第一章2、『予想できた展開』
事態は急変する。
訂正しよう、返事はあった。
目の前の状況を見て、アズマは自らの行動を心底悔いていた。
「ごきげんよう、『転校生かつ問題児』君」
それは、茶色のロングヘアーと同じく茶色の瞳を持つ少女だ。その身長はアズマと同じくらいで、ついでに言うと背筋がキチンとしている。その佇まいのおかげか、いかにも優等生という印象を与えてくる。正体不明の、但し見覚えだけはある彼女は――アズマとは違って、その右腕に学校指定のバッグをかけていた。
……ただ、問題はそこではない。
「――『立ち入り禁止』で、一体何をしていたのかしら?」
「あはは……学校探索、的なやつ?」
――いや、それにしても、コイツは誰だ?
日比谷との会話とは違い、だいぶ引き攣った笑顔でアズマはそう返事する。それだけ突然なことだったので、それなりの態度を作ることに彼は失敗していた、
――【パンドラ】との会話を終えて、約一分後。
油断大敵とはこのことだった。
屋上から自宅に帰還しようと鉄扉を開くと、目の前には一人の女子生徒が立っていた。それも、今までの会話を聞いていたのか、「そう、帰るの、こんなところから」と彼女から口にされてしまっている。
それは明らかに、アズマが屋上から降りてくるのを待っていたように。
全ての元凶は、さっきの大声だろうか。
「それは……本当かしら?」
「と、言うと?」
「実は、何かしらの悪いことをしていた――とかじゃないかしらね? 何か、変なことをしていたんじゃないかしら? 私には、貴方が悪いことをしている人の表情をしているように見えるのだけど」
刑事ドラマの見過ぎではないだろうか――そう言いそうになって、咄嗟にアズマはそれを飲み込んだ。そもそも、青春時代を生きる人ならば、どちらかというと刑事ドラマではなく、小説の読みすぎだろう。
そんな風に、一歩下がって、相手を気遣っていくうちに、ふと気が付く。
――あれ、これ普通に悪口じゃね?
と、考えていた頃には、既にアズマは口を開いていた。
「……それは、普通に失礼じゃないか? そもそも、名前も知らない赤の他人に下校途中で話しかけられたら、誰でもこんな顔になるだろ。そもそも、変なこと? 悪いことだって? 俺はそれがどんなことか理解できないんだが、どうか教えてはくれないだろうか?」
「あら、そう。知らないとは、それはそれで可哀そうね。悪いことも、私のことも。ええ、確かに自己紹介がまだでしたね。私の名前は【レクシー・ブラウン】、貴方のクラスメイトの一人――と言っても、流石に知っているわよね? もしくは、二年一組の『クラス委員長』と言えば分かるはずかしら?」
「……『クラス委員長』、ね。なるほど、それなら俺でも知っている」
――何だそれ、今度ノエルに聞いておこう。
アズマは馬鹿ではない。
ただ、無知であるだけであるのであって、断じて馬鹿ではない。
馬鹿に似て非なる者なのだ。
「それでは、一から……もう一度問います」
彼女のそれは、高圧的な態度だった。
明らかに、その言動からアズマに良い印象を持っているように見えない。――自分に親でも殺されたのだろうか、などと冗談を言えるレベルで身に覚えのない悪感情にアズマは動揺し、同時に困惑していた。
そもそも、コミュ障に高度な情報戦など不可能の域である。
「――立ち入り禁止の屋上で何をしていたのかしら?」
逃げられない。
それを悟る。
だから、覚悟を決めた。
「ああ、屋上って立ち入り禁止なんだ。ごめん、今度から気を付けるよ。前にいた学校は、別に屋上に入っても良いって言われてたからさ。やっぱ、日本とイギリスじゃあ学校のシステム――というか、ルールが違うんだな」
両手をズボンのポケットに突っ込んで、以前のように傲慢そうな態度を振り撒き始める。
その所為で、ニヒルな笑みを浮かべそうになるが、表情を変に崩さない程度に唇を噛む。
スラスラと、嘘が流れ出る。
その現実が、楽しく感じてきた。
「……」
返事はない。
彼女は顎を引いて、アズマをよく観察している。
見定めているのだろう。
アズマの言葉の真偽を。
「じゃあ、俺は用事があるからさっさと帰るよ」
足を一歩、前に踏み出す。
経験上、アズマが彼女から逃げきるには、今のこのタイミングしかない。
善とも、悪とも、判断をしかねているこのタイミングが、最高だった。
階段を降りる。
