第一章6、『他に愛のない会話』
さて、ありふれた会話は続く。
寮とは違い、その道には二つの意味で人気があった。――あったのだろう。どうやら、『三枝学園イギリス支部』の生徒は家にいるよりも、外でウロウロと歩く――もとい行動している方が楽しいようだ。
十一月の次の月は十二月で、その十二月は日本の古い言葉で『師走』というらしいから、きっと、一か月後には、家にいるよりも、外でウロウロ走っていることだろう。
まぁ、そんな訳はないが。
在り得ないが。
だが。
そう考えてみると、十一月は日本の古い言葉で『霜月』と言うらしい。
『霜月』の『霜』の意味は知らないが、何となく『寒い』という印象を与えてくる。
『寒い』のは嫌いだ。
『暑い』のも嫌いだ。
砂漠に行けば、喉の渇き《いたみ》に苦しみ。
雪原に向かえば、全身の痛み《ふるえ》に苦しむ。
『極端』はダメなのだ。
だから、僕は『温かい』と『涼しい』が、大好きなのだ。
『普通』がイイのだ。
それはそうと、『極端』と言えば【神秘】である。
【神秘】とは、『神様』の『秘密』である。
略して、【神秘】である。
普通、それが『人間』であろうと、それが『神様』であろうと、それが『剣聖』であろうと、『秘密』というものは誰にも知られたくないものであることが多いのだ。
きっと、当たり前の話だ。
それでも、改めて認識しておくべき事象なのだ。
【神秘】に片足を突っ込んでいる以上は、もうこの世界に存在しない『誰か』の『秘密』を趣味悪く覗き込んでいるのだと、認知するべきだ。
正義を成すために冒す罪は、やはり悪なのだ。
『魔術師』とは、『魔法使い』とは、『巫女』とは、『英雄』とは。
言い換えてしまえば、誰もかれもが【罪人】なのだ。
覗き魔なのだ。
普通、そこに誰かが意図して隠されているものがあるのなら、大体の人間は『空気を読んで』、それを認知しておきながら、それをまるでないかのような立ち振る舞いを大判振る舞いに実行する。
『一般人』は、【神秘】を認知できない。
その理由はここにある。
『一般人』は、無意識にこれと同じことを行っているのである。
だが、『魔術師』は、『魔法使い』は、『巫女』は、『英雄』は――
「俺は――無視が出来ない」
「どうかしましたか、アズマ君?」
「いや、何でもない」
アズマは、そんな風に『思考の鎖』を振り払った。
たくさんの人が歩く中。
ノエルは残念そうにつぶやいた。
「それにしても見たかったなぁ、アズマ君のお着換えサービスシーン」
「おい馬鹿止めろ、外だぞ、ここは!」
「私は馬鹿じゃありませんよ!」
「ああ、馬鹿じゃねぇな。まずはその愚かさに気が付け、ノエル・アナスタシア!」
そんな風に、アズマとノエルは特に意味のない他愛ない会話を交わしていた。
「――たく、変な勘違いされたらどうするんだ?」
「望み望まれている勘違いですね」
「んなわけあるか」
「少なくとも、私は望んでいますよ?」
「え、マジで?」
「ええ、私は真面目でマジ目なのです」
「それだとオマエが、『好きな幼馴染兼クラスメイトの裸体を見たい変態女子高生』に成っちゃうけど、いいの?」
「え、いえ、まさか、ありえません。てっきり、私は、周囲の人間やクラスメイトにアズマ君と私が恋仲なのだと思われるという意味で『勘違い』なのだと思っていたのですけど」
「……前からずっと聞いてたけどさ、俺とオマエってどんな関係性だったんだよ」
「いつも一緒に寝ていましたよ」
「……他には?」
「料理を教わっていましたね」
「じゃあ、オマエにとって、俺の提案がデジャブってわけだな」
「いえ、教えてもらっていたのは、私ですよ」
「……え、えぇ。なんだかそれ、複雑だな」
「いえいえ、私がようやくお姉さんらしいことが出来るわけですので、そこまで気にしない気にしないですよ!」
「……アズマ君」
「なんだ?」
「私は、何かするべきなんでしょうか?」
「『何か』はするべきだろうさ。だけども、それは、他でもないノエルが決めることであり、俺みたいな赤の他人が決めることじゃない。たとえそれが、赤の他人でもない『他人』だったとしても、な」
「ふと、何故か唐突に思うんです。私は、出来損ないなんじゃないかって。私は、他の人と比べて、まだまだ苦しみが足りていないじゃないかって。私は、誰かのために命を燃やすべきじゃないかって。……そう、思うんです」
「……ノエル、オマエは不運だよ」
「――不運?」
「ああ、不運だ。人間は知らないことを、人は独りで知ることはもちろん――知ろうと思うことさえできない。だって、知らないということは、そこにはないということと一緒なのだから。人は、『知恵』を得るほど苦しむようになるのと同じように、人は、『知恵』がないほど純粋無垢に輝いて、『過去』と同じように置いて行かれてしまう、楽な日々なんだ。俺は、そんな何も知らなかった日々が一番の幸せだったんだ。でも、それは、『不運』だからこそ成立した事象で、それでもその時は、『不幸』じゃなかった。でも、それは、『幸運』でも『高運』でも『好運』でもなかった。……ごめん、自分でもオチが付けられなくなったから、答えだけ言わせてもらうけどさ」
「この判断が独り善がりだったとしても、少なくとも俺は、今の俺は、『アズマ・ノーデン・ラプラス』という一人の人間が、君に出会えて、君と過ごせて、今の俺は『幸福』なんだ」
「……」
「……ノエル?」
「……」
「お、おい、返事くらいしろよ」
彼女は首を横に振る。
視線を逸らすように、そっぽを向いてくる。
寒い所為か、耳が赤くなっていた。
「……」
今までのノエルの言動から、自分の発言に悶えている――照れているかもしれない。
そんなことを考えるのは、実際傲慢なのだろうが、考えてしまった。
「はぁ、前を向け。怪我するぞ」
というか、不自然なほどに足元がふらついている。
動揺しすぎである。
そもそも、日常的に同じようなことをしてきているくせに……。
「……」
自己分析にも近い、そんな憶測が頭の中で閃く。
彼女は押しが強いだけで、押しに強いわけじゃない。
つい、ニヤリと笑顔を作りながら、それを実行に移すことにした。
「しゃぁねぇなぁ」
まるで、呆れた兄のように、アズマはそう口にする。
「っ!?」
そして、手を握ってやった。
「これで比較的安全だろ」
「……意地悪、しないでください」
「日頃のお返し、だ」
「二人っきりになったら、覚悟していてくださいね」
「ああ、覚悟の準備をしておくよ」
後日、彼は自らの行動を恥じたとのことだ。