12・多機能、新色、高性能
二日雨が続いて、急に晴れたその日、サトルは以前からやりたいと思っていたことをやることにした。
ルーの家の裏手、水場の集まる場所で、サトルは洗濯をしていた。石で舗装された地面より一段上がって二段ほど下がっているくぼみ。その脇にはガランガルダンジョン下町の上の町には広く整備されている上水道。その水道の右手には、いつもサトルが食器を洗うために使っている、腰高よりやや高い位置の洗い桶。
ここが洗濯をするための場所であるというのは、つい最近ニゲラに聞いたばかりだった。
大きな布類の洗濯は、ガランガルダンジョン下町では専門の洗濯屋に頼むことが多いらしいが、ルーの家の様に大きな屋敷であるならば、個人宅の洗濯場というのあるのだという。
食堂や酒場、屋台などが多いガランガルダンジョン下町だが、その他の必要な家事というのも、ほぼ外注が当たり前らしい。
別にサトルが洗濯をする必要が有ったわけでもなかったのだが、洗濯の仕方をニゲラが教えたいと言い、サトルは承諾した。生前のタチバナの記憶がそうさせているのかもしれないと思ったからだ。
「追加持ってきます!」
「ん、頼んだ」
手元にあった布を全て洗い終え、大まかに絞り、サトルはそれを木と木の間に渡したロープに干し、ニゲラは追加の洗濯物を持ってくると言って、室内へと戻って行った。
そんな様子を見ながら、傍に座り込んでずっと見ていたアロエが上機嫌に問う。
「ママは何でそんなに働くの?」
「ママじゃない」
アロエの言葉を即座に否定し、サトルはずっと傍観者を決め込んでいたアロエへと向き直る。
「というか、言うほど働いてるつもりもないけど」
家事は確かに労働だろうが、責任のある仕事ではないので、サトルとしては働いているよりも趣味に近いと思っていた。これが責任の伴う物になり、なおかつ感謝をしてくれる人間がいなければ、早々に嫌気がさしていただろう。
しかしアロエはそんなサトルに、それが働いてるんだと言う。
「働いてると思うよー。仕事なんて自分のできる仕事だけやってて、他は他人任せっていのが多いじゃん? でもサトルはルーの世話もうちらの世話もするし、気が付いたらタイムのことも世話してるし、なんか最近小さい子連れまわしてイチャイチャもしてるんでしょ?」
「何だそのイチャイチャって、しかも小さい子? 身に覚えがない」
アロエから返された思いもかけない言葉に、サトルは眉間にしわを寄せ、それは何だと声を裏返す。
問いただそうとサトルがアロエに詰め寄る直前、ニゲラがサトルの声を遮る様に声を上げた。
「父さん追加でーす!」
視界をふさぐほどとはいかないが、一度に持つ量にしてはかなり大量の布の山をニゲラは抱えていた。
「随分数があるなあ」
ニゲラは持ってきた布を洗い場の傍に置く。
丁寧に畳まれた厚手の少しくすんだ白い布。いったいこれはどこから出てきたのかと、アロエは素直にサトルに尋ねる。
「これ何?」
サトルは布と、ルーの家の裏手に広がる葡萄畑を交互に指さして答える。
「ずっとため込んでた使わなくなってた部屋のリネン類。こっちの畑手入れしてるガランガル家の人のとこで保管してもらってたんだと。あんまりにも放置すると虫が湧くかもしれないから」
ガランガル屋敷の元々の持ち主一族は、一族の責務として家の維持のための手伝いをするのだとルーに聞いていた。このリネン類の保管も、その一環だった。
サトルは布を一枚一枚開いて確かめる。
再利用できるなら虫食いを繕い利用する。もし再利用も難しいほど傷んでいるのなら、布繊維は天然の植物繊維で、他に再利用の方法があるというので、もう一度ガランガル家の人たちに返すことになっている。
そのためサトルは丁寧に確かめているのだが、すべて保管状態が良かったらしく、今の所致命的な染みも虫食いも無かった。
真剣に布と向き合うサトルとニゲラを他所に、ぼんやりとその様子を見つめるアロエ。
