序章6、『道すがら』
一年と半年前。
天から降り注ぐ災害の中、アズマ・ノーデン・ラプラスは唯一生き残った。
「私は、貴方とそっくりの少年を知っています」
ノエル曰く。
それと同時に、ノエル・アナスタシアの幼馴染である『アズマ』と言う少年は、彼と同じように、あの降り注ぐ災害に襲われ、彼と違って無慈悲に息絶えたらしい。
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ノエル・アナスタシアは口を開く。
その美しい思い出は自然と具体的に吐き出されていた。
「私たちは一緒に暮らしていました。アズマ君のご両親は諸事情あって、母様に、私の母であるパンドラに君を預けていたと、私は君から聞かされています。まるで本当の家族のように、私たちは育てられました。アズマ君は生まれつきメラニンが無くて、外には出れなくて、だから私と違って学校には行かずに、その代わりに母様の教会のお手伝いをしていたり、通信スクールで授業を受けていたんです。なのに、そんなの関係なしに、太陽が出ていても関係なしに、私と一緒に行動していたんです」
「なるほど、それは――」
十月の風がノエルの肌を震わせる。
その原点が日本であることもあってか、この『三枝学園イギリス支部』は日本街のような街並みが多く存在している。
『三枝学園イギリス支部』は、その名の通りに所属している国としてはイギリスだが、この場所に限っては日本と同じ憲法が執行されている。また、普通に日本語で書かれている看板や書籍などが売られていることも日常風景だ。……アズマは単に道に迷って、その日本街に辿りつけずにいただけであり、別に気づいていなかったわけではない。少なくとも、彼にそれを指摘すれば、キレ気味にそう返してくることだろう。
屋上でのあの会話を終え、ノエルにアズマが連れられる形でこの日本街を二人は途方もなく歩いていた。
正しくは、ノエルの家に向かうという目的はあるわけだったが。
「――初めて知ったよ」
「それは、秘匿されているからじゃありませんか?」
「だとしても、どうして俺は俺について知れないんだよ」
その声は震えている。
その声だけが震えていた。
「オマエの言うとおり、俺がオマエの幼馴染だったら、ずっと俺はそれを知らされずに過ごしてきたことになる。【パンドラ】に一人娘がいることは師匠から聞いてたけどさ、それほどに二人が仲良かったことは知ってたけどさ、それだと、俺はずっと、そのことを伝えられていないってことになる。どうしてかは知らないけど、それはおかしいじゃねぇか。そもそも、どうして、そうだったとして、誰も向かいに来てくれなかったんだよ」
愛されているのなら、迎えに来てくれよ。
「……」
ノエル・アナスタシアは知らない。
彼女の知る『アズマ』が、アズマ・ノーデン・ラプラスとして、どのような道のりを歩み、どれほどの困難と対峙してきたのか。
「分かるだろ、俺がオマエの幼馴染だってことぐらい」
あまりにも、その告白は無鉄砲であったのだ。
記憶を失いしばらくが経って、絶望してしまいそうな右往左往を手探りで打破することに成功して、そんな新しい日常に慣れてきた頃に、その努力を否定するかのように、新しい当たり前を粉々に壊してしまうように、今まで助けもしてくれなかった人間が、無理矢理その手を掴もうとしているも同然の行為だった。
「きっと、オマエも分かるはずだ。もしそうだったら、どうして俺を向かいに来てくれなかった?」
ノエル・アナスタシアは分からない。
そこにはそうするしかない理由があって、そんな悪意があるはずがないのだと、そう信じたいだけの自分がいるだけだ。
「あぁ、答えは簡単だ。俺はアンタの幼馴染じゃないからだ。だって、じゃないと、いけないだろ? ――じゃないと、アンタの大切な人たちは俺にとって恨むべき相手になっちまう」
「きっと、理由があったんですよ」
「……なぁ、この話はやめにしよう。こんな話をしたところで誰も幸せにならない。俺はその『アズマ』じゃないってことにしておこうじゃねぇか」
「――はい、今はそう言うことにしておきましょう」
すっかり日も落ちていた。
時間もすっかり経っていた。
下校時間が随分と過ぎていたためか、動きにくい制服よりも動きやすい私服で行動している生徒がほとんどで、ノエルとアズマの周囲ではその彼らが騒がしく群れを成して歩いていた。……例えば、たった一人でスマートフォンをいじりながら歩く者――他にも、複数人でペチャクチャ楽しげに話しながら前に進む者たち。
そして、そんな彼らに対して、ノエルとアズマは何をしているのかと言うと、それぞれが各々が読みたい本を片手に、互いにお金がないために本屋で渋々それを立ち読みをするというものだった。
所謂、気分転換である。
『異世界』、『転生』、『魔術』、『魔法』、『英雄』……。
ペラペラとめくると、アズマにとっては日常的な言葉がそこで躍り出てくる。
「……異世界転生、ねぇ」
ライトノベルの枠にあたる日本語の小説を片手に、再び黒いローブのフードを被ったアズマは、呆れたような声色でそう呟く。続けて最初だけをある程度読んでみるが、ふぅと溜息を吐いてそれを本棚に戻した。
その間。
ノエルは適当な本を読みながら――本当に適当に取った本を読んでいるふりをしながら、淡々とけれど意外にも楽しげに本を読み漁っているアズマの方をチラチラと覗き込んていた。……そのことに、アズマが気づいているとも知らずに。
(……やっぱり、アズマ君だ。絶対にこの顔はアズマ君だ!)
