろうが中身が男だと思って、アズマは反射的に立ち上がりそのままマーリンを蹴り飛ばす。
「クソ、これだからアーサー王伝説一のろくでなしは!」
幾らか、花弁が散った。
それを何とも無いように受け止め、けれども後方へと体を委ねて、そしてアズマでも出来ないレベルの完璧な受け身をマーリンは成し遂げる。
そして、わざとらしく、他人事のようにこう口にした。
「ランスロット君はさ、あれは無意識のうちにしたことだからねぇ。フランス騎士の性ってやつ? まぁ、彼の同類として、よしみで止めてやっても良かったけど、その頃にはここに閉じこもっていたからなぁ。ま、実のところ自由に出れるけどさ」
「そればそれで酷いなぁ、おいっ!」
やはりまるで他人事のように笑いながら、のそりとマーリンは起き上がる。それはそうと、自分自身をフランス騎士だと勘違いしている辺り、本当に狂っているようにアズマには見えてしまっていた。
そんないつも通りの忙しないやり取りを二人は交わしていると、珍しく真剣な顔をしてマーリンは違う違うと首を振る。それは自らの発言を訂正する意図ではなく、そんな話をするつもりはないと言う意味合いが込められていたのだろう。
マーリンは埃を払うような仕草をする。
「それで、君は【パンドラの娘】をどう思った?」
「どう……って」
マーリンは初めて紅茶に手を付けると、一つ吐息が聞こえた。
「ずっとボクはここに閉じこもっていたからね、外の事情は断片的にしか知らない。少なくとも、君と【パンドラの娘】が幼馴染であるかどうか、それをはっきりさせる術は持ち合わせていない。親友を名乗っている割に、役に立てないのは申し訳ない限りだよ。まぁ、そんな訳で、ボクに出来ることは人間観察だけってわけさ。人づてにこれをするのは気が引けるけど、それでも君自身にそれをする意識を植え付けることぐらいはできるのさ」
「……いや、協力してくれるのはありがたいけどさ。あの、それって、だいぶえげつないこと俺にしようとしてないか?」
「いや、そんなんじゃないよ。それこそ、【魔法】を使うわけでもない。飽く迄、意識させるだけさ。そんな悪趣味なものじゃない。ただ選択肢を増やすだけ、さ」
「なら、良いけど」
「で、君は彼女をどう見る?」
再び、アズマは椅子に座った。
その視線が机に向かうと、先程までなかったはずなのだが、そこにはマーリンのではないティーカップがポツンと置いてある。
(返答によっては長くなるな、これ)
偶然にも、それは喉の渇きを感じていた頃合いだったが、アズマはノエル・アナスタシアの元に早く戻らないといけない。あながち間違いではなく、それだけでなく、分かりやすく短い言葉で表すとすれば――
「――ただの善人」
「急いでいるね、どうも。君は他人の善性だけを見ようとする――いや、悪性だけを見ないようにするところを直した方が良い。……と言うか、意外だな。君は【パンドラ】を信じているのか」
「……どういうことだよ?」
マーリンはティーカップを机の上に置くと――まったく減っていないように見えるのは気のせいだろうか――いつの間にか、その細い二つの指で各砂糖を摘まんだ。それを手品師のようにアズマに注目させる。
「――これが『世界神秘対策機構』の策略であり、【パンドラの娘】が君の命を狙っている可能性は?」
「……」
各砂糖が落ちる。
ポトンと、水面が揺らいだ。
「どう足掻いたって、人間は相手の側面しか見れないんだ。彼女の外側が正なる感情で形成されているように見えても、実際は、その内側が自分のことだけを考えている独善で形成されているのかもしれない」
「その末路は、人間不信だ。人は他人を信じることでしか、前に進むことは出来ない。逆に、信じないことで立ち止まることが出来る。それを交互に、それを適度に繰り返すことで、人は生きることが出来る。そもそも、俺を殺しても人類への損害しかないから、ここに俺は囚われた――おいおい、それはどんな冗談だ」
「君は強いよ。けれど、それは過去の話とも言える。今はどうかは分からない。その過去の威光を武器にノエル・アナスタシアを守ろうとする、【パンドラ】の考えは理解できる。それでも、彼女は世界に自らを捧げたシステムの一つだ。そこに【運命】のような絶対的な効力が無かったとしても、それが無くても良いほどの強い意思が存在している。……もしも、君を倒せる存在が現れていたとして、自分の娘を理由に君を誘い込み、【大罪人】の君を殺せる状況にあるのだとしたら――」
砂糖は飽和する。
アズマ・ノーデン・ラプラスという存在が飽和してしまうほどに、この半年で世界が成長を成し遂げていたのだとすれば。
