序章10、『魔術師の夜』
【魔術】とは、【魔法】の劣化版である。
【魔法】とは、使用者の持つ『縁』を辿り、過去・現在・未来の世界に発生している事象を記憶する概念である【世界記憶】に不正接続し、そうすることで世界を自分の望むがままに変化させる技術である。【魔法使い】はこの【魔法】を一定の【概念】だけを『縁』とすることで『魔術』と比べて比較的広範囲の『事象』を操作することが出来るが、【魔術師】はたった一つの『縁』を頼りにたった一つだけの『事象』を操作することしかできない。
現代における【魔法使い】は、アズマの知る限りでは僅か十人しかいない。
それゆえにアズマは。
目の前の少年を【魔術師】と断定した。
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夜空で、星々が輝く。
イギリス本土から離れた位置に存在していること。そして、周囲には電灯程度の光しかないこと。この二つの影響で、今の時代になかなか見ることの出来ない絶景が青い空を塗りつぶしていた。
けれど、二人にはそんなものを見る余裕はなかった。
――銃声が鳴る。
誰もが眠る静かな夜に、鼓膜が破れてもおかしくない音が容赦もなく鳴る。
それを聞いて、アズマは僅かに顔を顰める。そこで取った行動は回避でも防御でもない。――ただ、あるはずもない刀を握るような仕草をしただけだった。それを見て、トム・ジェイソンはゾッとする。その無謀さにではない。その振る舞い方の完成度に、ゾッとしたのだ。
ただただ、そこには実際に『刀』があるように感じられたのである。
一瞬の出来事だった。
火花が散ると共に、金属同士がぶつかり合うような音が鳴った。
「……な、に?」
トム・ジェイソンは、目の前の真実に目を見張る。
いや、正しくは絶句する。
普通なら目に捉えられないはずの――物理的に弾き返せるはずのない銃弾を、かの【剣聖】は、まるで刀で弾き返すような仕草をすることで、実際にその弾丸を弾き返したのだ。
トム・ジェイソンの勝手な思い込みなどではなく、アズマ・ノーデン・ラプラスの自由自在で振る舞う通りに、その右手には虚構の刀が握られていたのだ。
そして、平然と飄々とした様子で【剣聖】は呟く。
「二つだ」
舐め腐ったような言い方で、傲慢な言い草。
【剣聖】は、確かにそう告げる。
「……は?」
眠そうに欠伸をしながら、【剣聖】は背伸びする。
何もなかったようにヘラヘラとした様子で、明らかに舐め腐ったような声色で、【剣聖】はニタニタと見下すように笑いながら続ける。
「俺がテメェとの殺し合いで使う技術は二つ。そんでもって、これからそれについて教えてやるよ」
まさしく、正しい舐めプとはこれのことだろう。
ただでさえ、銃弾を防ぐことが出来る遮蔽物のない屋上という地形。
弾丸を弾き返せるという行動による証明。
【剣聖】には武器があるという証明。
「それで、テメェと俺は同等だ」
その様は、正に傲慢。
片腕を腕にあげ、人差し指を夜空に向ける。
まるで己は頂点だと宣言するように。
「――1つ、【剣聖】である俺が何故剣を持っていないのか。ああ、勘違いするなのよ、俺は常に『刀』と共にある。なんせ、俺は【剣聖】だからな。ただ、『刀』を握るような仕草をすれば、初っ端好感度マックスの世界の方が勝手に勘違いして、世界の方がそこに『刀』があるように振る舞っちまう。俺たち【剣聖】は、この現象を【模擬刀~虚構~】と呼んでいる」
さらに中指を立てて、ニヤニヤと【剣聖】は笑顔を作る。
そうして、ギリシャでは『くたばれクソ野郎』を意味するピースサインのように人差し指も又上にあげる。
「――2つ、普通なら目で捉えることが出来ない放たれた銃弾を何故弾くことが出来たか。これは簡単だ、刀を握れば気分が変わる。どんなに気分が悪くても、澄んで冴えた気分になることが出来る。いわば、ゾーン――火事場の馬鹿力ってやつかね? 俺たち【剣聖】は、この現象を【未来永劫剣豪剣士】と呼んでいる。……歴代様のネーミングセンスがどれほどに残念なのかは、……見て取れるな」
最後に【剣聖】は、ぼそりと不満げにそう呟いた。
やはり、その言動に一切の緊張感はない。むしろ、まるでこの場すべてが【剣聖】にとっては、ただの安全地帯かのような言動だった。
【剣聖】は続ける。
「――これらの技術は、【剣聖】であるのなら必ず習得しなければならないものであり、本来ならば『愛刀』を失わない限りは使ってはいけないものとされている――けど、それは何の問題はない」
皮肉げにニタニタと笑う。
トムの視線は、一瞬だけ【剣聖】の手元に移る。……やはり、そこには、何も無いように見える。けれど、本能が叫ぶ。
そこには『刀』があるのだと。
そして、【剣聖】は問いかける。
「なぁ、そうだろ、『魔術師』?」
殺意を込めて。
「俺の『愛刀』はテメェら『世界神秘対策機構』が持ってんだからさぁ!」
「……なるほどな」
すると、トム・ジェイソンはそう呟いて漆黒の拳銃を強く握りしめる。
「……多少は、命を懸ける必要があるようだ!」
二発。
その数発分の炸裂音が鳴る。
だが、それは無駄だとあっけなく否定するように、同じく二回分の金属と金属のぶつかり合いを意味する音が鳴り響く。
(――明らかに、僕の行動を読まれている!?)
