第一章28、『大英雄』
黙々とアズマとイドラの二人がパスタを食べていると、同じく黙々とスマートフォンをいじっていた日比谷は、音も立てずに机の上へスマートフォンを置く。
そして、足を組んでこう言った。
「……アズマ君、今から私は独り言をする。君は、それを食べ終わるまでうんともすんとも言わなくていいよ」
返事をするまでもなく、二人は淡々とパスタを口に運んでいた。
そんな無言を了承として認識したのか、日比谷は教師らしい口運びで言葉を綴り始める。
「【神秘】に関わり、結果【神秘】をその身に宿した人は、大きくその在り方を変えてしまう。その前例として、とある少年を挙げてみようか」
「かつて、彼はただの子供だった。何も知らない、ただの子供だった。彼は、誰かを『助けること』に、大きなこだわりを持っていた。知っているかい? 『自分を助けられない人は、他人を助けることはできない』んだ。彼の妹が生まれる前に言った、母親のその言葉は、深く彼に刻まれた。だって、それが彼の聞いた彼女の最後の言葉だったからね。何度も、何度も、何度も、毎晩のように、それを語る母親の声が、夢の中に出てくれば、それは洗脳のように、深く深く刻まれる。だけど、それだけの話だった。彼には、力が無かった。だから、誰も『助け』られずにいたんだ。結果、彼は彼を助けられずに生きていた」
「彼の人生の変わり目は、一人の少年との出会いだった」
「ある日、彼にしては珍しく、授業中に居眠りをしてしまった時に見た、真っ白な空間で見た悪夢」
「そこでは、一人の少年が血まみれで倒れていた」
「対して、彼はそこで泣いていた」
「そして、目が覚めた」
「その帰り道のことだよ」
「桜のように白い髪、海の海藻のように美しい瞳、彼よりも大人びていた朧げな声。それはまさに、幻想のようなものだったね」
「彼は出逢った。当時、日本において、それも七歳という幼さで、【最強の怪異殺し】と【怪異】だけでなく、【人々】にも忌み嫌われ、そう呼ばれていた少年に」
「たった一晩だよ」
「色々あったんだ」
「その少年が【狐の大怪異】によって周囲の人間に忌み嫌われてしまう【呪い】を掛けられていることを知ったり、自身の親友二人が日本に三十六人しかいない【霊能】の保持者であることを知ったり、彼が好きな幼馴染がその少年を殺そうとしている【霊術師】の一人だと知ったり、自身の親がその夜に少年を殺そうとしていることを知ったり。まぁ、色々あったんだ」
「少なくとも、その夜」
「彼は、人を『助ける』術を得たんだ」
「初めて、彼は人を助けた」
「同時に、狂ったんだ」
「アズマ君、君はどう思う?」
「彼はどう狂ったと思う?」
返事はない。
二人は黙々とパスタを食べていた。
……それぞれ三杯目の。
それを見て、日比谷は苦笑いをすると、その拍子に思い出したかのように、楽しげにこう告げる。
「それはそうと、少年の名前を言うのを忘れていたね」
「五年前の『家文村炎上事件』」
「それを経て、かの少年は一人の少女とヨーロッパに向かった」
「結果、8人の【人類神格】の保持者を撃破した」
【大災害】。
その戦歴を聞いて、アズマの頭の中でそんな言葉が思い浮かぶ。
「その偉業は、己の命を代償に成し遂げられた」
「今では、【大英雄】とも呼ばれる存在」
ある意味、【大災害】の被害をたった一人にした戦犯。
日比谷は、冷静そうな声色で告げる。
「心傷梓真」
その名前の後半を。
それを聞いて、アズマはピクリとする。
「それが、その【大英雄】の名前だよ」
淡々と、彼はそう言った。
その瞬間、日比谷博文の『独り言』を終わりを迎えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
酷い偶然だった。
日比谷の告げたその現実が、アズマに一つの可能性を掴ませてしまう。
――【パンドラ】たちが敵の可能性。
「……酷い、偶然だな」
心傷梓真と言うと、誰もが慕う【大英雄】だ。
その人生は、過酷なもので、まさにそれは【運命】と呼称されるほどである。
だからこそ、ありえない。
ありえてはならない。
「何で、否定するんだい?」
「……それは」
「くだらない自己嫌悪は捨てなよ。相応しくない。ありえない。根拠がない。それは、君が決めることだ。だけど、今のままじゃ、誰も何も変えられない」
「お待ちください」
「イドラ君、君の言い分は最もだ。確かに、君とアズマ君は【大災害】以前に会ったことがる。それがある限り、君は私の言い分は認められない。だけどね、それはこっちも同じなんだよ」
「私は、アズマ君を知っている。だからこそ、私は君の言い分を認めない。認めるわけにいかないんだ!」
「……じゃあ――」
何故、周囲のアズマに対する態度が好意的なのか。
それは、以前に会ったことがあるから。
それは、以前に世界を救ったことがあるから。
けれど、それは。
「――ノエルが、みんなが、嘘をついていることになる」
「そうなるね」
切腹の介錯をする侍のように、平然と日比谷はそう告げる。
「……」
「アズマ様の瞳の色は、赤でございます」
「ああ、言い忘れてたけど、それは、【心眼】のせいだよ。梓真君は、【心眼】と言う特別な瞳を持っていてね。それ所持していると、瞳の色が、その性格に呼応して変化するんだ。本来、彼の瞳の色は『赤』だよ。神社の鳥居のように神秘的な紅色の瞳だと聞いている」