先程との違いは明白で、ノエルに目にはアズマの素顔が普通に見ることができているというこの現状。
話を変えるために何故顔が見えないのか、とノエルが問いた際にアズマは黒ローブに縫いつけられている『顔隠しのルーン』には、以前にアズマの素顔を見たことのない人間限定で顔――存在を隠すことが出来る代物だと、それがノエルに告げたアズマの理由だった。――そもそもの話、何故に本屋で本を立ち読みしているのかと言うと、単純に最近の本はどんな風なものなのか気になったからとアズマは言っていたのである。気分転換をするための建前かもしれないが、あの表情を見る限り、そうだと言い切れないようだと、そうノエルは思い考えていた。
「実際は――現実は、こんなに楽しいものじゃないと思うけどな」
結果、何故か盛大にアズマは気分を沈ませていた。
思惑通りに気分は落ち着いたが、代わりにだいぶ気分が落ち込んでいた。
「そ、そうですか?」
そろそろ頃合いかと思い、ノエルがそう尋ねると彼は顎に手を当てて考える素振りをする。そして、手に取っていた本を棚に戻す。
「……そうだな」
そして、そう呟いて数秒後にアズマは思考にまとめをつけた。ノエルをしっかりと捉えて、真剣そのものの声で続ける。
「……この話をすると長くなるから、それと一般人に聞かれたら少々――結構不味いから、一旦本屋から出て、君の家に向かいながら話そう」
「う、うん」
ノエルがそう言いながら頷くと、アズマはスタスタと店の外に向かって歩き出す。
そして、何事もなく店の外に出た。
本屋に入店した時よりは、時間も時間のためか、放課後でも外を歩く生徒の数はだいぶ少なくなっていた。
人の流れに逆らうこともなく、ノエルが前を歩く形で二人は前に進み始める。
すると、人気が失せた頃に、機械的な声色でアズマはポツリと呟く。
「一年と半年前」
ノエルの脳内にノイズが走る。
「――【大災害】」
――私の幼馴染が――アズマ君が死んだ――行方知れずになった原因。
自然と、トラウマを抉るように、彼女はふとそんな情報が非情にも脳に浮かぶ。
罪悪感がノエルの心を貪っていた。
「そう、【大災害】――具体的には、件の【人類神格】がこの世界に顕現した事案」
「……」
――あの時、私が死ぬべきだったのに。
唇を噛む。
悔しさが、ノエルの足を重くする。そうして、無意識のうちに呼吸が荒くなりかけていることにようやくノエルは気が付くと首を横に振って邪念を払った。そして、更に濁すように尋ねる。
「……ところで何ですか、その、【人類神格】って?」
そんな彼女に対して、そこまでのディープなトラウマのないと思い込んでいるアズマは、なんてことないように平然と続ける。
「唯一『人類』が神に至れる『概念』、それを得た存在が【人類神格】……らしい。【大災害】、その時に顕現した【人類神格】は、日本から来た英雄さんが命を懸けてぶっ倒した……らしいが、残念ながら、これの他にも【人類神格】は存在しているらしいぜ。おぉ、こわ」
「なんか、壮大な話ですね」
「ああ、俺にもそうとしか言えない。まるで、別世界の話のようだよ。まぁ、この人生で一切の縁がないことを祈るばかりだな」
アズマはそこまで言うと、申し訳なさそうに苦笑いをする。
「……っと、話がズレた」
「あ、そこを右です」
「了解。――で、話を戻すけど、一年と半年前の【大災害】、その唯一の生き残りが俺であって、それの発覚と共に俺はすべての記憶を失った――失ってたわけだ。まぁ、この異世界転生ってやつはさ、俺の境遇となんだかよく似てるよ――俺の『記憶喪失』にさ。目が覚めたら見覚えのない風景が広がっていて、その世界の言語なんて分からない。文化も違えば、マナーも違う。よりによって、世界の最深部である【神秘】の一角に顔を出してしまった――過酷な世界にな。ただ、あの時に師匠と出会えなければ、多分そこら辺の道で俺はくたばっていただろうよ。――まあ、とにかく、この異世界転生みたいに、なんとか現地の人に助けられて、こうして【剣聖】という立場に俺は立っている。――それも、偶然な」
自虐的な声色で、アズマはそう締めくくる。
ノエルはその声色を知っている。少なくとも、それは以前の『アズマ』から聞いたことのある声ではないのは確かだ。そもそも、『アズマ』という人間がノエル・アナスタシアと言う人間に対して弱音を吐くこと自体がまず無かったのだから。
けれど、その言い草を嫌というほど知っている。
その苦しみを、良く知っていた。
――力になりたい、彼の力に。
ノエルは、ふとそんなことを考えていた。
かつて、手放してしまったと、そう思っていた、そんな『大切なもの』を目の前にして、もう二度と放したくないという【独占欲】が湧き出てくる。それが邪な感情であることは、ノエル自身にも理解できていた。……それでも、理性が感情を抑えきれなくなる。
