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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

西の不死、東の不死

優しい香り、而して小さな悲劇

作者: ろんじん

 なんて、可哀想な人なのだろう。

 ベッドの上で布団にくるまり微動だにしなくなった彼を見て、ワタシはそう思った。

 彼はもともと悲観的な性格であったが、まさか、こんなにも些末なことで、ここまで落ち込むだなんて。千年を生きたワタシでもちょっと想像が足りなかった。こんなに脆く、柔く、繊細な心では、確かに人の世は生き辛いのかもしれない。せっかく人の身から不死に成り得たと言うのに、こんな性格のままでは、気楽に世を愉しむのも難しかろう。つい先日までは、人混みに紛れ、一人で出歩くことも出来たと言うのに。

 今の彼は街どころかベッドからさえ出てきやしない。

 ワタシが声をかけても、うんともすんとも言わずに丸くなっていた。

 布団からはみ出た毛先だけが、彼がそこに居ることを示している。きらきらと金糸のように柔らかな乙女のそれ。ワタシはその繊細な彼の一部をそっと手に取り、慰めるように口付けた。

「少し出掛けてきますから、ベッドを水浸しにせず、いい子で待っていて下さいね」

 こんもりとした塊はやはり反応しない。

 外は静かに霧雨が降っていた。


***


 ワタシたちがこの内陸の街にやって来たのは、二週間ほど前のことだった。

 ずっと海霧に引き籠っていた幽霊船の主を、海がまったく見えない所まで連れてきたのだ。彼、サルヴァトーレことトトーは極度の人見知りであり、なかなか一筋縄ではいかない旅だった。

 船に帰ると言って自傷されたことも、眠るのが怖いと言って泣かれたことも、哀れな人を≪救済≫させてしまったことも、多々ある。

 ワタシは彼がしでかす度にその場を取り繕い、転々と居場所を変えてきた。一人でぶらついていた頃のことを思えば何とも忙しない。友人をつくる暇も、街並みを十分に味わう間もなく、ただ通り過ぎるだけのような旅だった。

 それでも、彼との時間は何物にも代え難い愉しさで溢れていた。

 なにせ千年越しに出会えた不死の仲間である。自分以外にいるとは思っていなかった唯一無二の同族なのだ! 対等な伴侶と出歩く旅が、愉しくない訳がなかった。

 引き籠りな彼を連れ出すのにかかった長年の労力は、とっくの昔に精算され、今や黒字になっている。

 度々起こる厄介事も、日々を彩る愉快な刺激だった。


 ワタシと彼は、駅馬車に揺られてこの街にやって来た。

 街の外からでも見える大きな教会。貨物船が行き交う川を挟み、上等な家屋が整然と並んだ右岸と、ボロ屋が迷路のように詰まった左岸。賑やかな大通り。小間使いが走っていく路地裏。物売りが品を並べる橋の上。石畳の道と赤レンガの街並みは、青空に良く映えていた。街は教会から響く六つの鐘で動き出し、五つの鐘で昼と夜とが入れ替わる。市場にカフェ、酒場に賭場、女が手招く飾り窓。人と物とが集まる大都市は、いくら遊んでも尽きない娯楽で溢れていた。

 トトーはここに至るまでの旅で、だいぶ人に慣れていた。人混みに入っても視線を怖がったり、音に怯えたり、匂いで吐き気を覚えたりしなくなっていた。ワタシにしがみ付いて離れなかった頃も可愛かったが、普通に隣を歩けるようになった事は喜ばしい。人並みの振舞いが出来るようになり、彼の見目の良さにも磨きが掛かっていた。

 元が伯爵家の子息で育ちが良いのは勿論だが、彼の美しさは人だった頃から数百年経った今でも健在だった。価値観が移り行く世の中で、時代を問わず通用するものはそう多くない。けれども彼の容貌ときたら低すぎず、高すぎず、小さすぎず、大きすぎずの整った目鼻立ち。きめ細やかな玉の肌。絹糸のように艶めく銅色の髪、健やかに伸びた真っ直ぐな手足……と、永遠に愛される仙女を再現したかのような造りをしていて、非の打ち所が全くない。それでいて声は低く心地よく響き、知的で優美な雰囲気まで漂わせているのだから、通り過ぎる人々が二度見するのも当然だった。