「っ! そんな後出しじゃあ!」
「嘘くさいだって? ああ、嘘くさいだろうね。でもさ、言っとくけど、私から見れば、君たちの方が嘘くさいよ。一年と七ヶ月前のあの事件だって、あんな訳のわからないことで終わらせてる」
「それは……!」
「でも、こう言う話は、本当にどうでも良いんだ。何が正しいのか、それは決めるまでもなく、既に決まっているんだからね。この話は、本当に無駄な無駄話でしかない。だから、少なくとも、今アズマ君がすべきなのは」
「何が正しいのか、それを判断することだよ」
そうとだけ言われて、アズマの中で葛藤が生まれる。
考えるべきことなのか、と。
今、アズマは既に、ノエルを信じる選択を選んでいる。
しかし、深く考えてみれば、きっと別の見解だって生まれることだろう。――だが、それは、ノエルに対しての裏切り行為になるのではないか。ある意味、ここで深く考えることは人間であるのなら、必然の行為かもしれない。
いわば、保身だ。
表向きでは、アズマは、ノエルを救うために行動している。
だが、その裏では、【転生者】との契約で、ノエルを自らの手で殺すと言う者を結んでいる。
確かに、それは最善だった。
けれど、ノエルとの約束はどうなる。
救えないじゃないか。
今のアズマは、ノエルを救うと言う点で、今の居場所を得ているはずだ。
逆に、それ以外の所以で、彼の居場所は存在していない。
例えば、【転生者】を裏切るのであれば、この長考も意味はなくなるだろう。
だが、一つの問題がある。
現状、アズマには【転生者】に勝利することができる手段が存在していない。そもそも、【転生者】に勝ったところで、ノエルが【運命】から逃れることができる保証はない。
手段がない。
今のままでは、ノエルが死んでしまうのは、確定事項だった。
残り八ヶ月。
それだけの時間で、ノエルを救える手段を手にすることができるのだろうか?
――もしもの話をしよう。
今ここで、日比谷の提言を受け入れたとしたら。
そうすれば、アズマは梓真と言うことになり、新しい居場所を手にすることができる。
しかし、それはノエルへの裏切り行為となってしまう。
どうせ、救えない命を救おうと足掻いて絶望するか。
いつも通りに、自分じゃない誰かを演じて無気力感に溺れているか。
そんな選択肢が、アズマには存在していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どれだけの静寂だっただろうか。
居心地の良いはずだった喫茶店は、戦闘とはまた一味違った緊張感に包まれていた。
そんな中、アズマは判断する。
「俺はノエルを信じる」
アズマはポツリと呟く。
「俺はノエルを信じてる!」
アズマは大声で宣言する。
「ああ、そうか。そうだよな。俺はノエルを信じてる。保身が何だ。それを考えちまう自分に絶望すんな。やる前に諦めんなよ。そんなことよりも、俺はノエルを裏切りたくない。裏切りたくないんだ! そう考えてる時点で、俺はノエルの味方なんだ!」
確かに、アズマは嘘つきだ。
最善を得るために行動する。
例えそれが、外道と呼ばれる行いでも。
そうすることで。
そうすることでしか。
それを当たり前のことのように。
そうすることで最善を手にしている存在だ。
それは、あくまでも表向きの話なのだが。
それを『優しい嘘』だと呼べるほどに、アズマは自身を愛してはいない。
自惚れていない。
他人に認められたモノのみだけを愛する。
否、それしか愛せない。
それが、彼だ。
だからこそ、ロールプレイのうちに自分が侵されることはある。
その過剰と呼べるほどの傲慢な振る舞いに。
その愚かと呼べるほどの甘い立ち振る舞いに。
それは、実に極端だ。
けれど、それは感化したからの話。
それに憧れ、それに願って、そうなりたい、そうしたいと望んだのは、他ならぬ彼なのだ。
そんな彼にも、曲げられないものがあるのだと、あったのだと、彼は彼に、自己肯定感なんぞ壊れきったはずの彼が、その自分の意見に対して『喜び』の感情を抱いていたのだ。
いわば、感激だ。
否定による肯定ではない。
肯定による否定だ。
それは、いかに気楽だったか。
それは、どれ程楽しかったか。
嬉しかったのか。
この理由は。
この訳は。
曲がることも、折れることもない。
既に彼は気がついている。
否定されても、決して折れない意思がそこにはあるのだと、彼は悟ったのだ。
その感情の正体を。
「……正解だよ」
日比谷は苦笑いをする。
「大正解だ、アズマ君。確かに、君は梓真君によく似ているが、その一点だけは全く似ていない。ああ、君は心傷梓真じゃない。やっぱり、アズマ・ノーデン・ラプラスだ!」
そう言って、しっかりとした足取りで日比谷は席を立つ。
「どこに行くのでございますか?」
「仕事だよ」
振り返ることもなく、彼はそう言う。
が、代わりに足を止めた。
「……それはそうと、一つだけ言い忘れたことがあった」
会計で、一万円札を置いて、日比谷は続けてこう言った。
「――梓真君は、英語を使えたよ」
それは自滅だ。
自身の意見に、彼はナイフを刺した。
「そっち方面は、君よりもずっと優秀だったよ」
彼にしては珍しい『捨て台詞』を吐くと。
軽快でお洒落な音が鳴る。
密会は、静かな終わりを迎えた。