第一章30、『タイムオーバー』
時刻は七時四十分。
ノエルが普段アズマ宅に来る時間は、七時丁度である。
ぼんやりと曖昧を見つめながら、アズマはぼそりと呟いた。
「……ノエル、来ないな」
その一言は、独り言に近かった。
けれど、声が帰ってくる。
「そうでございますね。何か、あったのでございましょうか?」
「電話する?」
「その方が良いかと」
「いや、でも……」
「どうかなさいましたか?」
「昨日の件で、まだ怒ってるとか?」
「いえ、でも、ノエル様は許しているようでございましたよ?」
「だよなぁ」
「どうなさいますか、アズマ様?」
「まずは、電話でもするよ」
アズマはそう言って、右ポケットをパッと漁って、そのままガラケーを引っ張り出す。そして、慣れた手つきで電話帳まで飛んで、ノエルと表示された欄で決定ボタンを押した。
数コール。
「……」
ここでアズマは違和感を覚えた。
聞き覚えにない女性の声が聞こえて、アズマは静かにガラケーを閉じる。
「イドラ、ノエルの家に行くぞ」
「了解いたしました」
二人が、リビングの椅子から立ち上がった。
その時だった。
ピンポーン、と。
来客の音が鳴る。
「……ノエルだと思うか?」
「出てみない限りは、分からないかと」
背伸びをしながら、アズマは玄関へと向かった。
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結局、ノエルは来ることはなかった。
では、誰がノエルの寮室に押しかけてきたのかと言うと。
「……ん、久しぶりだな、【剣聖】」
トム・ジェイソンである。
「【剣聖】言うな。アズマと呼べよ、【魔弾の射手】」
別名、【魔弾の射手】である。
「ノエルさんは?」
「今は知らねぇよ」
「今は、ってことは、今までは知ってたわけだな」
「ああ、そうだが……」
そうアズマが答えると、トムの視線が一瞬で鋭くなる。
殺意――否、嫌悪感に近いようにアズマには思われた。
それでも、淡々とトムは尋ねた。
「何があった?」
「俺が倒れて、ノエルが面倒見た」
「……貴様も、人間なんだな」
「人間じゃなくても、倒れる時は倒れるだろ。そもそも、普通に俺、天月に倒されて気絶してた気がすんだけど」
「ああ、そう言えばそうだな。負けたな、『【剣聖】が』『天月先輩に』負けたな。あれは、衝撃的で痛快な事件だった」
「おい、喧嘩を売ってるな。ただで買ってやろうか?」
「悪いな、僕は貴様ごときに時間を売る気はない」
単純な拒絶。
ただの罵倒。
身に覚えがありすぎた。
それでも、それをしっかりと認知してくれることに。
「……っふ」
アズマは、安堵した。
仕方ないことだと。
そうやって、許容されることは。
彼はしないのだと。
ただ、それを見たトムは嫌そうな顔をする。
「なんだ、気持ち悪い」
「鼻で笑っただけで嫌悪感を抱かれた!?」
「馴れ馴れしくしないでくれ」
「何でそう嫌われてんだろうな、俺は」
「……気にするな。理由はない」
「むしろ気にすんだけど、それ」
「そうか。なら、気持ち悪いんだから気持ち悪いんだろう」
「だからと言って、理由をつくべきってわけじゃないけどな!」
「はぁ、貴様と話していても時間だけが過ぎていくな」
「おい、逆もまたしかりだぞ」
「……脱線しすぎた。本題を話すぞ」
「はいはい、俺のせいでノエルの日常がまた少し減ったって話だな」
「それはまた後で、だ。貴様、今ノエルさんがどこにいるのか知っているか?」
「知らんけど……どうかしたのか?」
「いや、てっきり、今も貴様と一緒にいると思っていたのだが」
「……実を言うと、俺はそれを不審に思ってたんだ」
「貴様、ノエルさんに好かれているからと言って、あの人の人生を食いつぶして良いわけじゃないだぞ!」