「今の君じゃ、裏切られたら最後、すぐに崩れるぞ」
その指摘を聞いて、アズマはつい嫌そうな顔をする。ウンザリしたような、飽き飽きしたような、呆れたような――随分と前から覚悟していたような顔だった。
少なくとも、心当たりがあるからこそ、彼は嫌な顔をした。
「……それこそ、俺の命が無くなって何になるんだよ。俺を守る奴はもういないし、俺も何かする気はもうない。俺はただ、普通に生きて普通に死んで、それなりに後悔して、それなりに納得できる人生を過ごせればいいんだ。俺が死んでも意味はない。意義はあっても、意味はない」
「それを言ったら、【パンドラの娘】の『護衛』の意味だってなくなるけどね」
「何で?」
「【パンドラ】が【パンドラの娘】を見捨てればいいだけの話になるからさ」
「……いや、それでも。この俺が人質になる可能性こそ低いだろ。そもそも、俺を人質にして誰に何を要求するんだよ」
自分に味方はいない。
この【アヴァロン】だけが、最後の自分の居場所だともアズマは考えていた。
それだけの【大罪】を冒し、それだけの【罰】が彼に与えられている。
たった一つだけしか与えられない、そんな【罰】なのだと。
「……前々から言おうと思っていたけどさ、君は人類の中で希少な才能を持っているんだ。歴代剣聖の【奥義】の再現が出来る――【剣聖】を極めることが出来る才能を持っているんだ。ただ、それだけで、君は生きる価値が存在しているんだよ」
【剣聖】。
正しく言えば、この『概念』は【五英雄】と呼ばれるうちの一つだった。
体を使った格闘術の頂点である【拳聖】、槍を使った槍術の頂点である【槍聖】、弓を使った弓術の頂点である【弓聖】、銃を使った戦術の頂点である【銃聖】。そして、剣や刀を使った剣術の頂点である【剣聖】。彼らは代々何らかの【奥義】と【悟り】を手にしている。
アズマは、それをさらに極められる立場にあった。
それだけの【才能】があった。
「いや、流石にそれは失礼だからする気はない」
けれど、アズマにそれをする気力はなかった。
否、度胸がなかったというべきか。
「いわば、倫理に反するって奴だ。そもそも、俺のポリシーとして習得する気はない」
「そりゃどうして?」
「――アレは、俺の得た答えじゃない」
【剣聖】は代々、それぞれが異なる一つの【悟り】を得ている。
アズマの場合は、『それが世界であるのなら、俺に斬れない道理はない』といった感じだ。
アズマがそう言うと、マーリンは「そうかい」と呟いて、周囲は静寂に包まれた。――以前にマーリンが『そうかい、そりゃ爽快だね!』と言った時と同じレベルで静かである。
「……アズマ」
マーリン自身が、その静寂を打ち破る。
「なんだ?」
「ボクが【アヴァロン】にわざと幽閉されていることは分かっているね?」
「ああ、知ってるけど。まぁ、理由も知らんし興味もないがな」
「もしも、君が【アヴァロン】から本格的に釈放されたとして、今の『世界神秘対策機構』に君の居場所があると思うかい?」
「……さあな」
アズマが最も言われたくもないこと。
それが、これだった。
「……ボクは君の味方だ。たとえ、君が世界を敵に回したとしても、ボクだけは君の味方のままであると誓うよ」
「なんだよ、愛の告白か?」
「やめてくれ、ボクはもう、それをするつもりはないんだ」
未だに失恋のことをうじうじ呟くマーリンは、皮肉を言うように苦笑いをする。
アズマはそれを見て、しょうがないなと溜息を吐く。
そして、手を叩いた。
まるで、流れを変えるように。
「……じゃあ、早速手を貸してくれよ」
「いいとも、丁度暇をしていたんだ」
「ノエルが今何をしているのか気になってな、ちょっくら【魔法】で見せてくれないか?」
「ふぅん、悪趣味だなぁ。誰に似たんだ、そいつの顔を見てみたい!」
「鏡でも見れば?」
アズマがそう返してすぐに、マーリンは声を上げる。
「……ああ、見えた見えた。……うーん、アズマ。聞いても良いかな?」
恐る恐る、といった感じだった。
「どうしたんだ?」
嫌な予感がしながらも、アズマは聞き返す。
「【パンドラの娘】って、今家でお留守番をしてるんだよね?」
「ああ、そうだが」
「……急いで学校に向かいたまえ。【パンドラの娘】がピンチだ――いや、正しく言えば、もうすぐピンチになる」
「はぁ、なんで?」
現実逃避のように、実際に現実逃避と言う形で、ノエルは家で留守番をしているはずだ、とアズマが口にするようにも早くマーリンは口を開く。
そして言った。
「【パンドラの娘】、学校に向かってランニングしてる」
そんな訳で、アズマは学校へ向かって地面を蹴ったわけである。