第一章17、『回想、閑話休題』
アレは確か、酷く暑い夏の日。
それも、雲一つないハレの日。
私が九歳の頃の話である。
『世界神秘対策機構本部』が存在している【異空間】にて。
机を挟んで、日本さながらのお見合い結婚の如く、そのまま向かう合うように、私と【パンドラ】様は、椅子に座っていた。
ただ、それはお見合い結婚でもなく、実際はほぼ日課と化していた三時のおやつタイム――まぁ、いつものように、【パンドラ】様と午後の紅茶タイムを過ごしていると、ティーカップを片手に、【パンドラ】様はこう切り出してきた。
「――イドラ、貴女にお願いがあるんですけど、構いませんか?」
「お願いよりも、任務を任されたいのですが……」
「それはまだ早いから駄目です」
「……そうでございますか」
今振り返ってみると。その日の【パンドラ】様は何処か、普段よりも落ち着きがなかったような気がする。チラチラと、時計をよく気にしていたし、普段よりも小さなミスをすることが多かったのだ。
【パンドラ】様は、まるで己の緊張をほぐすために、紅茶を一度口にし、ようやく私に告げた。
「イドラ、貴女には、私の娘たちの相手をしてほしいのです」
あの時、私は生涯でこれ以上もないほどの衝撃を受けた。
その任務の重要さに、ではない。
【パンドラ】様に子供がいるという事実のせいだ。
何しろ、【パンドラ】様は、普通に考えて、幼い体つきをしているため、年齢は自分よりも圧倒的に上とは思っていたが、結婚はまだしも、子供までも作っているとは思ってもみなかったしいなかった。
「……【パンドラ】様って、結婚をなさっていたんでございますか!?」
そのため、私は、こんな失礼なことを口にしていた。
そもそも、結婚をしていたことではなく、子供を作っていたことに驚いていたというのに、言葉のチョイスを間違えてしまっているところからも、私の動揺が見える見える。
私のその失態を見て、【パンドラ】様は苦笑いをしながら尋ねてくる。
「え、えっと、それは、イメージ的な話ですよね? 私が、まだ子供っぽいところがあるせいで、結婚しているのが意外と言う話ですよね?」
「い、いえ、とても、結婚をしているような体つきをしていませんでしたので」
私の失敗その二である。
二度も失敗するとは、あの頃の私は従者の資格もないようだった。
「……貴女に、私が面倒を見てもらいたいのは、二人です。一人は、『ノエル・アナスタシア』と言う名前の女の子で、もう一人は、『アズマ・ノーデン・ラプラス』と言う名前の男の子です」
「……バツイチでございましたか」
「落ち着きなさい、イドラ。ほら、紅茶でも飲んで。今の貴女、とても失礼と言うか、あまり口にしてはいけないことを口にしていますからね」
「はい、落ち着きます」
私はそう言って、紅茶を口にする。
「――落ち着きました」
「そう、それじゃあ、私に聞きたいことはある?」
「それで、お伺いします」
私は言った。
「本当に、バツイチなのでございますか?」
改めて、言った。
「……落ち着いてそれなんですか?」
「まず、落ち着ける程度の話ではございませんので」
「……義理ですよ。養子、とでも言うべきでしょうか」
「あぁ、そういうことでございますか。安心しました、そのような幼き体で子供を産めるなんてことを、私は思いたくありませんでしたから」
私がそう言った後、私と【パンドラ】様は、お互いに紅茶を口にし、同じく落ち着きを取り戻すと、その静寂を破るように、【パンドラ】様がその口を開いた。
「――それで、面倒は見てもらえますか?」
私は頷く。
いつものように、【パンドラ】様に忠誠を誓うように。
「でも、よろしいのですか?」
「ええ、良いのです。私は、貴女のことを信頼しているし、信用していますから」
「はい、私も私で、同年代の知り合いは居りませんので、【パンドラ】様のご氏族との関わり合いは、とても良い機会になるかと」
「ええ、貴女は、年の割には大人びているけど、そう言った経験がひどく抜けています。それは、貴方の直すべき欠点ですから」
「それでは、もう時間のでしょうか?」
「そうね、それじゃあ、【扉】を使うからついて来てくださいよ」
「分かりました、御供します。……ところで、ここのお菓子を持参してもよろしいでしょうか?」
「良いですけど、何か理由が?」
「いえ、これで仲良くなれる確率が上がるかもしれないと思いまして」
「ナイスアイディアですよ、イドラ。流石に、変わり者の彼女たちでも、甘いものには破れることでしょうし」
「……変わり者?」
そのワードを言い返すと共に、私は嫌な予感を覚えていた。
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【扉】が開く。
景色が広がる。
場所が変わっても、天気は晴れだった。
スンスンと、落ち着くために空気を吸ってみる。
潮の匂いがした。
私が、初めて味わった匂いだった。
自然と、気分が洗われていくようなイイものだった。
「……」
そんな中、ただただ私は唖然としていた。
ちなみに、私は久しぶりに『世界神秘対策機構本部』の外に出ていた。
久しぶりに外に出たからか、だからこそ、私はその久しぶりさに唖然としていたのだろうか?