「く、食いつぶすって」
「……【剣聖】。僕が誰の味方か、それを知っているか?」
「ノエルの味方だろ?」
「いかにも。……意外だな、てっきり吐き間違えていると思っていたのだが」
「馬鹿を言うなよ。オマエはさ、俺に共感も憐憫を覚えてない。それくらいは、オマエの態度で分かるさ。だから、俺はオマエを好ましく思うよ」
「……そういう趣味か?」
「かもな。俺は、俺に対する好意をもうまともに受け取れられない。信じられないんだよ、トム・ジェイソン。だからこそ、オマエの意見は、現実らしくて好ましい。ああ、ここで感じるべきなのは『憐憫』じゃなくて、『嫌悪』だから。オマエは、『異常』を嫌っていてくれ」
「言われずとも、僕は貴様を嫌い続ける」
「モーマンタイ。それで良いさ」
「……それで、不審とは?」
「いつも、ノエルは七時にうちに来るんだけど、まだ来てないんだよね」
「通い妻か」
「……それ、止めてくんない?」
「ん、そうだな。失言だった。今度、ノエルさんに謝ろう」
「きっと、むしろ喜ぶんじゃないか?」
「複雑だな」
「……オマエさ、ノエルが好きなの?」
「友達として好きだ。それと共に、人間として尊敬している」
「ふぅん、そうなんだ」
「銃で撃って良いか?」
「刀で斬り返して良いなら」
「っち、また話がズレた」
「人間である以上、脱線は避けられぬ道なのかもな」
「それで、貴様はどうする気だ?」
「今からノエルの家に行くつもりだ。オマエも来るか?」
「いい、貴様に任せる」
「……そうか」
「じゃあ、俺は失礼す……ん」
右ポケットから、振動をアズマは感じ取る。
ゴソゴソとポケットを漁り、携帯電話を開くと、そこにはノエル・アナスタシアと表示されていた。
「……はぁ」
――心配させやがって。
そう思いながら、平然とボタンを押す。
「もしもし」
そして、声をかけた。
すると、アナスタシアの声が聞こえてきた。
『――久しいな、我が【剣聖】』
瞬時、アズマは全身が凍り付いたような感覚に襲われる。
「っ!」
知っている。
『――気を付けろ』
この声色を。
『――今のこの場所は、汝の知る『三枝学園』ではない』
透明な悲鳴を、咄嗟にアズマは抑える。
『――まるで、ただの魔境だ』
改めて相対した、純粋な恐怖を嫌悪する。
「……どういうことだ、【転生者】!?」
その名前をアズマは叫んでいた。
ノエルの人生を狂わせた、その名称を。
六度の継承を繰り返した、転生からなる一種の【運命】を。
「――なっ!?」
トムは足を止め。
「――っ!?」
イドラは殺していた息を吐く。
それと共に、その周囲の二人にも、今の現状がいかほどに恐ろしいものなのかを悟ったのだろう。
『――吾輩が今いるのは、小娘がいつも汝の家に向かっている時の道だ。せっかくだから、迎えに来てもらおう。それはそうと、できるだけ【人形】には気づかれない方が良いぞ』
「はぁ!?」
何一つ、情報が伝わっている様子は無かった。
「じゃあ、切るぞ。今の汝の声で傀儡に気づかれた」
機械的な音が鳴る。
ゆっくりと、形態を閉じる。
「……」
一瞬の呆然。
凍結していた思考が、加速する。
だからこそ、アズマは咄嗟に叫んだ。
「イドラ!」
「こちらでございます!」
その意図を一瞬で察したイドラが、アズマの前に出る。
「おい、【剣聖】!」
「オマエもついて来い! 緊急事態だ、コイツは!」
「いや、イドラって、何だ! いや、誰だ!?」
「イドラ、トムにも見えるようにしつつ、ステルスを俺とオマエとトムに貼ってくれ」
「何を言って……萌え袖シスター!?」
「シリアスだ、空気読め!」
「クソ、急展開過ぎる」
「ついて来てくださいまし!」
「実はメイドとかか!?」
「空気読めって!」




