第二章25、『再会』
厩戸豊は【聖徳太子】の末裔である。
【聖徳太子】の生きていた時代と言うと、未だ『霊術』が存在しておらず、唯一『霊能』のみで【怪異】に対抗していた時代だ。そんな時代に生きていた彼は、この世界に三十六人しか存在することが出来ない『霊能者』のうちの一人だと記録されている。その『霊能』の具体的な効果は定かではないが、それが如何に有能なものであって、それを厄介に思った人物も多かったかは歴史がはっきりとさせていることだろう。
厩戸豊は、同時に彼の写し身とされている。正しくは、【聖徳太子】が女性だった場合――一説には『女犯の夢告』における【聖徳太子】の外見とも言われている――とされている。俗に言う、【英譚継承】――【偶像魔術】を利用することにより、その【英雄】と類似した人生を歩んでいる人間を【英雄】としての能力と終わり方を強引に付与するもの――によく似ていると、日比谷博文は口にしていた。
そんな古典的な立場上、彼女は古来から日本を【怪異】から守ってきた組織である【神社本庁】に所属する人間のはずであった。
ある時、だ。
彼女の幼馴染である、『天後苦守』が――人とは違う視界、【心眼】を持つだけでなく、幼くして対神格・一級怪異殺しに割り当てられている脅威にも、味方にもなるような不安定な存在が――あの変人揃いで有名な【零課】に所属することになった。
最近になって急激にその勢力を拡大させ、結果として、日本における【神秘】関連の出来事を牛耳っていた【神社本庁】と並ぶほどに存在になってしまった【零課】。それは、新たなる波乱を呼ぶことだろうと土御門相殺は頭を抱えた……わけではなかった。
彼はこれを好機と見た。
何をしたかというと、厩戸の『天後苦守』とのコネを使うことによって、彼女を【零課】のスパイとして送り込んだのである。
今年の十月まで、それはバレていなかった。
つまり、結果としては、【零課】にその事実がバレてしまったのだが、それは彼女が【神社本庁】を裏切ったからである。
だからと言って、【零課】についたわけでもない。
むしろ、彼女は【零課】をも裏切った。
他でもない『天後苦守』の味方になった。
「ごきげんよう、豊さん」
「久しぶりね、紅」
理由は不明だ。
伝説的な効果を持つ半透明な『七星剣』と、無意識のうちに人々が恐れているような『死神の鎌』が衝突する。
「――いきなりじゃない」
「裏切り者は排除させていただきます……みたいな?」
かつて味方同士であったはずの『紅』は、『厩戸豊』と敵対している。
少なくとも、厩戸豊は知っていた。
この『紅』の行動が、【零課】にも【神社本庁】にも起因するものではないことを。正しさの奴隷は、自分を許すことはないのだと。
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「日本の怪異殺しの階級は八つに分けられていてね。【神秘】に関わってしまった一般人が強制的に与えられることになる『七級』、怪異を殺すことを決意したばかりの卵に当たる『六級』、怪異との戦闘に関わらずにそれとは違う裏方で貢献する『五級』、初めて怪異との殺し合いに相対することを許される『四級』、三人以上のチームを組むことで害悪な【怪異】を殺せると判断されているのが『三級』、二人三脚で害悪な【怪異】を殺すことのできる実力を持っているのが『二級』、単独で害悪な【怪異】を殺すことのできる一人前の【怪異殺し】が『一級』――そして、そんな『一級』でも単独では倒すことのできない【大怪異】を神様じみた実力で殲滅するのが、【対神格・一級怪異殺し】なんだ」
これらの事件の元凶は誰なのか。
はっきり言って、それを明確にすることはできない。
何せ、それは人によって、その黒幕と考える人物が大きく異なるからだ。
その大半は、望月練賭を撃破することで開戦の火蓋を切ったノエル・アナスタシア――否、【転生者】を黒幕と呼ぶことだろう。