ふつふつと、溢れ出る。
「……確信しました、アズマさんは私が死に別れた幼馴染です!」
気づいた頃には、まるで茶化すような風に、あやふやにふざけるような言い草で、ただノエルが否定されたくないがために、今まで尋ねもしなかった――正しくは尋ねることも出来もしなかったことを口にしていた。
きっと、それがふざけた調子だったからだろう。
「うん、普通に人違いだ」
「なっ! ちゃんとした根拠をもって言ってくださいよ!」
「『顔隠しのルーン』の効果、教えたよな?」
それは優しく、唱えるようだった。――自身の被るフードに指をさしながら、アズマはそう告げていた。
「……そ、それは」
その性質を、ノエルはすでに知っている。
彼の口から、直接すでに伝えられている。
「うん、気づいたな。――本当にオマエが俺に昔会ったことがあるのなら、最初から俺の素顔は見えるはずだ」
「……で、でも」
チラリと、アズマの表情を見る。
ノエルの知る限りでは、アズマから暗い表情は若干無くなっている。
「――違いました。でも、じゃ、ありませんね。アハハ、殺し合いの場以外でアズマさんに面倒をかけるわけにはいきません」
「……いや、そうじゃない」
「どうか……しましたか?」
僅かに微笑みながら、アズマは淡々と告げる。
まるで、決心がついたように。
まるで、ごっこ遊びをするように。
まるで、諦めたように。
「――でも、もしかしたら、本当に、俺とオマエは幼馴染かもしれないな。オマエが俺の素顔を認識できなかったのは、『記憶喪失』という異常事態だからこそ成立してしまった『顔隠しのルーン』の『事象』かもしれない。だけど、これだけは確実だ。俺がノエルの知っているアズマだったとしても、俺はオマエと過ごした日々を知らない――いや、覚えていない」
その言葉は全て、ノエルの望むモノだった。
演じているわけがない、嘘なわけがない。
そんな言葉は言い訳にもならない。
「だったら、一緒に頑張って思い出しましょう!」
そこで、ノエルは自信の失言に気が付き、ついそんな自分の未熟さが嫌になる。そんなふりをしている自分自身に、嫌悪感を抱いていた。
「俺が言いたいのは!」
アズマは声を荒ぶらせる。
それはノエル・アナスタシアの悪意に気づいたからではない。
「……俺が言いたいのは、今の俺はオマエの望む俺じゃない可能性が高いって話だ」
徐々にアズマの声がまた暗くなっていた。
一方で、その言葉を聞いたノエル・アナスタシアは、アズマ・ノーデン・ラプラスの持つ【本質】を垣間見て、嬉しく思ってしまったことを悟られないように、自分でもゾッとしてしまいそうな程に完璧なポーカーフェイスで言葉を返す。
「それが、どうかしましたか?」
「オマエは逆に……嫌じゃないのかよ?」
ノエルは本心から首を振る。
「いえ、別に、『記憶喪失』なら記憶がなくなったわけじゃありません。ただ、何らかの原因で思い出せなくなっているだけの話なんですよ。――取り戻せるものを取り戻せないと嘆くことは、私は愚かなことだと思います。挑戦しましょう、アズマ君。例え君が思い出せなかったとしても、実のところ、私はそれで良いんです」
「……?」
「私はですね、アズマ君が私を忘れてしまったことは、確かに、とても悲しいですが、それ以上に嬉しいんです。もう二度と会えないと思っていた君と再開できたことが、何よりも嬉しいんです」
「……それでも、結局は、何が真実なのかは俺にもオマエにも分からないんだ」
「じゃあ、アズマ君の思う真実って、何でしょうか?」
「――分からない」
「では、アズマ君の信じたい真実って、何ですか?」
「……それも、分からない」
「分かりました、それならアズマ君は私を信じてください。もしも、母様がアズマ君のことを知っているのに助けに行かなかったのだとしたら、あの人を恨んでも構いません。私の大切な誰かが、君を助けなかったのなら、その誰かを恨んでも構いません。……ですが、それを理由に傷つけるのだけはやめてください。確かに、アズマ君にはそうだったら、そうなのだとしたら、彼らを恨む権利はありません。これは、これはただの、私の我が儘です。けど、その責任は絶対に取ります。アズマ君を傷つけた人の罪は、私が代わりに人生を費やしてでも必ず償います。ですから、その――」
いつの間にか、ノエルはアズマに顔を近づけ、尚且つその手を握っていた。互いに目を合わせ、体はところどころ密着してしまっている。少なくとも、その有様は『友達』と『友達』の関係とは思われることはないだろう。
(負けるな、私。もう二度と、この手を離したくないんでしょ?)
