序章2、『暴力系頭脳派ガール』
――溜息が一つ。
何事もなかったかのように、世界は平然と日常を運行させている。
一方アズマは、私利私欲で助けた赤い髪の少女の使っているスマートフォンの画面を許可をもらって覗き込んでいた。
そこには、
『【三枝学園イギリス支部高校部門】にて、フード付きの黒いローブを着た不審者が、男子生徒五人に暴行を振るうという事件が発生しました。校舎にいる生徒はしばらくの間校舎にとどまり、その後、各生徒は必ず集団下校を行い、外にいる生徒は校舎又は自身の寮に向かってください』
と、学園内の異常を知らせるメールが彼女へ届いていた。
それをしっかりと見ているはずの赤毛の少女はまるで歴戦の猛者のように平然としながら、すいッ――とスマートフォンを二本指で触れると、それはホーム画面に戻った。そのまま彼女は横に付いているボタンを押して電源を切る。そして、そんなことよりと言った勢いで――そんな話は本当にどうでも良いのか――キラキラとそのブラウンの目を輝かせながら、ニコニコと笑みを向けてくる。
「スゴイね、お兄さん!」
「……別に、俺は何もしてねぇよ」
どうとも思っていなように表情を作りつつ、何故か自身への好感度が高い少女から目を逸らして、アズマはそう口にしていた。
やはり、自分の幸運はここで尽きたようだ。
そんなことをアズマは思う。
所謂彼の思惑と言うやつは、言葉が通じる人間と会話を成功させ、さらには『三枝学園』の校舎に向かおう、というものであった。ただ、それは、比較的安全そうな人に案内を希望していたわけだったのだが……。
――いや、本当にどうしよう。
状況は悪化するばかりだった。
こうして無事に、目的地である『三枝学園イギリス支部高等部』の校舎には向かえてはいるが、明らかにイカれている人に頼ることになってしまった。
何はともあれ、赤い髪の少女はさらに続ける。
「私の名前は【イザベラ・ダーレス】! それで、お兄さんのお名前は?」
「……アズマだ、よろしく」
手を差し伸べだされて、それを握って良いものかと――その次に彼女と関わっても良いものかと――思い、ついついアズマは躊躇してしまっていた。ただそれは一瞬で、藁にも縋る思いと言うわけではないが、それによく似た感情を担いながらも、イザベラ・ダーレスと名乗る彼女の手を握った。
さて、アズマは何もしていない。
ただ単純に、一瞬だけ男五人の意識を自分自身へ引かせただけだ。
――そうしてみれば、どうだろうか?
この少女、イザベラ・ダーレスとやらは、その男六人に殴り掛かって、そのまま次々とノックアウトさせていったのである。最後の男に限っては、なんと股間を蹴り上げてのトドメだったことを彼は忘れられずにいた。彼女の事情を何も知らないアズマからすれば、ただただ男たちに同情するしかない。
そんなことよりも、何故にこの少女の罪が自分の罪になっているのかと己の不幸を投げていていた。
――いや、正しくは共犯だろうけど。
再びアズマが溜息を吐くと、イザベラ・ダーレスは首を傾げながら尋ねてくる。
「ところで、校舎に何の用事があるの?」
「ちょっとな」
「うん、私もこれでちょっと分かった!」
「……」
流石のアズマにでも、この少女が空気が読めないこと――気を使ってくれないことは、これでよく理解できた。これほどにアズマ・ノーデン・ラプラスと言う人間にストレスを与えられるであろう人材は他に――いることを、感謝はしないが、まだマシと思おうとアズマは決意する。短い付き合いになるはずだが、それでも好印象を得ていた方がストレスは軽減されるであろうと、アズマは自称語り部である【親友】の真似を脳内で始めることにした。
(……不幸にもアズマの道案内をしてくれている少女――イザベラ・ダーレス。薔薇のように赤い髪と、どこまでも澄んでいる紅の瞳を持つ少女が彼女だ。……その服装、その風貌は、周囲を歩いている生徒と同様であり――恐らくはこの学園の制服を身に着けており、その違いが何かと問われれば、その整った顔に眼鏡とマスクを着けていることを私は挙げるだろう。あとは、その胸ポケットにシャーペンとメモ帳のようなものを入れている。傍から見れば、彼女はただの真面目な学生のように思えることだろう)
多少の偏見もあるが、そんな印象と実際が真逆の少女だった。大変失礼ではあるのだが、そんな『見た目で人を判断してはいけない』、と言う言葉を自らが表しているように想えてしょうがない少女ことイザベラは、先へ先へと前を歩きつつもアズマの前に何故か立つ。
そして言った。
「ここは、先輩直伝の考察術でお兄さんの目的を当てて見せろ! と言う話と見た!」
「っ!」
顔が近い。
まるでマジックショーで挨拶をする手品師のような調子で、イザベラはこちらの顔を覗こうとしてくる。おそらくは、『顔隠しのルーン』の影響で、何故か顔が曖昧にしか分からない、という異常現象を目の当たりにしたはずであろうが、そのことをどう思ったのかは分からないが、彼女は一瞬だけ不機嫌そうな目をする。が、その次には顔だけではなく目も笑っているように見えた。
「良いよね、アズマさん!」
対して、事情を隠せざる得ないアズマは「あ、あぁ」と苦笑いをしていた。
……少女への視線が痛い。
当たり前の話で、どう足掻いたって『顔隠し』のルーンの影響で、周囲の人間はアズマを認識できずにいる。なので、イザベラのことを仰々しい上に盛大な独り言をしている変人と認識されてしまっているのは、どうしようもない予定調和だった。