 そんな飛び切りの美男を連れて歩くのは、ただそれだけで楽しいものだ。街中の視線を集める男が、親鳥を追いかける雛の如くワタシについて来る。幼子のように初々しい一喜一憂を、ワタシの横で披露する。嗚呼! それに! 遠巻きに視線を送ってくる乙女たちの前で彼と戯れるときの優越感ときたら! ワタシは彼女たちの反応や、何も気付かぬトトーの様子に、耐え切れず声を出して笑ってしまうことが一度ならずあった。

 ……彼との旅は本当に楽しいのだ。

 そういえば、あのコーヒーハウスの女給も、トトーにだいぶ惚れ込んでいたと思う。初めて訪れた日は控えめの給仕だったが、何度か通ううちに積極的に話しかけてくるようになった。コーヒーのお代わりは如何ですか? 今日のオススメはこちらです。新しいスコーンを焼いてみました。…なんて、甲斐甲斐しく接客していたのを覚えている。

 でも、当の本人がそれを気に留めることは決してなかった。

 それもそうだろう。なにせ彼にとって女とは、自分が殺した最愛の妻ただ一人だけなのだから。例えこのワタシが女人の体に成ったとしても、その価値観は覆せない。どれだけ巧みに誘ってみても、彼は見向きもしなかった。

 彼は妻を愛し、愛し、悲しませたくない一心で、彼女を幸せの最中へ葬ったのだ。

 妻だけではない。親も、弟妹も、親戚も。彼に近しかったすべての人間を幸福な船に閉じ込めて、自身もろとも海へ沈めた。それが、唯一最善のハッピーエンドだと信じて。

 だが彼は、彼だけは、その大団円に含まれることなく、不死者としてこの世に取り残された。

 彼は自分が周囲から嫌われていたために、仲間はずれにされたのだと嘆いていたが、実際のところは分からない。何の因果か、はたまた呪いなのか。今の彼はどれだけ傷付いても死ぬことのない、濁った海水の塊だった。

 ワタシはそういった事情を何も知らない女給が、ただ彼の見た目に惚れ込み色気づく様子が可笑しくて、彼と一緒に何度もコーヒーハウスを訪れた。

 それで、彼もその店には通い慣れていたのだ。

 つい三日ほど前までは。


 あの日も雨が降っていた。

 ワタシは朝帰りの惰眠を貪り、正午が過ぎてもベッドに埋まっていた。起きた頃には陽が傾き始めていて、彼の姿はなかった。粗末なテーブルの上にメモが一枚。【新聞を読みに出掛けます】それで、ワタシはすぐに彼がコーヒーハウスへ行ったのだと分かった。

 舶来の嗜好品が楽しめる店、コーヒーハウス。それは最近増えてきた新しい種類のカフェで、コーヒーやタバコ、チョコレートと言った、ここメモーリアでは珍しい品が味わえる場所だ。酔っ払いと下卑た笑い声が入り混じる酒場寄りのカフェとは異なり、理知的な空間で客も君子を気取っている。階級を問わず世の中を語らうことが好きな人間が集まり、なかなか有益な情報を掴み易かった。

 店内には議論好きな人々が立ち飲みで集まる大きな長机と、ゆっくりと寛げる椅子付きの小卓がある。トトーは奥まった所の、目立たない小卓で、店にある新聞を読むのが好きだった。

 新聞は、ワタシからすれば広告と噂と、統治者のご都合話の集まりだが、彼にとっては≪今≫を知るための重要な読み物だ。彼は不死者となって以来、長らく海に引き籠っていた。そのせいで、彼の記憶にある世界と、当世とでは数百年分の隔たりが生じている。とくに彼の死後に起きた流行り病や、アウロラ帝国の台頭、呪術の広まり、獣人の誕生などは全く知らず、東国から来たワタシの方が詳しかった。それで、彼は見覚えのある知らない世界を知るために、よく活字を手に取っていたのだ。

