序章11、『終わり』
バタン、と。
人が一人、地面に転がった。
のっそりと顔を上げた【剣聖】は、それを見ることもなく、ひらひらと、ゆらゆらと、付いた塵を払うように手を揺らす。
その度に、ポタリポタリと落ちる赤いそれをどうとも思っていないのか。
「――攻略完了っと」
ヘラヘラとした態度でそう告げた。
それはやはり強がりなのか、僅かに顔を歪ませて。
「……正気じゃない」
【剣聖】ではない。
アズマはまだ自由の利く、左の方であるはずのない刀を握る。
「――肉なり焼くなり好きにしろ、僕にはその覚悟が無かった」
むしろトム・ジェイソンの方が顔を真っ青にさせて――しかし、顔の一部だけを赤くさせて――まるで狂人を見るような視線をアズマに向けていた。その発現の通り、立ち上がるような様子は彼にはない。
左を自由にし、右を包み隠すようにアズマは掴む。
そして言った。
「これが最短でテメェを攻略できるってだけだがな、覚悟なんてない。今だって、後悔してるところだ。少なくとも、テメェの【魔術】が完成していたら、また違ったような結末があったはずだぜ? 【魔術】は【魔法】の劣化版だ。【奇跡】を真似たのが【魔法】で、更に【魔法】を真似たのが【魔術】……だったよな? コピー品のコピー品ってなると、そりゃ、劣化するに決まってらぁ。あのクソったれ曰く、【魔術】は――それも、伝承を元に作られた【魔術】は、どれもこれも何処か不安定で、何かが欠けていることが多いらしい。解釈が人それぞれな所為でな。そのおかげもあって、例えば、対象の具体的な個所に必中ではなく、対象に当てるだけで終わり……とか。まぁ、完璧な【魔術】はオリジナルの【魔法】に匹敵するらしいがな。……で、どうよ?」
「……」
「図星かよ、【魔弾の射手】?」
「……あぁ、その通りだ」
【剣聖】の言うすべてが、図星だった。
この状況、ブラフだって通用しないだろう。
淡々と、その現実的な負傷が、トムの思考を冷酷に下す。冷静な癖に混乱していて、現実から逃避したい願望に駆られてそれを必死にこらえ続けていた。
そんな中、トムの頭の中で、ふと走馬灯のようにノイズが走る。
――遠い日の記憶。
とある親しい【魔法使い】からの助言。
『トム・ジェイソン君、君の【魔弾の射手】は完成していません。御覧の通り、どうもこの【魔弾】はサボり屋ようで、撃とうとしたものが、わざわざ撃たれようとしてしまうと、君が狙った対象の【最も簡単に命中できる場所】に命中してしまう。――いわば、【魔弾の射手】は悪魔との二重の契約なんですよ。一つは、【何に当てるか】。二つ目が、【それの何処に当てるか】。――今の君は、一つ目しか出来ていません。これでは、来たる時に対応することは出来ない。ええ、ですから、頑張って努力しましょうね』
そんな努力すれば対策の出来たお話。
だが、しかし、トムにはまだ一つだけ手がある。
アズマはにたりと笑う。
「――まだ、まだだ。近距離で急所を狙って撃てば……とでも思ってんなら、無理に決まってんだろ。そんなの俺がさせるとでも? もしも間合いに入ったら、一瞬でテメェは死ぬぞ」
一つ消える。
その一つが、消える。
だから、すべて消えた。
【魔弾の射手】に勝機は無い。
「……クソ、クソだな」
例えば。
トム・ジェイソンは無駄な犠牲が嫌いだった。
たった一つで多くは救われるのなら、喜んで殺すと言えることに憧れを持っていた。
けれど、彼には一つだけ――『人の死』だけは許容することが出来なかった。例えば、【呪い】によってある日まで絶対に死ねずそれまでの期間に死にそうになると無関係の人間の死をもってそれを回避する少女――ノエル・アナスタシアを危険と判断して、【絶対悪】と断定して彼女を『犠牲』とするような『理不尽』という名の現実。
トム・ジェイソンは、それだけは回避しようと必死に『世界神秘対策機構』と対等に彼女が生きる妥協点を探し続けた。
その結果が『ノエル・アナスタシアが誰ともかかわらないように生活させること』だった。博愛主義者のトムからしたら、善人であるノエルが生きているだけで、たったそれだけで十分満足だった。
同時に、その現実を得るために誰かを殺さなければならないのはおかしいのではないかとも思っていたのだ。
