第一章10、『世間話』
足音が二つ。
けれど、アズマ以外の人間には一人分の音しか響いていないだろう。
それにしても。
「……」
気まずい。
気まず過ぎる。
これだから深夜テンションは嫌いなのだ。
あの『足手まとい宣言』から数分経ったが、当たり前の話で二人に周囲には重苦しい沈黙からなる静寂が、ジパングでの天下統一の如く支配していた。そのため、個人的には、徳川家康よりも豊臣秀吉の方が良いし、豊臣秀吉よりも明智光秀の方がなお良い。
「アズマ様」
「……なんだ?」
「こちらから二つ、お伝えしたいことがあります。効率の面を見て、今この場でお伝えしてもよろしいでしょうか?」
「……好きにしてくれ」
「では、改めて、自己紹介をさせていただきます。ワタクシの名前は、『シスター・イドラ』と申します。気軽に、『イドラ』とお呼びください。年齢は十五歳、身長はイギリス人女性平均ちょうど、体重はシークレットでございます」
スラスラと、そんな調子で個人情報を彼女は告げる。
「……」
ふと、いつもの癖で思った。
彼女のそれは、肩書としての『シスター』なのか。
それとも、名前としての『シスター』なのか。
聞く余裕もないのに、そんなしょうもない疑問だけが浮かんでくる。
「続けて、【パンドラ】様からの伝言でございます」
「……ああ」
「では、まずは【零課】について。この組織は最近――四年前になって【三枝財閥】が設立した組織でございます。残念なことに、日本は『世界神秘対策機構』の管轄外ですので、詳しい内情はほとんど不明ですが、【パンドラ】様曰く、今は信用していて良い、と。そして、そのメンバーのほとんどは、身内で構成されているとの情報がございますね。日本には、【神秘】と相対する存在として、【零課】の他に、【神社本庁】と言う古来から存在する組織もございます。どうやら【零課】は、設立して一年目が過ぎたあたりで、既にこの【神社本庁】と同等の実力を得ていたとも。日本が『世界神秘対策機構』の管轄外となっている理由は、日本は他の国と比べて特異的な性質を持つ国であるからでございます。【パンドラ】様の話を聞く限りでは、日本では『魔術』や『魔法』を使うことがほとんどなく、独自の【神秘】によって、【神秘】を打倒しているとか……」
スラスラと言うよりは、ペラペラと楽しそうに彼女はそう言う。
初めて、事務的な説明が解けたような気がした。
「……」
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、特に何もないけど」
それと、情報量が多すぎる。
口頭だけで理解できる許容量をはるかに超えていた。
「そうですか。――でしたら、話を続けます。次に、【パンドラ】様の今の状況についてでございます。簡潔に言ってしまえば、『世界神秘対策機構各支部団長』からは当たり前ですが、ヘイとが向けられています。現状は『統括団長』様の御意向もあり、『各支部団長』も黙っておりますが、それは今だからこその話でございます。時間が経てば経つほど、その感情は二乗となり、いずれは『各支部団長』とも戦闘になることも予測されています。御覚悟のほどをお願い致します」
口調が戻っている。
日本が好きなのだろうか?
「……【パンドラ】の安全は保障されているのか?」
「はい、今のところは」
「そうか。――なら、良い」
そうとだけアズマは言い、思わず黙り込んでしまう。
彼女の言う安全が、どれほどの程度のものなのかは、とても聞く気にはなれなかった。
「アズマ様、質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
イドラは、そんなアズマを見かねたのか、話を変えるように、そう問いかけてくる。
「あるなら、言えよ。いちいち断りを入れないで良いからさ」
「分かりました。――ところで、どこに向かっているのでしょうか?」
「海辺だ。北の海辺では、人魚を見ることが出来るらしいんだ」
「……人魚、でございますか。――となると、『夢幻生物』でございますか?」
「あ、『夢幻生物』?」
「はい、神様もどきのことでございます。人の形ではなく、ライオンやキメラなどの人外の形を持った神様――のようなものです。それぞれが【神格】のように【権能】を所持しており、『魔術師』や【魔法使い】などが撃破するための対象に当たる存在です。類似の存在として、【超能力者】や『夢幻神格』が挙げられます。【超能力者】は人間の身で【神格】にしか所持できない【権能】――分かりやすく言えば、【超能力】でございますかね。『夢幻神格』は、元々は【神格】ではなかった生物が、希少性やその功績により不老不死を得て【神格】へと至った元通常生物です。前者はともかく、校舎は『魔術師』と【魔法使い】、『世界神秘対策機構』の抹殺対象ではあります」
「へぇ、不死身ね。そりゃ、面白そうだ」
「……アズマ様、そちらはどちら側でしょうか?」
脈絡もなく、彼女はそう尋ねてくる。
「と言うと?」
「まだ、【神秘】を抹殺する気概はありますか?」
その一言で、ハッとする。
アズマが何故に【神秘】と相対したのか、思い出す。
だからこそ、すぐに返事が出せた。
「いや、もうどうでも良い。正直、ノエルの件が終わった後の味方候補でもあるけどさ。そもそも、【大罪人】の俺に味方されること自体が『世界神秘対策機構』が不愉快なことかも知れないしさ」
「――アズマ様は、もう少し御自分に自信を持たれたらどうかと」
「じ、自信?」
「はい、アズマ様は確かに【英雄】を殺した【大罪人】でございますが、それと同時に【剣聖】でもあります。……それは、アズマ様が誇るべき肩書なのです。【大罪人】が、【剣聖】がスゴイわけではございません。それを手にするまでに努力したアズマ様がスゴイのです」
「……違う、そんな訳がない」
ポツリと、弱弱しく、アズマはそう返事をする。
肯定を彼女が発するたびに、胸のあたりが苦しくなってくる。
「いえ、アズマ様はスゴイのです」
「違う!」
ただ、それだけではない。
何とも言えないような感情が、強く肯定を否定させていた。
「……申し訳ございません」
軽くなりかけていた空気が、再び重苦しいものへと変質していく。
「――失言でした」
彼女がそう告げると、ふとアズマは気が付く。
――しょっぱいな。
潮の匂いがしていることに。
そして、同時に気が付く。
「……着いた、か」
返事はない。
当然の対応だった。――誰でもあんな態度をされれば、これ以上の会話は無意味なものだと判断することだろう。
ただ、それ以外にも理由がある。
ウンザリしたようなため息を飲み込んで、アズマは告げた。
「――んで、何でアンタがここに居んだよ」
『レクシー・ブラウン』。
アズマを問題児と断じた少女が、何故かそこには立っている。
アズマの問いに対して、彼女は堂々とした態度でこう返した。
「連れ戻しに来ただけよ、『問題児』」