 落ち着いた雰囲気の中、コーヒーを飲み、新聞が読めたあの店は、お気に入りだったに違いない。

 それでも彼が一人で出掛けたことに少し驚きながら、ワタシは支度をして宿を出た。

 いきつけのコーヒーハウスは大通りを横切ってすぐの所だ。混む時間帯は店先の露台まで客が溢れるが、あの時はその比でないぐらいに人だかりが出来ていた。中心を避け、周囲に群がった野次馬たち。耳障りな濁声と軍靴の音。血を垂らした男が何人か、憲兵に連れて行かれるのが見えた。

 何かがあった。

 ワタシはその平素と異なる様子に胸騒ぎを覚え、開いていた窓から店内に潜り込んだ。中は長机が倒され、椅子が積まれ、激しく争った形跡があった。しかし人影はなく、事態は収拾した後。彼がよく座っていた席のあたりを見ても、その姿はなかった。

「ギョクレー様!」

 店内から厨房を抜け、裏口に出ると、道端で蹲っていた女がパッと顔を上げた。あの女給だった。女は目元を泣き腫らせ、震える体を一人で抱きしめていた。

「女給さん、いったい何があったのです? 今日、トトーが来ていませんでしたか?」

「あ、ああ……来て、来ていらっしゃいました! でも、その、突然、憲兵がやって来て………、反帝国の密会だとか、何とか…。それで、店が、めちゃくちゃに…。私こわくなって、裏口から逃げて。それから、しばらくして、大きな音がして。それから、それから…、サルヴァトーレ様も、この裏口から出ていかれました……」

「出ていった? どっちに!」

「えっ、あ、ああ…、えっと………あ、川の方へ…」

「どうも!」

 ワタシは女給の言葉を途中で切り上げて、細い路地裏を駆け出した。

 せめて大事には至らないでいて欲しい。一人二人ならどうとでもなるが、二桁なら今すぐ街を出る必要がある。街中で彼が自殺をしていれば、起きる前に回収しなくてはならない。そんな事を考えながら、ワタシは久しぶりに全力で走っていた。

