第二章26、『死』
【対神格・一級怪異殺し】にして、本来ならば【大怪異】に指定されるはずの存在。
それが『死神』。
『紅』だ。
「『伝承式・豊聡耳』」
特筆するべきは一撃一撃の火力である。その『神髄』を知っている厩戸からしてみれば、まずは数を増やして行動することは前提条件だった。そうして彼女が発動させたのは、【聖徳太子】に由来する伝承の中では最も有名であろう『一斉に十人から意見を求められても正確に聞き分けて回答する』というものを曲解して、【聖徳太子】は十人いたと解釈することで、自分自身と同じスペックの存在を九体出現させる術式だ。
「無駄、無駄ですわよ……みたいな?」
遠距離からの一振りで、一度に二人が殺害される。
厩戸からしたら、それは予想通りの現実だった。残った八人のそれぞれが握る、半透明な『七聖剣』を彼女の軌道上に向けて構える。
同時に、叫んだ。
「「「「「『伝承式・七聖剣~破邪滅敵~』」」」」」
『七聖剣』は、本来ならば戦闘に使用する類のものではない。
これは基本的に儀式の一部品として使用される。その際に発揮される効能は『国家鎮護や破邪滅敵』――即ち、『国を守るだけではなく、【怪異】を滅ぼす』というものだ。厩戸の発動したこの術式は、そんな伝承に由来する――実際には『北斗七星の意匠があること』を利用して、星の光を集めて極光として放出しているのだが――【大怪異】を含めた【怪異】だけを滅することに特化したレーザーを放つというものだった。
それを発動するまでの流れで、三人が殺害された。
それでも。
「っ!?」
五つの極光が、『紅』を音も無く飲み込んだ。その次の瞬間、生き残っている五人のうちの一人が、咄嗟に叫んだ。
「まだ死んでないっ!」
実際は「ま」で途切れていた。
気が付けば、『伝承式・豊聡耳』を最初に発動させた厩戸豊の体は血塗れになってしまっていた。やはり、それは彼女自身の血ではない。
次の一手を打とうと構えた時点で、厩戸豊は一人になっていた。
「……」
実力差は明確。
最初っから、明白だった。
「惜しいですわね。あれをあと五人分食らっていれば、私でも危かったですわよ?」
「うちが思うに、それは嘘でしょう?」
何人いたって、関係ない。
本来ならば、最初の一撃で厩戸豊は死んでいたはずだ。
「冗談、ですわよ」
遊んでいた、と。
その笑い声は、誤魔化す気もなくそう告げていた。
「そもそも、私の本質をご存じならそんなことを思うことはないですわよね?」
「どうも、ご乱心のようだったから」
「……ところで、本体は貴方でよろしかったでしょうか? どれもこれも、血を噴き出して絶命するので、それはもう怖くて怖くて」
「大丈夫よ、心配ご無用。強いて言うなら、全部本物だし。最後に残った私が、私になる。あれはそういう術式」
「なら、安心しましたわ」
ある伝承によると。
死神は地獄の裁判官――【閻魔大王】としての側面も持ち合わせているらしい。少なくとも、厩戸豊は紅から直接そんな話をされたことがあった。そんな彼女が今からすることなんて、容易にできる。
「貴女に『死《救い》』は相応しくない。ですので、『死な《救われ》』ない程度に、自らの【罪】を償ってもらいましょう」
殺気はない。
当然だ、彼女に厩戸を殺すつもりはない。
「――何、面白いことしてんだ」
衝撃音が鳴る。
「……【鬼神】?」
「久しいな、善人。嫌な予感がしたからこうして来てみれば、どうもつまらない話が繰り広げられていたようで納得した」
足音が――否、そよ風が続く。
「待て待てぇい……って、厩戸っち、血塗れじゃんっ!? トマトじゃないよね? 鉄の匂いがするトマト的な何かじゃないよね?」
「おい、女」
「ちょい待て、わっちだけあだ名が雑過ぎん?」
