第一章14、『永い夜』
ガチャリ、と扉を音を立てて、そのまま閉まる。
二人分の足音が玄関から鳴り、スタスタとリビングへと向けられていた。
二人のうちの一人――アズマは、いつもよりも随分と機嫌が良さそうに、柔らかい物言いをしながら、もう一人――イドラに話しかける。
「俺はソファで寝るから、イドラは俺の寝室で寝ろよ。安心しろ、まだ一度も使ってないから」
「お気遣い感謝させていただきますが、辞退させていただきます」
「――ふむ」
当然の反応だろう、とアズマは考える。
普通なら、赤の他人が使ったかもしれないベットを使うほど、女はちょろいものではない。いや、この言い方だと語弊があるかもしれない。
まぁ、信用できない相手に寝顔が見せられないのと同じ原理だろう。
「やっぱり、男が使ったかもしれない奴を使うのは嫌か」
「い、いえ、そういうわけではございません! 私がアズマ様のベットを使ってしまえば、東様が寝るところがなくなるので、と言う話で」
「じゃあ、俺のベットを使ってくれ。俺はソファで寝るからさ」
「……はい」
不満げに、イドラはそう言う。
嫌悪感と言うよりは、忌避感からなる『不満げ』のように、アズマは思われた。
「そうそう、イドラ」
気分を誤魔化すように、軽々しようにアズマはそう言う。
「はい、何でございましょうか?」
「ノエルを救えたら何をするか、だっけ?」
「あの話の続きでございましょうか?」
「ああ、俺は『日本』に行くよ」
「……日本に?」
「全国を回って、その後にイギリスに帰る」
「……日本を拠点にはしないんですか?」
「ん、ああ、今の俺にとっての故郷は『イギリス《ここ》』だからな。帰ってきた後は、ヨーロッパを中心に『不老不死』を狩っていこうと思う」
「最終的には、『世界神秘対策機構』側に着く、と言うことでございましょうか?」
「いや、フリーランス」
「……残念です」
本当に残念そうに、彼女はそう言う。
よっぽど、『世界神秘対策機構』は人員不足らしい。
「それはそうと、明日の放課後に買い物行くぞ」
「えっと、何を買いにでしょうか?」
「オマエの服」
「……え?」
アズマの発言が意味の分からないものだったのか、キョトンとした様子をイドラはする。
変な勘違いをされても困るので、アズマは淡々とその理由を吐き出す。
「だって、いつも『神秘魔術』を使用しているからって、確かに周囲の『一般人』には見えていないけどさ。それでも、『魔術師』とか、『魔法使い』などなど、今日戦闘した奴みたいに、オマエを見えてる奴は結構いるはずだ。それに、別行動を取ろうにも、オマエのその服装じゃあ、周囲からの印象が強すぎて、情報収集とか任せられないしさ」
「……あ、あの」
「金のことは遠慮すんな。ノエル護衛の必要経費として、【パンドラ】に金を請求すれば良いだけの話だ」
「いえ、そうではなくでですね。ただ、問題がありまして」
「問題?」
「服の購入の際、私が『神秘魔術』を解いていない限りは、女性ものの服を買おうとしている少年だと、アズマ様が店員に認知されかねませんが……よろしいのでしょうか?」
女装の話がここでつながってくるとは、流石のアズマも思っていなかった。
思わず、アズマは唖然――呆然としてしまう。
いや、これは絶句だ。
「……」
「い、いえ、『神秘魔術』を解除すれば良いだけの話ですので……ですが、それだと、私の服装の所為で周囲からの視線が……」
「大丈夫だ」
咄嗟に、アズマはそう言っていた。
それと共に訪れた、一握りの閃きが、アズマの口をニヤリとさせる。
「と、申しますと?」
「俺に考えがある」
「お聞かせいただけると幸いですが……」
「それはその時に教えるよ。そっちの方が面白い。あと、問題で思い出したけど、オマエに関する重大で致命的なやつがある」
「……それは?」
「オマエの食糧問題」
淡々と、アズマは言った。
「それに関しては、何の問題も心配の必要もございませんよ。何故なら、私はスパイ活動を目的として、『神秘魔術』を会得した『魔術師』でございます。そのため、激しい拷問だけでなく、隠密行動のためのサバイバルの心得は完全に習得しております」
「おい、今暗い背景が見え隠れしたぞ」
「『魔術師』なんて、皆様このようなものでございます」
「……ソウスッカ」
それを聞いて、アズマはふと思う。
――だったらむしろ、ここでは普通の暮らしをしてほしい、と。
アズマの知っている『魔術師』は、今のところ、二人しかいない。
いわば、それぞれが各々の『不幸』を抱えている人間。
彼らが戦う理由は、何処にある。
【転生者】の【無敵】に加わった以上、【弱者】を守るために、代わりに【強者】として、アズマが戦うべきではないか。
そんな。
自己満足からなる、偽善に過ぎないのだと、アズマは瞬時に察する。
だが、しかし、何もしないよりも、数十倍――数百倍――数千倍――圧倒的にマシだ。
自然と、口が動き出す。
「だったら、ここでは普通に過ごしてくれ」
「ふ、『普通』、でございますか」
動揺が見え隠れする。
その意味は分からない。
「ああ、今回の『任務』では、『任務』を果たすだけで良い。オマエは、オマエのしたいことをすれば良い。いわば、一種の休暇だよ。こっちに対して、過度な気を使わなくて良いし、別に俺に関する情報なら、拷問されてもすぐに吐いても良い。――そもそも、俺に関わった時点で、オマエは俺の守護対象だ」
「……ありがとうございます。ですが、私よりも、ノエル様を優先させることだけは、それだけは優先させてください」
それを聞いて、アズマは不満げにため息をつく。
「俺が望んでるのは、そー言う『我儘』じゃないんだけどな」
「……本当に、言っていいんでしょうか?」
「ああ、金に関してはドンと俺に任せろ。言いくるめなら、大得意だ」
ちなみに、払うのは【パンドラ】である。
「なら、私専用のベットが欲しいです」
「オーケー、了解だ」
優しく、アズマは微笑む。
「それと、別に、おしゃれをしても、【パンドラ】様にチクったり、しないでくださいますか?」
「ああ、しないさ。さっき、ブラウンさんにも言ったが、俺は人間との約束は破るつもりはない。――絶対に守る」
ニヤリと、アズマは笑う。
「……今日は、アズマ様のベットを使わせていただきます」
「ああ、俺は別に構わないよ。それと、服とベットを買うついでに、イドラ専用の朝昼晩セットも買うからな。拷問をする奴と俺を一緒にされちゃ困る」
軽々しく、アズマは苦笑いする。
「あっ! 失礼いたしました!」
「……いや、良いよ。それと……」
――出来れば、敬語を止めて欲しい。
そう告げようとして、アズマは口をつぐむ。
アズマと違って、彼女には立場というモノがある。
以前、アズマが【パンドラ】に対して行った『アルバイトが会長に暴言を吐く』と等しき行為は、『世界神秘対策機構』の正式な『魔術師』であることから、出来る限り、回避するべきだろう。
彼女とアズマは違うのだと、悟る。
そこまで考えて、アズマは背伸びをした。
いつも通りに、アズマに睡魔が襲い掛かってくる。
だからこそ、アズマは言った。
「――おやすみ。お互い、今日の疲れをしっかりと取ろう」
「はい、それでは、失礼いたします」
イドラはそう言って、綺麗な一礼をすると、こちらに背を向けて、アズマの寝室に向かって歩き出す。
――こうして、アズマの長い夜が始まった。