経験の差。
殺し合いと言う『命』を賭けたゲーム。
その体験数の格差。
「やれやれ、人の話は最後まで聞こうぜ?」
ふう、と一仕事終えて疲れた大人のように一息ついて、そのまま呆れたように【剣聖】はそう言った。……対するトムは、アズマに対して内心『化け物』という評価を下していた。……少なくとも、不意打ちでない限りは【剣聖】の撃破は不可能とも密かに察しながら。
それでいて、トムも又【剣聖】の悪態を真似て、ヘラヘラと見下すような口ぶりをしようとする。
「どうせ……死体になる奴と話しても意味はないだろ?」
不完全で不格好な台詞だ。
すると、馬鹿を見たように【剣聖】は笑う。
「まさか、あるに決まっているさ。なんせ、俺はめったに死ねるような立場に立たないからなぁ。ふと思うんだよ、人は死に直面してどんなことを思うのか……テメェは気にならないか?」
「……ない」
が、根が生真面目なためか、すぐに嫌気がさして、【剣聖】の真似をトム・ジェイソンはやめてしまう。
「……【剣聖】、やはり貴様は薄っぺらい」
片手で拳銃――種類で言えばロングマシンガンモデルのもの――を撃ちながらトムがもう片方の手で後ろでゴソゴソとしているところを確認しつつも、透かした様子で【剣聖】はそれを容認する。
そして、そのことに気づいていないような素振りをするために、トム・ジェイソンを振ってくる会話を続ける。余裕なある様子で、あるはずのない刀でそれらの弾丸を弾き返しながら。
「テメェよりはそうだろうさ。なんせ、生きた年月はそっちの方が長いんだからな」
右手に握るあるはずのない刀だけで、次々と放たれた銃弾を【剣聖】はいなす。それはまるで事務作業をめんどくさそうにする大人のような手つきで。
「……いいや、違う。そういう意味じゃない」
「へぇ、じゃあ何が薄っぺらいんだよ?」
「……まるで子供みたいだ。大人のように演じる、背伸びをする子供ようだよ!」
それを聞いて、【剣聖】は面白そうに笑う。
ごもっともと言うような言い草で。
お前が言うなという言い草で。
気に食わないといった様子で。
「っは、テメェとは気が合いそうだ。なんせ、俺とテメェの育った環境はどうも似ているようだからな」
「――そんなに気に食わないか、師匠から贈られた愛刀を取られたことが?」
「あんま調子に乗るなよ、魔術師。テメェみたいにありふれたただの存在に、この俺が――あの【剣聖】が理解できると思うなよ」
この間に八発。
ここで、ふと気が付く。
その剣戟は、稀に見る剣舞によく似ていた。しかし、それはトム・ジェイソンの偏見でしかない。――実際、その一閃一閃に『型』はなく、ただ【剣聖】は、生きるためだけに『刀』を振るっていた。それゆえに、その一連に『決まり』はなく、『決まり』がないことが『決まり』のように、目の前の『世の理』を超えるために、一歩先を一閃を打つ。
まさに、『人知』の中でも『矛盾』に最も近い原理で成り立つ合理だった。
その現実を憎々しそうにトムは叫ぶ。
「そんなに自由が大事か!」
「……」
「そんなに自由になりたいか!」
「……」
「この世界の無辜の人々を犠牲に!」
三度、弾丸が放たれる。
そして、三度、弾丸は弾き返される。
「論点が違うぜ、魔術師!」
そう叫び、【剣聖】は地面を蹴った。
「っ!」
――あと数メートルで間合いに入られる。
トムの脳裏で自然とそんな情報が浮かんでくる。
(――だったら、最大限に銃弾をばらまく!)