いや、違う。
ありえない。
在り得てはならない。
在り得ざることだ。
その程度のことで唖然とするほど、私の正気は削れていないはずだ。
……そのはずだ。
そう、ただ、私は唖然としているだけだ。
自分自身の常識を疑っていただけだ。
……話を戻すが。
あの方、【パンドラ】様が養子として育てていた子供たち――『ノエル・アナスタシア』と『アズマ・ノーデン・ラプラス』が、三人で仲良く暮らしていた場所は、イギリスにある小さな港町の教会だった。
その街では、彼女たちはそこそこの知名度のようで、そこそこの数程度は、人が訪れることがあった。
小説にあるような、丘の上の教会、といった類のものだった。
そんな質素な教会で、【パンドラ】様と愉快な子供たちは、本当に小さなもので、『世界神秘対策機構参謀』という立場である都合、収入もそこそこのはずだが、理由は特に分からないが――教会と言っても、【パンドラ】様は宗教に入っているという話は聞いたことがないためあまり関係はない――何故か必要最低限の質素な暮らしをしているようだった。
とにかく、これだけは分かっていてほしい。
私は、唖然としていた。
一方的に私が見ている風景の中で、白い髪の少年は、あの言葉を口にした。
「のーえーる、僕と結婚してよ」
こんな感じの言葉を、何の恥ずかしげもなく。
白く短い――ミディアム程度の長さの髪を持っている、幼げの残っている少年は、隣の少女――おそらくは、『ノエル・アナスタシア』と思われる大人びた風貌の少女に、愛の告白をしていた。
「……」
対して、少年の相手であろう、赤みを帯びた長い黄金色の髪を持つ少女――さっきの言ったが、『ノエル・アナスタシア』と思われる少女は侮蔑の表情を必死に我慢しながら、無表情に己の感情を殺しているように見えた。
「無視しないでよ、ノエル」
しょぼんと、アズマは下を向く。
この台詞だけを聞いたら、私には彼の言葉がかわいそうに思えたかもしれない。
「……」
対する彼女は、やはり無言だ。
おそらく、長い間、同じことを何回もされ、その結果、彼に対して行うべき行動が、無言からなる無視なのだと、悟っていたのだろう。
そんな彼女を見て、少しムッとしたような顔をして、白い髪の少年は、パッと明るい顔をして――具体的には、ニコニコと笑顔を作りながらこう言った。
「じゃあ、無言は了承と受け取るよ」
「私は貴方が嫌いです、近寄らないでください。御免なさいと言うべきでしょうが、私は本当に貴方が嫌いなので、謝罪の言葉を口にする気もありません。ついでに、死んでください。目ざわりです」
即答の否定だった。
いわば、拒絶。
言ってしまえば。チョーウザい。
そんな感じの。
ガチで嫌っているタイプの言葉返しだった。
「アハハ、ツンデレちゃんだなぁ、ノエルはぁ。ま、そこもかわいいけど」
一切の狼狽えをせず、白い髪の少年はそう言い返す。
どうやら、ダメージはゼロのようだ。
――と言うか、無言だった時の方がダメージがあるように見えた。
それはともかく、ふと思う。
私は何を見せられているのだろうかと。
「……これが、同年代に、その年上、でございますか」
無意識のうちに出た私の呟きを聞いて、やっと私の存在に気が付いたのか、ハッとしたような顔を見せてきながら、『ノエル・アナスタシア』と思われる少女は、白い髪の少年の首を掴みながら話しかけてくる。
「あはは、すみませんね。うちのアズマ《ばか》が。……これ、いつもこんなんなんですよ。困りますよねぇ、あはは。お母様の言っていた『シスター・イドラ』さんですね? 初めまして、ノエル・アナスタシアです。コイツは、アズマ。……いっそのこと、死んでしまえばいいのに」
苦笑いだった。
感情の色合いは見えない。
ただ、私はこの時、そんな考察よりも先に、とあることを思い浮かべていた。
……怖い。
……怖すぎる。
一般人、怖い。
常識って、何だっけ?
分かんないなぁ。
こんな感じで、悟ったように、思い浮かべていた。
白い髪の少年は、懲りずに言葉を口にする。
「辛辣だなぁ、ノエルは。人前だからこうだけど、二人っきりの時は俺にデレデレなんだぜ。どうだ、スゴイだろ!」
「なっ! 違いますから、私はコイツのことは大嫌いですからね!」
真偽は分からない。
審議もできない。
だからこそ、私は、フレンドリーに接するべく、言ってやった。
「……お菓子、食べます?」
「「食べる!」」
……どうやら、年相応の反応は出来るようだった。
まぁ。
何はともあれ、これが、私と『ノエル・アナスタシア』。
そして、『アズマ・ノーデン・ラプラス』との出会いだった。
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いつぶりだろうか?
「あの時の苦笑い。酷く印象的でございました」
この感情を覚えるのは。
「――身を低くして、相手を自分とは上と思わせて、そうすることで、敵に威嚇する類の苦笑いでございました」
声が震えないように、口を開くのが辛い。
「いえ、違いますね」
今でも、私は恐れている。
「あの感覚は……そう」
私が思うに。
「恐怖に値するものでございました」