第一章番外、『前日譚1』
~前日譚1~
私――【シスター・イドラ】は、【パンドラ】直属の部下の一人である。
私が私を私として認識できないほどに幼い頃、私は『世界神秘対策機構本部統括団長』に引き取られ、それと共に、世界で唯一の『神秘魔術』の会得者となるべく、必死に足掻いてきたのだ。
結果、多くを学んだ。
言語を知った。
常識を知った。
殺し方を知った。
生き方を知った。
知った。
だから、私は選ばれて、今ここに立っている。
「【パンドラ】様、お呼びでしょうか?」
私は跪いて、私が母親のように慕っている人物の名を呼んだ。
「よく来てくれましたね、イドラ」
すると、優しい声色で、【パンドラ】様は私の名前を呼んで下さる。そして、彼女は続けて言った。
「貴女に、重要な【任務】を任せたいのです」
正直に言うと、起きたばかりでまだ朧げな意識が、その一言で覚めた。
私はまだ、一度も任務を任されたことがない。
日頃の大体の仕事が、【パンドラ】様の身の回りの世話なのだ。――と言っても、しっかり者である彼女は、【神秘】を知っている割には、私が知る限り一番まともな人である。問題点と言えば、私のするべき仕事を先にぱっぱと終わらせてくることだろうか。――あと、私が最も尊敬している人である。
「お任せください。このイドラ、必ずその命を達成させて見せます」
「ふふ、期待していますよ。……それと、イドラ。何度でも言いますが、まずは、【任務】の内容を聞いてから、返事をするようにしなさいと、何度も私は言っているはずですよ」
「申し訳ありません!」
一度、気分を切り替えるためなのか、【パンドラ】様は小さく息を吸う。
そして、彼女は言った。
「……イドラ、貴女は、『アズマ・ノーデン・ラプラス』と言う名前に聞き覚えはありますか?」
「はい、『世界神秘対策機構』で何度か」
私は頷きながらそう答える。
「【神秘】では、悪い意味で、彼は有名ですからね」
「……あの方が、彼が、『アズマ・ノーデン・ラプラス』が、今回の任務に何かしら関わってくるのでございますか?」
「ええ、イドラ。貴女には、『三枝学園イギリス支部高等部』での、言語通訳を頼みたいのです」
「……げ、言語、通訳でございますか?」
「彼、日本生まれ日本育ちだから、英語は分からないのですよ」
呆気らんと【パンドラ】様は言う。
「そ、それでも、義務教育で学んだりするのではないのでしょうか? 噂では、確かに、彼は記憶喪失だと耳にしておりますが、確か、それは、エピソード記憶限定の話ではないのでしょうか?」
「……詳しいですね」
「それは……もちろんでございますよ。そういう知識は、【統括団長】からお教えいただいているので。……それに、【剣聖】と言いますと、あの【奇跡の担い手】を守る為に存在している【五英雄】の一柱でございます。いわば、一種の【神】の守護者です。この業界で知らない人はいないでございましょう」
「ええ、それなら良かった」
「……」
何が良かったのだろうか?
……【パンドラ】様は続ける。
「話を戻しますが、彼を見た医者曰く、肉体年齢から予測するに、彼の年齢は当時は14歳――つまり、現在は15歳らしいのですが、その年齢だと、日本では中学一年生に当たります。それも――」
と、【パンドラ】様は何か口に出そうとして、急にその口を止める。
「どうか、致しましたか?」
不思議に思って、私が声をかけると、【パンドラ】様は静かに首を横に振る。
「いえ、大丈夫ですよ。……イドラ、良いですか? 私の娘、『ノエル・アナスタシア』を守りきるためには、『アズマ・ノーデン・ラプラス』を必要不可欠です。彼の負担――ストレスを減らすために、私は貴女を『アズマ・ノーデン・ラプラス』のサポートに向かわせたいのです」
「分かりました。このイドラ、命を捨てでも、『アズマ・ノーデン・ラプラス』の援護に回ります!」
「ありがとうございます、イドラ」
彼女は微笑む。
「……それはそうと、今回、彼らのいる『三枝学園イギリス支部高等部』までは徒歩です」
「……【扉】は、使えないのでございますか?」
【扉】――『世界神秘対策機構』には、正式なものではないが、【扉】を呼ばれる、元々マーキングしておいた扉と、『世界神秘対策機構本部』側にある扉を繋げることができる移動手段が存在している。その利便性と、【パンドラ】様由来のものであるがゆえに、【パンドラ】様だけでなく、【統括団長】が許可を出さなければ使用が出来ない代物だ。
それが使えない。
淡々と、何故か申し訳なさそうに、【パンドラ】は言葉を続ける。
「ええ、『三枝学園』は管轄外ですからね。迂闊に手を出すと、こちら側が呆気なく死んでしまいます。【統括団長】には、一応話を通して、かつあちら側の責任者である『日比谷博文』と言うお方には、許可は取っていますので、安心してください」
「それでは、早急に準備をして、出発いたします」
私はそう言うと、我ながら惚れ惚れするほど美しく滑らかに立ち上がり、そのまま【パンドラ】様に背を向ける。
「お待ちなさい、イドラ」
「……何でございますか?」
「【奇跡の担い手】が話をしたいと、ついさっき私に連絡を寄こしてきました。出発前に、【扉】を使用し、その後、護衛を連れて向かってください」
「はい、了解いたしました」
私はそう答えて、足を前に出す。
すべては、【パンドラ】様の命に従うために。
――これが、一つ目の目的だった。
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ドアノブは、木のぬくもりによって、不思議と温かく感じられる。
私は、必要最低限の荷物を片手に扉を開くと、光が広がった。
潮の匂いが香る。
港町なのだろう。
――【奇跡の担い手】曰く。
「お、来た来た」
この世界の基本の一つであり、それゆえに習得が難しい【四大元素】の一つである【風】を操る【風元の魔術師】。
「お待ちなさい、違うかもしれませんよ」
誤った【理】である【魔術】でありながら、正しい【理】の【科学】に最も近い【占星魔術】を操る【昼真の魔術師】。
「……眠い」
複数の本――おそらくは、【魔導書】の使い手である【魔導司書】。
彼らは、三人組だった。
男性二人に、女性が一人。
『世界神秘対策機構』におけるチームは、基本的にスリーマンセルだ。それだけではなく、私の使用していた軽度の【神秘魔術】を突破している事実からも、彼らが私の護衛の為に派遣された人たちなのだろう。
私は、そう思って、一歩前に出る。
「はじめまして、私の名前は『イドラ』でございます」
そうして私が一礼すると共に。
たった一日の彼らとの触れ合いが始まった。