さて、そうなると。
その【転生者】は、今は一体何をしているのか。
そもそも、【転生者】にとっての黒幕とは誰なのか。
必死にアズマたちが物事の収拾と解決に動いていると最中に、彼女――否、彼女たちも行動を始めていることは間違いなかった。
だからこそ。
彼女は告げる。
「ごきげんよう、紳士淑女諸君。……おっと、淑女はいなかったか」
「彼女は花を摘みに行っているよ、『候補者』の、うちの生徒を護衛にね」
その場には、一人しか人間はいない。
その一人である、日比谷博文は悪気もなく尋ねた。
「それで、何用かな、【転生者】?」
「話が速くて助かるな。それでは、単刀直入に聞かせてもらおうじゃないか」
その言葉は感情をあからさまに表現している。だからと言って、その感情の解釈は一つではなかった。
「……貴様らはどこまであの男を利用するつもりなのだ?」
憤り――憤怒。
蔑み――侮蔑。
そう解釈しながら、日比谷は可笑しそうに繰り返す。
「利用だって?」
馬鹿げている、と。
「この交流会自体、あの男を日本にも居場所があり得うるという可能性を提示する行動に過ぎないのだろう?」
「……ふぅ、そうだね」
彼は子供を宥める大人のように言った。
「君の理想や思想はどこまで純粋で誰かを思ってのものだということは私も理解しているよ。それが、甘いと評価されるほどのものだと言うこともね。それでも、だとしても、言葉だけでも知っておいてくれないかな。この世界は、どうしようもなく残酷なんだ。選択肢が無数にあるように見えている時は良い。最悪なのは、その選択肢が二択になることなんだ。誰かを救うか、救わないか。あぁ、彼の状況はまさにそれさ。まず、【転生者】――君との契約を遂行するか、それとも破却するか。まだ選択の時間、その猶予はあるけど、その間、彼はずっと苦しむことになる。もしも前者を選んだら、そこで終わりだ。もしも後者を選んだら、君との契約を守れなかった罪悪感と運命を壊したことによる世界の崩壊を引き起こすと言う罪を、ノエル・アナスタシアに背負わせてしまうと言う罪悪感にも苦しめられてしまうだろうね。――あぁ、世界は残酷だ。それは彼の自業自得であって、彼に与えられた罰なんだよ。愛を失い、挙句に忘れてしまった末路ってことだね」
ゾッとする。
何処までも冷酷な事実を、この場にいない誰かに拳銃のように突きつけている風だった。それも、その顔色に一切の変化はない。
さも当然のように、それを口にしていることがよく分かることだろう。
「あの男は確かに罪人だ。だが、貴様らにそれを裁く権利はない。まさか、それを義務だと思い上がっているわけじゃないだろう?」
「……この話はここで終わりにしよう。君とは、もっと別の話がしたいんだ」
いや提案がある。
と、日比谷はスラリと告げた。
さっきまでの話は、まるでどうでも良いかのように。【転生者】には、その言葉遣いや佇まいに既視感を覚えてしまう。そして、宿主のよりもはっきりとそれの意味を感じてしまっていた。
無意味と断じているようだった。
さて、彼女は笑う。
「我輩は【賢者】になるつもりはない」
口に出されるまでもなく、彼女たちはそれをバッサリと切り捨てた。
「理由を聞いても良いかな?」
「やり方だ、貴様らがしている行いは調整に過ぎない。人類の発展を時に阻害し、時に放任する。始まりと終わりの間を引き伸ばし、作者の都合で付け足した歴史なんぞ、誰が見たがるものか。それも、簡潔に言えば、停滞としか言えないこの【世界】を悪化させるなどど、言語道断だ!」
「……君は、君自身が、この世界の【運命の歯車】であることをちゃんと理解しているのかな?」
「それが狂えば、そのおかげで、この世界がより良い方向に進めるとしたらどう思う?」
「もしかしたら……なんて、そんな空想は、そんな架空は、もう、飽き飽きなんだ」
「それは残念だな、では、早速だが、死ね」
利害は一致しなかった。
次の瞬間。
再び、世界は移り変わる。