7話 伶良の過去、前半(伶良)
七話 伶良の過去 前半
先週からの大雨は止まずに降り続いている。灰色の水彩絵の具で空を塗りつぶしたように、空一面を雲が覆っている。普段は授業中に隣のクラスから先生の大きな声が聞こえてくるが、今日は激しい雨音でその先生の声も微かにしか聞こえてこない。
窓の外を何気なく見つめていると、先週の事を思い出してしまう。周りからみんなが離れていくのが怖くて精神的に疲れていたとは言えども、私はどうしてあんな大雨の中を走ってまで川に行こうとしたんだろう。
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私の小学校はとてもボロくて、山の中で自然に恵まれたところにある典型的な田舎の学校だった。小学校の校舎は、70年前くらい昔のままの校舎で古い木造建築で、廊下を歩けば床がミシミシと音をたてて少し揺れているのを感じることが出来たくらいだ。
夏なら男子達が虫取りをして、冬なら男女で毎休み時間に雪合戦をしていた。それ以外にも休み時間は私以外のクラスメイトは全員、外に遊びに行っていた。
私は生まれつき身体が弱く、外を走り回ったり球技をしたりするのが大変苦手だった。だから私は学校の休み時間の殆どを読書するだけで過ごしていた。そのため、友達なんてほぼ居なくていつも一人ぼっちだった。でも、その頃の私はそんなことをなんとも思っていなかった。本が自分の友達だと思っていたからである。そんな意識があったせいか図書館にいる時が、私にとって至福の時となっていた。
当然そんな私に現実の友達なんていなかったのだけれどある日、私にも転機が訪れた。
いつも通り小学校の古い図書館で本を読んでいた時のことだった。
「ねぇねぇ。お願い事があるの」
近くで声がしたなと思い私は後ろを振り返ると、そこには少し困った顔をしていた女子の姿があった。前髪ぱっつんで髪が肩くらいまでに切りそろえられている可愛い女の子だった。
その当時は普段から、私は他人様から話しかけられることなんて無かったから心底驚いた。自分にも話しかけてくる人がいるとは……。それがその子に持った最初の感想である。
「どうしたの?」
家族以外の人間と殆ど話すことが無かったから少し緊張したことを今でも覚えている。その子は近くの本棚の上の段を指差して私の方を見つめた。
「私の背が小ちゃくてあの本、届かないの。お姉ちゃんなら届く?」
お姉ちゃん……?そう言われた時、その瞬間だけ自分にも妹がいるみたいで素直に嬉しかった。その子は私のことを頼ってくれていたんだろう。お願いしたい、というオーラが溢れ出ていて幼い印象があったからその子に対して素直に可愛いなと思った。その本棚の上の段は昔の私くらいの身長ならちょうど届くくらいの高さでその子の身長なら無理なところである。だから私が取るしかなかった。
「何色の本が読みたいの?」
その子は「あの水色の本」と言って水色の絵本を指差した。小学校低学年用の絵本が、どうして本棚の高いところに置いてあるんだろうという疑念は今でもある。私が少し背伸びをしてその本を取って、その子に渡す。
「これでいいかな?」
「ありがとうお姉ちゃん!」
あの頃、感謝の言葉を笑顔で言われた時の嬉しさは今でも忘れない。他人様に感謝されるのはその時の自分にとって何よりも嬉しかった。
それからというもの、その子は手の届かないところにある本を取りたいと思った時に私にお願いしてくれるようになった。
「いつもありがとう!お姉ちゃん!今度は私に本を読んで欲しい!」
まるで幼稚園生みたい、そう思うほどにその当時の私からしてもだいぶ幼く感じられた。当時の私はこの子に対して、本当に自分の妹みたいに感じることが度々あったため、その子に対する答えは決まっていた。
「いいよ!一緒に遊べる時にお姉ちゃんが本を読んであげる」