「それじゃあ、今後ともよろしくな、ブラウンさん」
それを言い終わる頃には、彼女のすぐ隣を通り過ぎようとしていた。
「私は、君を問題児と思っているわ」
つい、足を止める。
留めてしまう。
振り返りはしなかったが、その言葉がアズマの興味を引いたのだ。
「……問題?」
同時に、彼女の態度の所以を納得する。
悪印象も納得だった。
そして、それの正体がわかり切っているというのに、まるでちっともわからないかのように、とぼけたように、彼女の言葉を繰り返す。
人を扇ぐように。
「俺がいつ、問題を起こしたと?」
けれど、振り返らない。
彼女と同じ方向に視線を向け続ける。
「授業中かしら。君は、すべての時間を睡眠で終わらせたわ」
「だから?」
「……はい?」
天才は、自分が知っていることが前提となって話してしまう悪癖があると聞く。アズマがその道の『専門家』なら、レクシーはその道の『天才』なのだろう。そして、善人と悪人の差は、自らの行いを悪と思えるか思えないかだ。善人は悪事をして、それを苦しみ、悪人は悪事をしても、それでは全く苦しまない。
彼女は善人に対する問いを口にしている。
それが悪いことだという前提を基盤にしてしまっている。
それが、どうしようもない弱点だ。
「それが問題である所以は?」
「……君が授業中に寝ることで、クラスにおいての雰囲気が悪くなっているのよ。元々、二年生という期間は、多くの学生の気が抜けることで有名なのよ。君が寝るだけで、周囲の生徒が、君が寝ているからと、同じように寝てしまったら、君は責任をとれるのかしら?」
「はぁ」
視線を下に向ける。
耐えきれなくなり、とうとうニヒル笑いをしてしまう。
「何か問題でも?」
「アンタ、お節介って言われないか?」
「……何ですって?」
「っは、図星のようだな」
滑稽なものを見る人間のように、アズマは静かに息を吸う。
「――良いか、ブラウンさん? アンタに良いことを教えてやるよ。俺が寝たからって、寝てたからって、他の生徒が寝るのは、それらの事象には一切の何の関連性はないだろ。ただ単純に、何の理由も知らないくせに、俺のことを知ったような気になって、問題児に責任を押し付けれるから、そんな俺の真似をして、最終的に他の生徒が寝ちまうだけだ。平然と当たり前のように勘違いして、普遍の民意で失敗しているだけに過ぎないんだよ。みんなしているから、自分もするだって? 馬鹿げた話だな、それ。俺につられた、そんなの関係ない。確かに、それには俺は関係しているだろうがな、寝る寝ないを決めたのは、その生徒だ。……どうせ、まだ高校生を相手にしてると思ってんよな、ブラウンさんは。それこそ馬鹿の骨頂だ。なぁ、それでどれだけ多くを救えたんだ? それでどれだけを助けられたんだ? かの救世主の宗教では、善悪を決める様をイコール『神様』のふりをしている様として、俗にそれを【原罪】と呼んでいるらしいぞ。――話がズレたが、俺が言いたいのは、クラスメイトだからって、ズカズカと人の核心を入り込んで、善意で殺そうとするなよって話だ。っは、地獄への道のりは善意で出来ているからと言っても、それをやって良いわけじゃないんだよ」
「……」
正気を疑っているような視線が、一方からアズマに刺さる。
それもそうだろう。
一見、アズマの言い分はブーメランが刺さりすぎている。
その上、ただ今さらに、高二になってまで中二病を拗らせているようにしか見えない。
「それはそうと、俺のことはラプラスさんと気軽に呼んでくれて構わないから」
少なくとも、今までアズマをそう呼んだ人は一人もいない。
「じゃあな、ブラウンさん」
手は振らない。
この少女とは分かり合えないと、アズマは断じていたのだ。
だからこそ、そうとだけ告げて、アズマは堅い地面を踏んだ。
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アズマは前に進む。
但し、その目的地は下駄箱ではない。
しかし、帰路ではある。
このままではきっと、あの少女に後から追いかけられて、さらに面倒なことになるだろう。――そんな安易な憶測をつけて、少年は赤の他人は赤の他人でも、それでもまだマシな方向へと足を向けていた。
タン、と。
わざとらしい足音が響く。
「……授業中に寝るの、もう止めるか」
忘れてはならない。
アズマは一応、罪悪感を覚えられる人間である。