「オレは厩戸先輩を安全なところに運ぶ。変人女は『紅』の足止めをしろ」
吹き飛ばされた『紅』は、未だ立ち上がる気配がない。
まず、前提として、物理的な損傷で彼女は止まらない。
ならば、その理由は確かに精神的な代物のはずだ。
「――足止めをするからには、何か手があるんだぜな?」
「破門先輩は『結界術師』だ。少なくとも、『あれ』を封印する程度の実力は持ち合わせているはずだ。オレは先輩を安全な場所に連れて行くついでに、何が何でも日比谷を連れてくる。少なくとも、『あれ』を対処できるのは『サイコ優男』か、アイツしかいない」
「……はぁ、状況が訳分からん」
ため息が響く。
同時に、彼女は背伸びをする。
「ま、任されたぜい。遊ばない程度には、本気を出すべきと見た」
再び、風が吹く。
比例的に衝撃音をまき散らしながら、増えた数は元に戻る。
「ふふふ」
「楽しそうで何よりだぜい」
「楽しい?」
「笑ってるってことはそうだと思うってばよ」
「嫁入り前の女の顔を殴られて、楽しそうですって?」
「少なくとも、わっちは滑稽だけど」
空気が凍る。
それはまるで、地獄のように。
「……精一杯、手加減してあげましょう――みたいな?」
傲慢に。
その事実が、何よりも大切であるかのように。
「そう、後悔すると思うけど」
そのあからさまを【浮遊の魔法使い】はハッキリと嘲笑った。
「絶望しなさい、自らの弱さに!!」
【浮遊の魔法使い】は覚醒する。
【地獄の死神】は憤怒する。
それは、理性と本能の怪物が衝突したことを意味していた。
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同刻。
異世界は静寂に包まれていた。
「「……」」
【神代領域】。
その重ねた年月が百を超えた存在に与えられる、その人生を形容させた世界である。その性質上、人間がそれを獲得したとしても、すぐに死んでしまうことが多い上に、それ以上に、その与えられた世界がその人の人生を形容しているため、その人生が苛烈であり、奇怪であり、異常でない限りは、特殊な風景や異能は宿らない。
もちろん、若くして獲得する方法はある。
それは、【人類神格】を使用するというものだ。
この存在理由が不明とされている【人類神格】には概念の強化という効果があり、それを利用して自分自身の人生を拡大解釈させれば、見事に【神代領域】を手に入れることができる。ただ、その【人類神格】を手にすること自体が、【神代領域】を獲得するよりも難しい。
さて、それらの性質を踏まえてみれば、この戦いは不毛かつ異様なものだった。
――「神代領域」「神代領域」「神代領域」「神代領域」「神代領域」「神代領域」「神代領域」「神代領域」「神代領域」「神代領域」――
計十一回もの【神代領域】の開示。
原則、一人の人間の持つ人生は一つである。
それ故に、複数の人生からなる【転生者】が複数の【神代領域】を持っていることは理解できた。
では、何故、日比谷博文はそんなに使える?
「人生の分割か」
一筋の人生を、一点の転機を起点に、別のものとして解釈する。
新しい道筋。
それを歩み始めたことを人は、生まれ変わったとも口にする。
滅茶苦茶なものであることは変わらないが……。
「特に効果のないらしい、この世界は放置でいいからね」
その次の瞬間、世界が白く歪んだ。
「すいません、お待たせしました」
そう言って、十本の大剣を宙に浮かばせながら、ウムル・ノーデン・ラプラスは、部外者の侵入不可能という【神代領域】における基本的ルールを平然と無視する。
ありえないなんてありえない。
かの【剣聖】の、その持論を為す者たちが数名。
そこにはただ、真の規格外があるだけだ。
今や、干渉できる『支配者』はいない。
本当の殺し合いが、始まる。