そう言うと、その子はとても嬉しかったのかその場で「やったー!」と、ウサギみたいに飛び跳ねた。図書館内には私たちしかいなく、他の人には迷惑にはならなかったようだ。
「私は、ほまれ!よろしくね、お姉ちゃん!」
「私は伶良、よろしくね、ほまれちゃん」
「……今日もリスさんはパンを焼いています。
どう?この本も面白かった?」
ほまれちゃんの家で本を読んだのは初めてだった。頼まれた絵本を読み終わると、ほまれちゃんの母親が焼いてくれたクッキーを2人で食べながらそれぞれの好きな絵本について話し合った。そこでは、自分のまだ読んでいなかった本を知ることも出来たし、ほまれちゃんも私の紹介した本に興味を示してくれていた。そんな楽しい時間はあっという間に終わった感じがした。帰る時に、ほまれちゃんの母親から別にお菓子を手渡しされた。
「これからも、ほまれのことをお願いします」
「私もよろしくお願いします!」
その言葉を聞いて安心したのか、ほまれちゃんの母親は笑顔になった。だから、その時は少しだけ自分のことを誇らしく思えた。
田舎の町は高い建物が少なく夕日が遮られることがなく夕日が綺麗に見えるが、その日だけはいつも見る夕日がいつもよりも綺麗に見えた気がした。
その日、初めて私は現実に友達を持つことができた。だからその時の『ほまれちゃん』には今でも感謝をしている。
私は出会った日から、雨の日、晴れの日、雪の日、天候問わずほまれちゃんと一緒に図書館で本を読んで過ごすことが多くなった。少し体が疲れていても、ほまれちゃんの可愛い顔を見れば、気がつけば疲れは飛んで行っていた。
「伶良お姉ちゃんは何年生なの?」
ある日本を読んでいた時のこと突然に聞かれた。そう言えば私はほまれちゃんに、自分の詳しいことまでは言っていなかったし聞きもしなかった為、お互いの学年などは知らなかった。更に当時の私は名札なんてつけていなかった為、わかるわけもなく……。ほまれちゃんは小学2年かなと思いつつ、私は机の上に本を伏せて置いて右手で数字の4を作って答えた。
「四年生だよ?ほまれちゃんは?」
「私も……」
「え?」
私は驚いた。こんなに可愛い甘えんぼの妹キャラのほまれちゃんが同じ学年だとは知らなかったし、正直言って信じられない。だがほまれちゃんの胸元についている名札をよく見ると、《蒼原保真麗 四年二組》と、書いてあった。
こんなに小さくて童顔の小学校低学年くらいの子が私と同じ学年だとは考えもしなかった。彼女の呼んでいる本は幼い子供向けばかりだったので私が勘違いをするのも無理ないことのはず。
「同じ学年かぁ……、伶良お姉ちゃんっては呼べなくなるの?」
ほまれちゃんは少し悲しそうだった。心配そうに私を見つめるほまれちゃんに、どううまく返せばいいかわからなかった。多分今でも少し対応に困るだろう。「お姉ちゃん」と呼ばれるのは嬉しかったけれど、同学年の子にそう呼ばせるのは私は気が引けた。だから私は不安そうなほまれちゃんに別の提案をした。
「同じ学年だし、《お姉ちゃん》は、呼び方としてどうかなって思うな……。だからさ代わりに下の名前同士でお互いの名前を呼び合おう!」
「それいいね!私、賛成!」
それから私は彼女のことを《保真麗》と、呼ぶようになったし、彼女は私のことを《伶良》と呼ぶようになった。この作戦は今の私でも当時の私を褒めたくなる名提案だと思っている。ほまれちゃんはじっくりと考えた末に太陽みたいに眩しい笑顔で笑って私に答えてくれて嬉しかった。
前よりもさらに図書館で一緒に本を読む時間が増え、楽しさも増していった。当時の私は心の底からこんな日々が続けばいいのになと願っていた。
だが、現実はそんなに甘くはなく、楽しい日々は長くは続かなかった。その原因はある事件で、その事件は私の性格を180°反転させる出来事だった。
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