第二章13、『暗躍の末』
関係者以外立ち入り禁止、なんて言葉が貼られている場所は意外と珍しくない。
誰でも、一つや二つ、秘密を持っているのだから。
少なくとも、真の意味で『関係者以外立ち入り禁止』とされている場所としては、【三枝学園】の中央部であろう。
この学園は五つの島で形成されており、中央を除いた四つの島にある機関、それぞれが、小学校、中学校、高校、大学としての役割を果たしている。――では、中央は一体、何をしている場所なのかと言うと、それこそ、『職員室』のような役割を持っている。時には重要な来客を招き入れる場所であり、時には各学校の校長先生……のような人物が話し合うための場所にもなる。
さて、これが表向きの情報である。
監視塔、と言えば分かるだろうか。
人のプライベートなところ、そこを掠らない程度には情報を収集することのできる、三枝学園の全ての情報が集まる場所が、まさしくここなのである。当然、これ以外にも使用用途はあり、他の使用法を知る人は、この中央部を『何としても利用することの出来る万能な工房』である、と表現している。その性質上、防衛線にも適しており、三枝学園において、ここ以上に安全なところはないとされているわけなのだが――。
さて、三枝学園で、としたのには理由がある。
何かと、世界は広いのだ。
ザン、と。
それは、やけに鋭い一閃だった。
時が一瞬止まったかのように、その空間の音が失踪する。そして、既存の扉を斬り開くように、それまで空間を支配していた光とは全く違う光が、そこを照らす。
「……どうして、ここが?」
そこには、影が一つあった。
「何となく、っつたらカッコいいけど、嘘はつきたくないんだよなぁ」
【剣聖】、アズマ・ノーデン・ラプラス。
「まぁ、何っつったらいいかな。ただの内通者だよ。あまり、即興の仲間を信用しすぎるのもどうかと思うけどな」
それが世界である限り、彼に斬れないものはないらしい。
どうやら、それは事実なようで、かつてある科学者が自慢げに誇っていた鉄壁の要塞は呆気なく壊されてしまっているようだった。
「では、どうやってここに?」
この男に、ここまで来るためのセキュリティーを突破する術は存在しないことを彼女は事前資料から知っていた。ただ無秩序に斬り、強引に道を作ったとしても、いずれは限界が訪れるはずなのに、だ。
彼は笑う。
「そりゃあ、無理矢理だよ」
不可能と思われていたことが、実際不可能ではなかったかのように。
そこで、彼女は気が付いたのだ。
この空間の環境音に、水が滴るような音が増えていることに。
ここまでの状況、これまでの状況、それらをパズルのように組み合わせて、彼女は一つの結論に至る。
「その血、本物ですよね?」
やはり、彼は笑い続ける。
「ん、まぁな。けど、痛みを遮断する方法なんていくらでもあるぜ?」
「脳内麻薬……でも、たったそれだけで……」
「ありえないなんてことありえない。ありえないなんて言葉、とっくの昔に俺が斬り落としてるんだ。なにせ、あれだけありえないと言われた、俺が【剣聖】になるって現実が訪れてんだからな」
きっと、経験論なのだろう。
その死んでいる目にしては、それを打ち消すほどにその声は自信に満ち溢れていた。
「さて、答え合わせをしようぜ」
「ふぅ、何が知りたいんですか?」
「はは、やけに素直だな」
「死神への土産ですよ」
敵対。
空間をそれが支配していた。
「……その記憶を改竄する術式、使用条件は何だ?」
「はぁ、正しくは術式ではなく権能なんですけどね。この通りにチートですけど、使用条件は日本人であることだけです」
「違うな。だったら、もっとスピーディに物事が進んでいるはずだ。そして、今テメェはそれを権能っつたな? 神の力を使用するとなると、その制御は難しいはず。となると、調整に時間が掛かるなり、対象を大規模にするか、個人にするかで切り替えが難しいとか。そんなデメリットが存在するはずだ」
人は何故、神を頼る。
答えは簡単だ。
神の力を人が扱えないから、とか。
