第二章14、『嘘つき』
人気はない。
未だ、件の結界が貼られているようだった。
少なくとも、それはありがたい現実である。
「……トムの奴と、話さなくて良いのか?」
そう口にしたのは、全身が血まみれのボロボロになってしまっている、アズマ・ノーデン・ラプラスであった。その声の宛先――名前も知らない少女――トム・ジェイソンの彼女さんは、慣れない血の匂いとアズマの体重で顔を顰めながら、
「大丈夫です。まだ、時間はありますから……それに、あの人には今、しないといけないことがあるんですよね?」
と返してきた。
それを聞いて、お節介にも彼は笑う。
「よく話し合えよ、あの男は結構自分勝手なところがあるからな。ま、その自分勝手な行動はどれも、誰かのためのものだから――しっかりと、叱ってやれ」
「仲が、良いんですね」
「俺とアイツが? まさか、そんな訳ないだろ」
言葉を濁しつつも、寂しげに彼は続ける。
「――ただの利害の一致だ、敵の時もあるし、背中を任せる時もある」
その冷たい関係は、やはりその場の空気を凍らせるに相応しい。その暫くの静寂の後に、彼女はポツリと言ったのだ。
「……ありがとうございます」
「それを言うべきなのは、俺じゃない。正直、俺は君のことはどうでも良いし、俺の目的は別にあった。ただ、結果的に、それがあの馬鹿野郎を止めることになっただけだ」
「そう、ですか」
「うんうん、頭のいい奴は好きだぜ。いや、物分かりが良い奴か?」
「あはは。えっと、私、医学とかは分からないんですけども、体に傷があるなら、あんまりしゃべらない方が良いんじゃ……?」
「いやいや、大丈夫。と言うか、喋らせてくれ。中々、こうやって、気を抜いて――気を許せて話せることは少ないからな」
「……えっと」
困惑が見て取れる。
そこで、アズマにとっての『気を抜く』と、普通の『気を抜く』の意味が若干異なっているのかもしれない、と。
そんな発想に至った。
「あぁ、ごめん。信用してるってわけじゃないんだ。ただ、保証されているからさ。君には力が無い、だから僕を傷つけることは出来ない……ってな。そんなことが出来たとしても、簡単に返り討ちに出来る。……言ったろ、俺に感謝するなって。結局は、誰かと楽しげに話していても、何処か、それらを駒として、道具として見ている節が俺にはある。ちなみに、俺が何でこれを信用もしていない君に言ってるか……分かる?」
「そ、その」
きっぱりと、感じ悪く。
「関わるなって、話だ。こう言うのも、自分を自分で褒めてるみたいだから嫌なんだけどさ。――俺にも、良心がある。ただ、思考回路がイカレているだけで、そのクソみたいな行動によって、苦しむ心は存在している。あぁ、そうさ。結局は自分のためで、このことを君に言っているのは、別に嫌われても良いからだ。そして、誰かに知っていて欲しかったからだ。君は僕を嫌うと良い。是非とも、嫌悪してくれ。絶対に、俺なんかに借りを作らないでくれ。いつか、俺の心が壊れた時、容赦なくそれを利用するはずだから。今、しているようにな」
「……」
「話を変えさせてもらうけどさ。アンタはさ、どうしてトム・ジェイソンを好きになったんだ?」
「え?」
「いやぁ、【魔術師】としての側面を知ってる俺からしたら、あの一種のカッコよさを好き好む奴はいるってことは分かるけど。……普段のアイツ、ただの本読んで変人と絡んでるだけの物静かな根暗じゃん」
「言いたくありません」
「いい判断だ」
「恥ずかしいので」
「……」
「ところでどうして、ノエル先輩は私を助けてくれてのでしょうか?」
「俺とアンタが似てたんだろうよ、きっと」
「似てた?」
「俺はアイツと幼馴染なんだけど。色々あって、俺はそれを覚えていない。記憶喪失ってやつだな。そんで、その色々あったを端的に説明すると、俺は死んでたことになってて。それで、再会した。死んだはずの幼馴染が、目の前に現れた。きっと、それは彼女にとって嬉しいものだったんだろうけど、さっき言ったように俺は『記憶喪失《死ん》』でいて、曖昧なことさえも俺は知らない。……知らないものを知ろうとは思えない。知りたいものを知れるわけじゃない。……ごめん、段々と何言ってんのか分からなくなってきた。やっぱ、説明苦手だわ、俺。病院まで、あとどれくらいだったりする?」
「あと、少しです」
「そっか」
静かになる。
完全に会話が途切れたことをアズマは悟っていた。
「好き、なんですか?」
それはどうも、思い違いだったようで。
「……」
誰がとは、少女は言わなかった。
その善意を感謝するように、異常なほどに明るい声色で返す。
「大切ではあるよ」
だから愛せない。
そうとでも言いたそうに。
その言葉の真意は――今、語るべきではないだろう。