九月病という名の病
ここはとある町外れの診療所。白髪眼鏡の初老の医者がどんな症状でも匙を投げることなく処方してくれるが効果は人によると言われている。いつもは空いているのだが今日は混んでいるようだ。
「次の方どうぞー」
「失礼します」
「どうなされましたか?」
「最近晩ご飯を作るのがめんどくさいんです。暑さのせいか、息子たちの食欲もないみたいであまり食べてくれません。それも重なって作るモチベーションが湧かないんです」
「では、作るのをやめてデリバリーにするのはどうですか?」
「実はもう何度かデリバリーを頼ったんです。楽だし美味しいしいいんですが、毎日だと金銭面がきつくて…」
「なるほどちょっと高いですもんね。じゃあ冷凍食品はどうですか? 簡単ですし、コストパフォーマンスもいいと思いますよ? 人類史において最高の発明品は冷凍食品だと言っても過言ではないでしょう」
「たしかに冷凍食品もいいんですが、食品添加物とか塩分とか気になっちゃって。なのでインスタントやお惣菜も毎日子どもに食べさせるのは少し抵抗が…」
「なるほど、わかりました。じゃあ鍋にしましょう」
「鍋ですか?」
「はい、もう9月ですし早いところでは鍋の素のコーナーを作っているスーパーもあります。だしと切った具材を入れて火にかけるだけなんで簡単ですよね。私は日本人が発明した料理の中で鍋料理が一番だと思っています」
「鍋、確かに簡単ですがそれでいいんでしょうか? 手抜きすぎませんか? それにまだ暑いのに早くないですか?」
「暑さなんてエアコンをつければ大丈夫です。室内温度を18度にでも設定すればいいんです。自然とあったかいものが食べたくなります」
「そういう話でしょうか……? それに、もし鍋が続いたら嫌になりませんか?」
「大丈夫です。残ったら翌日調味料を加えて味を変えれば問題なしです。それにご飯や麺を入れることで〆も楽しめます。おすすめのレシピをお渡しするので会計時にお受け取りください」
「……なるほど」
「納得なされてないみたいですね。でも大丈夫です。鍋をして失敗したからと言って金銭面でのダメージは少ないでしょう。物は試しですよ」
「そうですね。わかりました。ありがとうございました」
「次の方どうぞー」
「すみません、失礼いたします」
「どうなされましたか?」
「あの、最近彼氏にフラれたんです。突然の話にびっくりしちゃって。理由を問い詰めたら『他に好きな人ができた』って言われてしまって」
「あらそれは辛い。王道の失恋パターンですね」
「まあ、そうですね……」
「ところで彼氏にフラれてからどうですか? 辛いところはありますか?」
「えー、そうですね。今まで彼氏のために働いて、家事もなにもかもしてきたのに急に出ていかれて。なんだか生活の張りが無くなったというか、うまく立ち直れないというか、辛過ぎるというか……」
「なるほどそれはしんどそうですね。食事はちゃんと取れていますか?」
「それが全然喉を通らなくて……」
「そうですか。因みに新しい彼氏が欲しいとは思いますか?」
「……暫くは恋愛はやめとこうと思います。ずっと彼氏に尽くしてきたんですが、自分でも矛盾してると思うんですが人に尽くすことに少し疲れている気もするんで」
「どれぐらいお付き合いされてたんですか?」
「はい、ちょうど4年です」
「それは頑張りましたね。私なら人に尽くすなんて90分が限界ですね。あ、90分というのは人間の大人が集中していられる限界の時間らしいですよ。……すみません話が逸れましたね。因みに他になにか症状はありませんか?」
「はい、あと最近なんだか暑さのせいか身体中本当に怠くって。何もやる気になれないんです。これは失恋とは関係ないんですが……」
「わかりました。あなたには気分転換が必要ですね。ではこちらの旅行プランを処方しておきますね」
「旅行ですか?」
「はい、実は昨日あなたのご友人もこちらに来られたんです。失恋した友達、あなたの力になってあげたいけどどうしたらいいかわからないと。明日あなたの予約が入っていることを伝えたら何が一緒にできるか考えて欲しいと依頼されまして」
「…………え?」
「そこでいろいろ話し合った結果、旅行に行くのがいいのではないかということになりました。避暑地でゆっくりされてはどうです? 身体中が怠いのは単に夏バテだと思います。ご友人が待合室でお待ちですので詳細はお二人でお詰めください」
「え、あ、なんかよくわからないけどありがとうございます! 行ってきます!」
「次の方どうぞー」
「…………」
「おや? 次の方どうぞー」
「失礼します……」
「どうなされましたか?」
「仕事が、なんだか辛いんです」
「ほう、仕事が辛いんですか?」
「なんだか最近急にやる気が出なくなったというか、意味もなく辞めたいというか……」
「今の仕事は嫌いですか?」
「いや、嫌いではないんですがなんだかしんどくって……」
「なるほど。今のお仕事はどれぐらいされているんですか?」
「もうすぐ2年です。慣れてきたというか、刺激がないというか、やる価値が見出せないというか」
「人間関係はどうですか?」
「人間関係に不満はありません。上司も同僚もいい人ばかりで、とても働きやすい環境です」
「恵まれた環境なんですね。素敵じゃないですか。もしかして日常に強烈な刺激が欲しいんですか?」
「そうなんです! 刺激が足りないんです。こう、ドキドキするような刺激が欲しいんです。彼女もいない、金もない、何もない日常に飽きてきた感じです」
「なるほど、そうですね、そしたらそんなあなたにはこちらのブルーレイを処方しますね。あ、本の方がいいですか?」
「ブルーレイ? 本? なんの話ですか?」
「だから処方箋です。刺激を求めるあなたにぴったりの作品です。私は原作よりもドラマ派なんで是非ブルーレイをおすすめします」
「因みにどんな内容なんです?」
「勧善懲悪のお仕事ものですね。銀行員の主人公がムカつく上司や上の人たちをばっさり切り捨てていくんです。過剰報復かと思う時もありますが復讐していくところが見ていて爽快なんですよね」
「それが今の私とどう関係するんですか?」
「『あーこんな職場だと大変だな。今の環境は平和だな』と思えるんじゃないでしょうか? まあ単に私がおすすめしたいだけですね」
「なるほど、とりあえず面白そうなんで観てみます。ありがとうございました」
診察時間が終わり、医者が入り口の鍵を閉めていると一人のお婆さんがやってきた。
「先生、今日は患者さんが多かったようね」
「そうですね。9月は何かと皆さん気持ちの浮き沈みが激しいようですね」
「九月病てやつね。まったく近頃の者は暦にさえ影響されるのかい。おや、先生その紙はなんだい」
「あー。これはお休みのお知らせです。明日から急なんですが暫くお休みをもらおうと思いまして」
「先生どこか具合が悪いのかい?」
「いえいえ、ただ単に働きたくないだけです。そう九月病ですね」