――良心が痛む。
柄にもなくそんなことをアズマは思っていた。
彼女は、名推理を行う探偵のような顔つきで、淡々というよりはブツブツと呟き始める。
「話を聞く限りではアズマお兄さんは日本人であり、少なくとも『三枝学園』の生徒ではないことは確定事項。なら、ということは、アズマお兄さんは外部の人間ということ。『三枝学園』は周囲が海に囲まれた孤島――じゃなくて、実際は四角を描くような形で四つの島と真ん中に生徒でも立ち入りが禁止されている区域があるわけだけど……じゃなくて、だから、少なくとも生徒の身内じゃない限りは『三枝学園』に入ることさえ難しいだっけ? だがら、アズマお兄さんがここの生徒の身内である可能性は無限大の大。そもそも、アズマお兄さんは私よりも身長的に考えて年下――いや、でも、日本人よりもイギリス人の方が身長平均は高いし、人は外見で判断しちゃいけないからな。うーん、ヒントが足りないなぁ。……なんて、ここでやめたら、『オカルト部』の名が廃る。だから、限りなく選択肢を少なくしてギブアップしよう。あわよくば、当てよう、そうしよう。えっと、そもそも、これは普通の状況じゃないから、ラノベ脳で考えると、アズマお兄ちゃんは身内は『三枝学園』に通っていないけど、何らかの理由で身内ではない誰かの元へ行こうとしている。それで、その目的地は校舎だから。――その会うべき人は、生徒か、教師のどちらか! どうだ!」
「違うけど」
即答だった。
ニコニコと笑いながら、内心若干引きながら、アズマはそんな嘘をつく。
アズマの任された『仕事』は、『世界神秘対策機構』の参謀である【パンドラ】の娘の護衛である。話を聞く限り、その【パンドラ】の娘は、この『三枝学園イギリス支部』に寮経由で通っているらしいが……アズマに対して公開された情報はそれだけだった。つまり、アズマは今ある情報だけで【パンドラ】の娘を見つけ出して、かつさらには周囲に知られずに隠密行動を重視しなければならない。
だからこそ、情報が少ないはずの僅かなアズマの台詞から、勘とか流れとか何となくで自身の目的を当てられてしまったことに、アズマは『とても』引いてしまっていた。常日頃の戦闘において、勘や流れ――何となくで戦うことの多い君が何を言っているんだっ!? と、全ての元凶と言える【親友】なら告げてくることだろう。
――いや、ラノベ脳……怖!
と、ラノベってなんだと思いながらアズマは瞬時にそう思っていた。
まさに、頭痛が痛い状況だった。
「ふふん、照れなくても良いですよ!」
「いや、どっちかというと照れてんのオマエの方だからな。それと、違うからな」
「え? 普通は、誰にも知られたくない『目的』がバラされたら、照れてしまうって、先輩が言ったんだけどなぁ」
「そりゃ秘密違いだ。どっちかと言うと、これがバレたら、俺は照れるじゃなくて困っちまうよ」
そこまで危機感を煽らない口ぶりで、どうでも良さそうにアズマはそう告げるが、それを聞くと唐突にイザベラは足を止める。
それを知って、同じくアズマは足を止めてどうかしたのかと思い尋ねた。
「……どうか、したか?」
「それって」
そして彼女は、深刻そうに顔を顰めながら尋ねてくる。
「私、悪いことしちゃったパティーン?」
何処までも人の話を聞かない女だ。
やはり、アズマは引いていた。
確かにそれは正しいが、それでもアズマは正しくないのだと、ハッキリと告げているにもかかわらず、それを正しいものだと彼女は信じてやまない。その執着を称えるべきか、それとも祟るべきか。
「……いや、良いよ。オマエが誰にも言わなきゃいいだけの話だ」
苦笑いをしながらアズマがそう言うと、彼女はニヤリとして、笑うのを堪えるように両手で口をふさぐ素振りをする。
まるで、悪戯好きの子供のように、楽しそうに。
彼女は、そのままアズマに近づいて――囁いた。
「つまり、私の推理は正しいってことだ」
「……」
顔が近いこと。
秘密がバレたこと。
まるで、この二つの出来事で、つい砂を噛んだような顔をしてしまう。
例えるのなら、体と体が普通に触れていた。これでは、もしもアズマが何かを盗もうとしても、バレやしないだろう。
不用心にもほどがある。
続けてアズマは唸り、それでも首を振って、頭をかこうとして、再び自身がフードを被っていることを思い出す。その様子を見て、イザベラは面白そうに、楽しげに笑った。悪戯っ子のウサギのようだった。
「大丈夫!」
彼女はアズマから離れて、数歩前に進む。
くるりと、再び回り、彼の方を向いた。
「私は、誰にもこのことを言わないから! こう見えて、言葉の駆け引きは得意なんだよ!」
「……まぁ、俺よりはな」
そして、まぁいいかとアズマは溜息を吐く。
頭はキレるがバカそうだから、別に殺さないで良いだろうと、さらりと冷たい結論を下す。
「それはそうと、まだ気づいてないの?」
「……何にだ?」
そこで、狭まっていた視界が広がる。
世間知らずのアズマでもそれが何なのかを理解できた。
――ああ、そういうことか。
案内人のように、イザベラ・ダーレスは一礼する。
「――ようこそ、『三枝学園イギリス支部高等部』の校舎へ」
目的地に到着した。
いや、まだだ。
『そこ』への道のりは、少しだけまだある。