その手をより強く握る。
「――お願いです、私を信じてください」
「……待って、くれ。俺は、昔の俺は、アンタにとって、一体何者だったんだ? 普通、幼馴染にそこまでするかよ?」
「どっちだと、思います?」
「どっちって……?」
「私が幼馴染だからだと思います? それとも、私とアズマ君がもっと深い関係だったからだと思います?」
楽しげに笑って、ノエルはその手を放した。
「――」
『アズマ』は死んだ。
もしかしたら、生き返るかもしれない――甦るかもしれない。でも、それはきっと、とんでもなく低い可能性で、少なくとも彼女の知る『アズマ』が死んでしまったことは確かだ。
今、目の前にいるのは、アズマ・ノーデン・ラプラスと言う名の少年だ。
割り切るべきだ、そうするべきだ。
ノエル・アナスタシアは幸せそうな笑みを彼に向けて、高らかにその現実を暴露する。
「それはそうと着きましたよ、ここが私の家です!」
それはありふれたアパートだ。
高校二年生の女子寮とも言える。
「ちょ、ちょっと待った。重要な話が、まだ残っている」
「……その話をここでする必要はありますか? 別に、私の家に上がって、話をするのも良いと思いますけどね」
語りたい。
教えてあげたい。
それを人は、啓蒙と呼ぶ。
「いや、場合によっては、ここで話した方が効率が良いんだ」
「ならどうぞ、私は君のすべてを受け入れます」
「……それで、今思い出したんだが……えっと、本当に言いにくいんだが」
「何ですか、躊躇せずにドンと言ってくださいよ。――私と君の仲でしょう?」
「いや、さっき知り合ったばかりだからな」
「私は生まれた頃から知っていますからね」
「……」
アズマは気まずそうに沈黙する。
「すみません、ふざけすぎました」
だから、ノエルは真剣そうに謝罪した。
これに限っては本気で調子に乗りすぎたと思っていたのである。
「……俺はオマエを護衛しなきゃいけない。『護衛』という任務の性質上、四六時中できるだけオマエの近くにいなきゃいけないわけだ。それで……その――」
「――つまり、私の家に泊まりたい、と?」
じっとアズマを見ながらノエルがそう言うと、こくりとアズマは縦に頷く。――きっと、おそらくは、『ノエルの家に泊まらないければならない』なのだろうが、アズマはそれを訂正しない。
訂正が億劫になったのだろう。
「……なるほどです。――良いですよ。いえ、むしろ望むところです! そういう事情があるのなら、男女屋根の下仲良く共同生活を行いましょうじゃないですか!」
「言い方に若干の悪意を感じるが、敢えてここは無視させていただくとして……まぁ、話を戻すが、ここで話しておいたほうが良いという判断が輝くわけだ。うん、てなわけで、パパッと荷物を【理想郷】から――俺の住んでいた所から回収してくる。俺とアンタの関係が、それがどんなものなのか、ここに帰えるまでには考えておくよ」
「そうですか、期待しておきます。……それはそうと、私も行きましょうか?」
「いや、危険だから駄目だ。アハハ、オマエがあの変態【魔法使い】に遭遇したら最後、どんな悲惨なことになるか……考えるだけで吐き気がする」
本当に嫌そうな声色で、アズマはそうノエルに進言する。
どんな形であれ、彼は雇われた者として、自らに課されたその役目を必死に果たそうとしていた。
「じゃあ、暇人と化す私は何をすればいいんですかっ!?」
「お留守番、とか?」
「えぇ……」
ノエルは不満そうな声を上げる。
それはもう、心底嫌そうな声だった。
「しょうがないだろ、俺がいないところで勝手に行動されて死んじゃいましたぁ、とか本当にどうすりゃあ良いんだよ」
「はい、留守番します。必ず私たちの家に帰ってきてくださいね」
「はいはい、分かったって。じゃあ、一時間後」
「絶対ですよ、絶対ですよ!」
「了解」
と、ノエルに背を向けてアズマは手を振る。
現状に、何の違和感も覚えることなく。