 荷馬車が行き交う川辺の通りに辿り着いても、彼の姿は見えなかった。

 喧騒も、悲鳴も聞こえない。

 ワタシは暗くなり始めた周囲に焦りを感じ、一か八か、橋の上で声を張り上げた。

「トトーッ!」

 たぶん、迷子を捜しているように思われただろう。あながち間違いではない。ワタシはとにかく必死で、どうか答えてくれと祈りながら、耳を澄ませた。

 すると橋桁の下から、か細くワタシの名を呼ぶ声がしたのだ。

 ワタシは幻聴かと思ったが、念のためそこへ潜り込んでみると、彼が蹲っていた。

「ぎょく、れ……、わたし、わたし、ごめんなさい…」

「トトー! 嗚呼、心配しましたよ。大丈夫ですか? 店で騒ぎがあったそうですね。でも、もう大丈夫。宿に戻りましょう。もう大丈夫、ワタシが付いていますから」

「う、ううっ………、わたし、が、一人で、出掛けたから…」

「そんな事ありません! 少し運が悪かっただけですよ。そんな風に思わないで」

「でも、貴方がいれば、もっと、別の…、彼も、きっと……」

「彼?」

「わたしじゃ、なければ……ああ、う、ううう…」

 トトーは途切れ途切れに喋りながら泣きじゃくった。

 ワタシはその海水で濡れた体を抱きしめ、気持ちが落ち着くように撫でてやった。それから雨で増水し始めた橋桁の下を出て、彼の手を引き宿に帰ったのだ。

 奥にあった薄汚い死体は、そのまま川に任せておいた。


***


 そんな些細な不幸があってから三日。

 ワタシの予想通り店は元に戻り、営業を再開した。

「こんにちは。皆さんご無事で何よりです」

「ギョクレー様! いらっしゃいませ、ありがとうございます。……あの、サルヴァトーレ様は…?」

「ご心配なく。宿にいますよ。でも少し塞ぎ込んでいて。先日の件、彼には些か衝撃が強すぎたようで」

「ああ…、そうですね。無理もありません。マルコ様とは何度かお話されていましたから」

「マルコ? 彼がどうかしたのですか?」

 客数はやや少なかったが、例の女給は変わらずに働いていた。カウンター越しに話しかけると、女はワタシたち以外の常連客の名前を口にした。確か、マルコも活字を読むのが好きで、よく小卓に座っていた男だ。店内では回し読みが基本のため、トトーは彼と新聞や雑誌を交換したことがある。顔見知りと言えば顔見知りだが、一度も席を同じにしたことはない。

 ワタシが首を傾げていると、女給はカウンターに身を乗り出し、小声で言った。

「お聞きになっていませんか? 実は、あの日、マルコ様も捕まったのです」

「えっ」

「他にも何人かいましたが……、マルコ様は常連だったので、私も驚きました。あの日も、サルヴァトーレ様のお席の近くにいらっしゃったのです」

「………それで…」

 女給の言葉を聞き、ワタシは合点がいった。

 あの日、トトーが橋桁の下で言った≪彼≫とは、マルコのことだったのだ。顔と名前を知っている人間が目の前で連行され、彼はそれに動揺していた。それは確かに思うところがあったかもしれない。

 けれども、ただ本当に、それだけの事だった。

 女給はその後も見知った事をいろいろと喋ってくれたが、トトーは店の中で何の騒ぎも起こさず、荒事にも巻き込まれていなかった。憲兵と反帝国派の乱闘を避け、裏口から店を出た。ただその前に、名前を知っている、何度か新聞を交換したことのある男が、捕まる場面を見てしまっただけ。

 ワタシは砕けてしまった硝子細工を、どうやって元に戻そうかと思案した。

 やはり一度どろどろに溶かし、型に流し直すのが良いのだろうか。

「彼に持って帰りたいので、豆とスコーンをもらえますか?」

「ええ! もちろん!」

 ワタシが注文をつけると、女給は笑顔で答えて少し多めに包んでくれた。


 宿のベッドには、相変わらず丸い塊が転がっていた。

 動いた様子はないし、濡れた形跡もない。

 ワタシは宿の使用人から借りてきたコーヒーミルで豆を挽き、漉し布に入れて湯を注いだ。茶色い液体がじわじわと染み出し、カップの底に落ちていく。苦みのある芳ばしい香りが部屋に広がり、まるでコーヒーハウスにいるような気分になった。ゆっくりと滴るしずくを眺めながら二杯分。

 ワタシはそれとスコーンをベッド脇のテーブルに置き、改めて彼を誘った。

「ただいま、トトー。良い香りでしょう? あの店、今日から営業を再開したのですよ。もうすっかり元通りでした。いつもの女給が、貴方のことを気にしていました。また、一緒にコーヒーを飲みに行きましょう。美味しいって、貴方も言っていたじゃないですか。……ねえ、起きて、トトー。今日は貴方が丸まっているから、ワタシが手ずから淹れてみたのです。 冷める前に、一口ぐらい飲んでみて下さいな」

「………」

 小山のような布団をそっと抱きしめて、耳のあたりで囁いてみた。

 すると山が少しだけ身を捩り、ようやく可愛い顔が現れた。彼は本当に三日も悲嘆に暮れていたらしく、目元が朱に染まっている。まったく純朴と言うか、清純と言うか。千年を生きたワタシでさえ、ここまで清白な人間は彼しか知らない。

 柔らかな髪を撫でてやると、彼は悲しげに目を閉じた。

「……あの場で、刺し殺すべきだったのでしょうか…。そうすれば、後の恐ろしい事は何もなかった……。でも、私が気付いたときには、もう、憲兵に。………どうすれば、あの人を救えたのでしょう…。私は、どうすべきだったのでしょう……」

 混じりっ気のない、純粋な心から生まれる言葉が、ぽつぽつと零れて消えていく。

 ワタシは言葉の代わりに、そっと額へ口付けてやった。




END 2020/2/26

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