だから、そんな発想に至った。
たとえ、相手が【剣聖】だとしても、【剣聖】が人間であるという事実は決して変わることはない。人を殺すために生まれてきた拳銃、その本質を成すために必死を求めて体を抉る弾丸を炸裂させる。
――白兵戦において、本来ならば弾丸を刀で弾き返されるというふざけた現実は発生しないはずだ。ならば、これは夢なのか。いや、違う。この男が、【剣聖】が人間離れ、現実離れしているのだ。人外に……いや、人の理解が可能なレベル、つまり『神の奇跡』と等しい反射神経とそれを有意義と成す体があるからこそ成立している。つまり、実質的に、【剣聖】を『人の理』で撃破することは不可能! だったら――
「……僕は人を殺すのが怖い。だから、内心ホッとしていたんだ。貴様が僕を圧倒するほどの実力を持っていることに! だから、どうか、僕を!」
一度は止まり、しかし再び震えだしていた拳銃を握る手を、切り札を使う準備を終えた片腕でシッカリと支える。
「――僕を『人殺し』にさせないでくれ!」
確かに覚悟はできた。
だから、まずは一歩を踏む。
そのために、最大限を極めた弾丸が込められている漆黒の拳銃を両手で握り、【剣聖】――アズマ・ノーデン・ラプラスを殺害するために、そのすべてを乱射する。
「へぇ」
それを聞いて、【剣聖】は目を見開きながら心の底から面白そうに笑顔を見せる。そして、片手で弾丸をいなすのを止めて、もう片方の手であるはずのない刀を握り、そのすべての弾丸を流れるように弾き返す。
「……『英雄』なんていやしない! 『英雄』は真に救われるべき人間を『悪』と貶して地獄のどん底に叩き墜とす! 人を殺して、何が栄誉だ! 貴様も、所詮は名誉のために戦っているに過ぎないんだよ!」
「ああ、その通りだよ」
時間が止まったと、一瞬だけトムは錯覚する。
「……あ……あぁっ!?」
同時に彼は自覚したのだろう。トム・ジェイソンと言う人間が――【剣聖】を、アズマ・ノーデン・ラプラスを、自分自身が『英雄』であり、それはありえないと思い込んでいたのだと、そう自覚していた。
その所為で、僅かの時間だけ、銃弾の雨が止む。
「っは、当たり前だろ。俺はノエル・アナスタシアのために戦っているわけじゃない。俺は自分の自由を得るために全力で戦ってんだ。例えばだ、『絶対に死ねない呪い』だぜ? これを利用すれば、絶対に死なずに済む不死程度の存在にはなれるんじゃねぇか? だから、俺は俺のために、ノエル・アナスタシアを俺のものにする!」
「き……さま」
「どうする、正義の味方?」
嬉々として、【剣聖】は悪役を演じる。
飽く迄、演じる。
正義の味方は、絶対悪がいなければ成立しない。
アズマ・ノーデン・ラプラスは互いに気持ちよく在りたいのだ。それは快楽なのではなく、それは気遣いとも言える対応であった。
「俺に手加減する必要は、今俺が斬り捨てたぞ?」
うすっぺい言動は、容赦なく世界に響く。
「本気で来い、後で後悔しないようにっ!」
トムを馬鹿にするように、ニタニタと笑いながら【剣聖】は煽てる。
相も変わらず、その言動は薄っぺらい。
それを見て、それを聞いて、トム・ジェイソンは確信する。ここが、自分自身の正念場なのだと。
震える右手で拳銃を捨てて、白銀の拳銃をそのまま後ろから抜き取る。
そして。
叫んだ。
「……手を貸せ、悪魔がぁぁぁ!」
その時、何かが変化した。
今の今まで撃たれては弾き返すを繰り返していた戦場が――その一言で確かに変化する。
平然とした様子で白銀の銃口を真上に向けて、【魔弾の射手】は一発夜空に弾丸を撃ち上げる。
「……アズマ・ノーデン・ラプラス、貴様という『悪』をここで殺す!」
「――死んでも殺せるなら、どうぞご自由に」
そう告げたアズマは、すでにそこには立っていない。
タッと軽快な音が響いている。
コンクリートの地面を蹴る音だ。
【剣聖】は【魔弾の射手】の間合いに入っていた。
死はそこまで、迫っている。
神速を成す【剣聖】は、たった一度の一蹴りで、切り札を使用を決断した【魔弾の射手】の首を、いつでも掻き斬れる間合いに侵入することを成功していた。
「っ!?」
しかし、斬れない。
あるはずのない刀を握っていたはずの【剣聖】の右腕に、灼けるような強い激痛が走る。その痛みで顔を歪め、動揺と警戒で咄嗟に後ろへ間合いを取った。
(――今、何が起きた?)
