第二章12、『刹那』
人気のない世界で、無作法な音が鳴る。
その音は心底――トム・ジェイソンという人間を苛々させるものであり、それは急かすようで、彼自身の愚行をおかしそうに笑っている風に聞こえてしまう。
その不快感を殺す。
「……もしもし」
「あー、この調子だと天月先輩はまだ戦闘中ですかね。それはそうと、ターゲットのいる場所が分かりましたよ。ぐるりと元居た場所に戻ってます。つまり、学校ですね」
「……了解した」
会話をしたくない。
彼女の一言一言が、どうしようもない罵倒に聞こえてしまう。
「にしても、仲間に対しても容赦がないですね」
「……こうでもしないと、奴は止まらない。そもそも、奴を倒すなんてこと、こうでもしないとできるわけがないだろう。奴が、機械じゃないことを感謝するしかないな」
「血も涙もあるってことですです?」
「……あぁ、奴は人間だ」
だから、こうなった。
足を止める。
少年は『それ』を捉えた。
「それでは、ご武運を」
通話が切れる。
そして、礼儀正しく、少女は言った。
「諦めてください、ジェイソン」
ゾッとする。
その声色はまさに、聖女のような代物だ。何もかも、どうでも良くなってしまいそうになってしまう、そんな魅力的な声だった。
――言うなれば、【神秘】のような。
悪魔と契約をしたことがある手前、彼はそれをすぐさま振り払った。
「それはこっちの台詞だ」
「嫌です、嫌ですよ」
だって。
「私は好きな人のことを忘れたくありません」
だって。
「私は好きな人に忘れられたくありません」
だから。
「私は助けます」
だって。
「その苦しみを知っているから」
だって。
「その恐怖を知っているから」
だって。
「その愚かさは身に染みているから」
だから。
「これ以上の犠牲者を増やさないために」
だから。
「これ以上の加害者を増やさないために」
だから。
「私は、私の敵と対峙します」
たとえ。
「それが貴方でも」
いえ。
「貴方だからこそ」
当然の話。
「友達を、苦しめたくはないのです」
その時、トム・ジェイソンが対峙したのは、その少女が【転生者】と呼ばれることになったその理由、その所以だった。
勝つためでもなく。
救うためでもなく。
そう思ったから、彼女はそこに立っている。
「……」
トム・ジェイソンが、彼女に勝つこと自体は容易だろう。
ノエル・アナスタシア自体に、誰かを痛みで屈服させられるほどの力はない。トム・ジェイソンが危険視していたのは、その最奥にある同調者ただ一人のはずだった。
(――まさか)
ここで戦えば、ノエル・アナスタシアは覚醒する。
それはもう、物語の主人公のように。
それを是とするべきか、それともしないべきか。
その覚醒は、どのような影響をもたらすのか。
「よぉ、分からず屋」
そんな無限に等しい可能性を否定するように、その少年は――その【剣聖】は割って入ってきた。
滲むような極彩色は一瞬にして、消失する。
「また、会ったな」
「……、何の冗談だ」
水滴の音。
この場に、水気はない。
そのはずだ。
「……あずま、くん?」
血の気が引いたのだろう。
ノエルの表情が青く染まる。
「あ、大丈夫大丈夫。これ、まったく痛くないから。防弾チョッキに血のりを合わせて、ご覧の通りにだまし絵が完成って寸法。……まぁ、俺が敵じゃなくなったって認知を与えられたら勝ち確だったわけだ」
「……何をした?」
「別に、何も」
アズマ・ノーデン・ラプラスは笑う。
「ただ、確信を得ただけだ。この事件に第三者は存在しているのか、その目的が俺が予想していた通りのものか。この二つはクリアした。じゃあ、後は答え合わせの時間だ。彼女の記憶が改竄されていなかったこと、これの黒幕が例の『厩戸豊』であったこと、そして彼女の抱いたあの感情は間違いではなかったこと。その全ては正解だった」
「……何をしたい?」
「決まってんだろ、詐欺師」
笑う。
図らずとも、それは約束を守る行為であった。
「確かに、オマエの答えは正しいかもしれない。けどさ、だからと言って、もう片方の答えが間違いってわけじゃねぇだろ。答えが分からないから答え合わせをするんだったら、合ってる可能性が高い方で行こうぜ?」
「……」
「嫌そうだな」
「……」
「だったら、安心しろ」
「……」
「安心してくれ、トム・ジェイソン」
「……」
「俺が諦めさせてやるよ、その絶望を」
【剣聖】は叫び直す。
「テメェの答え、それも世界の一部だろ?」
その疑問形は、前置きに過ぎない。
ふと、そこで彼は思ったのだ。
「だったら、俺が斬れない道理はない!」
――ノエル・アナスタシアが主人公なのだとしたら、アズマ・ノーデン・ラプラスは一体何者なのかと。
それは、彼にとっては理解するには難しい代物であった。
理解し難い、現状だった。