「それこそ、一度に記憶を改竄するとなると、精密な操作が難しくなる、とかな。大規模な操作は多分、常識とか、そこ辺りの情報しか操作できないんじゃないか?」
「……ええ、あの権能は個人相手にしかうまく機能しないらしいですよ」
ウソか、それとも本当か。
どちらとも取れる声のトーンだった。
「うん、だったら、何でもありってことはないな。じゃあ、目的は何だ?」
「呪いを受けた生徒の保護ですが?」
「ほっといて大丈夫らしいぜ、アレ」
「根拠は?」
冷静な人間を自分と同じ土俵に立たせる方法はただ一つだ。
「他でもない【最悪の呪術師】お墨付きだぜ?」
地雷を踏む。
それが人間である以上、そこには必ず私情がある。
「……今、どこにいる?」
「さぁ、知らねぇな」
そうアズマが嘯くと共に、厩戸豊は半透明な剣――先は両刃、身は片刃の刀――をその右手に握った。
「……」
その剣には、左に日の形・南斗六星・朱雀の形・青龍の形が、右には月の形・北斗七星・玄武の形・白虎の形が刻まれている。少なくとも、日本の術師ならば、その剣の正体が『七星剣』に由来するものだと気が付くことが出来るはずだ。
「おぉ、怖い怖い。暴力系ヒロインはモテないぜ?」
「……」
次に彼女が左に握ったのは、同じく半透明な剣――こちらも同じく、先は両刃、身は片刃の刀――だ。左には三皇五帝の形・南斗六星・青龍の形・西王母の兵刃符が、右には北極五星・北斗七星・白虎の形・老子の破敵符が刻まれている。
さて、ここで気が付く人も多いはずだ。
これらの剣の正体は、破邪や鎮護の力が宿るとされている。
曰く、かの伝承において、聖徳太子が幼少期に持っていたとされている国宝級の代物――『七星剣』、それに含まれる『護身剣』と『破敵剣』である、と。
「あ、茶化しに乗る余裕もない感じか。だったら、手っ取り早くいっちょ喧嘩で蹴りをつけるとしますか!」
彼は笑う。
他人事のように笑う。
殺意を込めた表情で、厩戸豊は猛々しくも構えた。
「万全ならともかく、そんな傷だからけで、うちに勝てるとでも?」
アズマ・ノーデン・ラプラスはやはり、笑うだけだ。
乾いた笑みを浮かべるだけだ。
「はは、俺は勝てなくて良いんだよ」
ついに、彼は嘲笑う。
「アンタの面倒を見るのは、俺なんかじゃない」
真の敵はアズマではない。
「っ!?」
高熱を纏った閃光が、天井に大きな穴をあける。それに伴い落下してきた瓦礫をめんどくさそうにアズマが腕を一振りにすると、それらは跡形もなく斬り裂れた。
そして、彼は言った。
正しく、それは他人事だった。
「アーク溶断ブレード、らしいぜ?」
電気系統、そこで思い出す。
今だ、天月と戦闘しているはずのレクシー・ブラウンの存在を。
いや、彼女は天月が密告している時点で想定しておくべきだったのだ。まず、天月とレクシーの戦闘が嘘であり、アズマがここまでやってこれたのは、彼女の電子操作によるハッキングのおかげなのだと。その発想に至らなかった理由は簡単だ。
先入観。
偏見。
常識。
アズマ・ノーデン・ラプラスだからで理由を完結させてしまう、悪い癖。
まるで、彼が【終幕装置】であるかのように感じさせる演出。
まさに、手のひらの上で踊らされているようだった。
「大人しく、降参してもらえないかしら?」
「……流石は、日比谷さんが認めるだけは「馬鹿言わないで」
間違えを制止する。
「この男は確かに色々と考えているわ。だけど、それに沿って行動したことなんて、こいつは一度もないわよ。ただ、即興の劇みたいに、その場しのぎで行動してるだけ。だから、人の人生を、勝手に計画の一部として組み込むようなやつと一緒にすんな!」
馬鹿にされているのか。
それとも、褒められているのか。
アズマには判断しかねる内容であった。
一方、思わずと言った様子だった。
今夜の黒幕は、どこかで見たことのあるような両手の挙げ方をする。
カップル揃って、よく似た仕草であった。
「……私の負けです。煮るなり焼くなり、好きにしてください」
そうして。
これをもって、真夏の夜の夢のように、この騒動は騒がしくも呆気なく幕を下ろしたのであった。