チカチカと眩暈のする思考の中、【剣聖】は自然とそんな台詞を思い浮かべていた。――その次に激痛の駆ける右腕をチラリと覗くと、そこからはポツリポツリと赤い雫がしたり落ちていた。
死の感覚がアズマを襲う。
「……僕の勝利条件は二つ!」
【魔弾の射手】は叫ぶ。
それはまるで、まるで意趣返しのように。
「……一つは【剣聖】の殺害」
苦痛を誤魔化すように、【魔弾の射手】はただ叫ぶ。
「……そして、もう一つはノエル・アナスタシアの殺害。つまり、僕の手にはノエルさんの命を握る立場にある」
――『魔弾の射手』。
「なるほど――」
ある悪魔と契約することで、持ち主が当てたいと思ったものに必ず当てることが出来る七発の『魔弾』――それを得た人間が、最後の一発だけは悪魔の意図したものに当たってしまうと知らずに放ち、その最後に大切なものを失った滑稽な話。
【魔弾の射手】は、それを模した『魔術師』だった。
「――『魔弾の射手』を再現する『魔術』、か。六発は俺に対して放ち、最後の一発は悪魔の意図した『大切なもの《ノエル》』を射抜く。ああ、最高だよ。ただの『魔術師』が俺を追い詰めてやがるんだ、最高の下克上じゃねぇかよ! ……それと、どうせなら、前者に挑戦しろよ。俺もテメェも、無駄な犠牲を出すわけにはいかないからな!」
この状況、圧倒的不利なのは【剣聖】の方だ。
しかし、その傲慢な態度は消えるどころか悪化するばかりである。追い詰められている人間は何をするかは分からない、とはよく聞くが、彼の場合はむしろ感心してしまうほどの図太さだった。
その態度に眉を顰めながらも、【魔弾の射手】は銃口を向けて叫び返す。
「……言われなくとも、そんなの僕でも分かってる!」
やはり、必中の『魔弾』が放たれた。
一方、体の僅かな欠損で持続する痛みによって、【剣聖】は僅かに集中力が乱されていた。しかし、その必中たる弾丸を薙ぎ払うために、あるはずのない刀を左手に握り、それを横に振り、その【魔弾】に向けてあるはずのない刀を投擲する。
普通なら、それはのろまな動きを描くはずだった。
「っ!」
【魔弾の射手】は顔を顰める。
それは即物的な痛みではなく、耳鳴りや立ち眩みのそれであった。まるで、それは、何かが破裂したような響きを為している。そのおかげもあって、【魔弾の射手】の視界は狭まり、音は煩い残響だけしか聞こえいなかった。
そんな一瞬の時は次を迎える。
「っ!?」
それは、音速を超えることによって発生する衝撃波だ。
あるはずのない刀は真っ直ぐと、それこそ弾丸のように、【魔弾の射手】の放った弾丸を射貫こうとしていたのだと、その事実に彼は戦慄する。だが、当然、【魔弾】はそれを回避したはずだ。
「ちっ!」
舌打ちが一つ。
それと共に、【剣聖】は右手を前に出していた。やはり、その手は何かを握っているように見える。だが、それは、突きつけるような仕草で、とてもじゃないが、攻撃をするためのようには見えない。
――赤い液体が舞う。
その右手から垂れ落ちる血の量が急に増える。
必中の【魔弾】から逃げられないことを悟っていたのか、この土壇場で【剣聖】は既に負傷している右手で、その弾丸を受け止めていたのである。――否、それだけではない。
そもそも、【魔弾】の軌道上、例え右手で受け止めることが出来たとしても、その程度の肉壁ならば、容易にこれは貫通することが出来るはずだ。その程度で止められる代物ならば、拳銃はここまで発展することはないはずだ。
「な、にっ!?」
思わず【魔弾の射手】は絶句する。
何もないはずの空中で、まるでそこに『何か』があるかのように、その血は『何か』を辿って、その果てに地面へと落ちていた。
「――刀の刃を握って、それをストッパーにして、弾丸を受け取ったのかっ!?」
返事はない。
【魔弾の射手】が捉えていたのは、目を見開き、それこそ真剣と言える表情で、自分自身へと迫ってくる一人の少年だった。
「――終わりだ、【魔術師】!」
何かが、粉々に砕け散る。
その手は既に、何も握っていない。
刻一刻と、拳を強く握り締める少年が迫る。
それをただ――
「それ以上も、それ以下もないっっ!」
――何もすることもなく、【魔弾の射手】は受け取った。