けれど、ノエル・アナスタシアを助けたいというよりも、理不尽と不平等の存在を許さない『正義感』がトム・ジェイソンを動かしていた。
だからこそ、【剣聖】の言葉はトム・ジェイソンの心に深く響く。
「あー、うん。降参しろ、トム・ジェイソン。ここで降参するなら、テメェは殺さないでおいてやるからさ。何なら、俺は誰も殺すつもりはねぇぞ?」
理想的なその提案が。
「……な、に?」
誰も死なない可能性が。
まだ、勝者でも敗者でもなく、限りなく勝者に近い【剣聖】は、そんな未来を提示した。
「それじゃあ、そんな【魔術】の質じゃあ、ノエルは絶対に殺せない。なんせ、俺さえも殺せないんだからな。テメェらが言う【呪い】で死が回避されるのがオチだろうよ」
「……」
それは、諦めにも近い達観だ。
思い込みを暴く、慈悲なき指摘だ。
「もう一度言う、降参しろ。そのリボルバーを地面に捨てろよ。それで、俺がこの校舎から去ったら、それを拾え。悔しがって、それで、次こそは、この俺に勝てるようにと、無茶苦茶に、ただ無駄に、必死を求めて必死に鍛錬しとけよ」
それは、逃がせという要求。
強者という理解の出来ない領域。
「……貴様は、世界を敵に回しても、こうやって戦うつもりなのか?」
それを理解しようと、トム・ジェイソンは必死になって尋ねかける。
もしやと思って、尋ねかける。
「そうだ……と言いたいところだが。……流石に世界はなぁ。確かに、『それが世界であるのなら、俺に斬れない道理はない』が、確かに普通に面倒だし、ノエルを連れて――そうだな、誰もいない場所にでも逃げるとするよ」
「……そうか」
ポツリと、トムは呟く。
トムとアズマが辿り着いていた答えは、意味は違えど同じものだった。ただ、それだけで、自身の努力を無駄にするだけで、己の理想が現実のものとなるのだと、トムは内心それを嬉々とする。
けれど、武器を捨てればすぐに殺されてしまうのだと悟っていた。
だから、リボルバーをすぐ後ろの深い下に放り込んだ。
すべては、ただの被害者で終わるために。
「……これで良い……か?」
と、トムが再び前を向いたころには、無防備にもトムの方へ背中を向けて、今すぐにでも帰りたいのか既に僅かにへこんでいる鉄の扉をアズマは開けていた。
「ああ、それでいい。それじゃあな、元気でな。まぁ、『縁』があれば、また会おうぜ」
トム・ジェイソンのすぐ横には、リボルバーを使う際に、ほぼ無意味なかっこつけで投げ捨てたロングマシンガンモデルの拳銃が転がっている。それには弾丸は残っているだろう、その上、手を伸ばせば感嘆に握れるはずだ。
ふと、今なら殺せるかもしれないとトムは思った。
だが、同時に。
誰一人殺したくないことを、彼は思い出した。
「……待て、【剣聖】」
けれど、その拳銃をわざわざ蹴り捨てて、アズマに対してそう呼びかける。
「ん、分かった。待ってやるから、言いたいことをさっさと言えよ」
と、やけに素直にアズマは背中を向けたままだが、足を止める。
「……僕は、僕の【魔術】は、【奇跡】を、【魔法】を超えられるだろうか?」
「っは、知るかよ。俺は【剣聖】であって、全知全能じゃない。俺は俺の知っていることを語るだけだ」
【剣聖】は鼻で笑ってトムの問いをひと蹴りする。
「……そもそも、俺は【魔法】やら【魔術】やらに詳しいわけじゃねぇ。さっきの情報だって、【理想郷】に住んでる同居人からの受け売りだ」
ただ、その言動に敵意はない。
ましては、傲慢さえも消えていた。どこまでも冷静で、けれど友人に対して話すような馴れ馴れしさを何故かそこには感じる。
そこまで言って、アズマは再び前に進みだす。傷の数ではトムよりもアズマの方が多いはずだ。その親しさは本物でも、その態度は本当ではないことは確かだった。だが、そんなことを彼は気にしない。
それを見て、トムは咄嗟に叫んでいた。
「……次は、僕が勝つ」
その宣言を聞いて、アズマは笑う。
呆れたように。
「――引き分け程度にしとけよ」
眠そうに欠伸をしながら続ける。
自分自身も、そうであったのだと語るように。
「負けた時がつらくなるからさ」
朦朧とした意識の中、アズマはそう告げていた。