アロエは昨日から少し体調を崩していた。その為、オリーブたちだけが仕事で出かけ、アロエは一人屋敷に残った。何故か一晩傍にいるとケガや病気の回復が早まるという力がダンジョンの妖精たちには有るので、もう回復しているのだろうが、一応大事を取っての休養だ。
そんなアロエの様子を気にしてチラチラと視線を送っていたニゲラが、不意に何を思ったか、先程のアロエの話を蒸し返した。
「そう言えばなのですが、アロエ、さっきの父さんが小さい子とイチャイチャってどういうことですか?」
ニゲラが人間よりもかなり地獄耳であったこと思い出し、サトルはしまったと舌を打つ。
「お、気になっちゃう感じですかニゲラさん」
「はい、気になっちゃう感じです」
ニヤニヤと煽るアロエに、元気よく返事をするニゲラ。
「おい、アロエ、ニゲラは見た目よりも子供だ、話すなら言葉を選べよ」
別に疾しいことをした覚えは無かったが、ここ最近よからぬ噂を立てられているという事もあって、サトルは慌ててアロエに釘を刺す。
もちろん分かっていると、アロエも苦笑して言葉を選び説明する。
「うーん、あのねえ、サトルっちが最近金髪美少女とよくいるところを見かけるねっていう話。話聞く限り、多分アンジェリカと出かけてる時の話も交じってるっぽいんだけど、それだけでもないかな。でもってさ、他にも聞く話だと、うちの所のボスとも深いお付き合いしてるんじゃないの? っていうのも聞くんだよねえ。実際どうかな?」
金髪美少女、と言うとサトルの知り合いで言うならアニスだろう。アニスについてはニゲラも聞いているので問題はない。しかしながら、ローゼルとサトルが深い付き合いをしている、と言うのは聞き捨てならない。
ニゲラもサトルに疑惑の目を向ける。
「父さんが女性と深いお付き合いを?」
しかしサトルはそんなことはあり得ないときっぱりと言い切る。
「するわけないだろ、そんな無責任な事、いつかはここを去るつもりがあるんだ」
サトルは手にしていた枕カバー埃を乱暴に払いながら答える。
アマンドと出会った日、ワームウッドがふさぎ込んでいたことを問われ、サトルは自分がいつか元の国に戻るつもりである、とはっきりと説明をした。
それを聞いてオリーブたちは残念がったが、それでも当然だろうと受け入れていくれていた。
元の国に帰るのだから、今此処で女性と深い付き合いになっても、必ず別れが来る。それは無責任だとサトルは考えていた。しかしアロエはそれよりもさらに踏み込んで考えていたようで、サトルに向かい軽々しく大丈夫だよと断言する。
「良いよー、別に、して子供作っちゃっても。ダンジョンの町って私生児面倒見るシステムちゃんとあるし。何だったらクレソンとかバレリアンとかワームウッドとかヒースとかも、そういうとこの出身だよ」
「馬鹿を言わないでくれ! 子供を作るってのはそれこそ何より責任のある事だろ。それに子供もそうだけど、相手をしてもらった女性を蔑ろにもしたくない!」
子供なんてありえない! たまらず叫ぶサトルに、アロエはけらけらと笑って返す。
「やだママったら男前」
アロエは本気ではなかったのだろうが、それでもサトルの心臓には悪い話だった。
女性関係や子供の話など、たった一人の女性相手にも煮え切らず、長年患っていたサトルにとっては、踏めば爆発する地雷に等しい。こんな僅かな言葉のやり取りですら、心臓が暴走し、痛みで胃に穴が開く思いだ。
「いい加減そのママっての止めてくれ」
胃の痛みと疲れから、げんなりと項垂れるサトルに、アロエは流石にからかいすぎたかなと「ごめんね」と謝る。
「でも……駄目かな? 孤児とか私生児の子が入る施設のさ、職員の人のことをママって言うんだけど」
どうやらアロエは、はっきりとは言わないが、家事をし目まぐるしく働くサトルの背に、自分のいた孤児院の職員を重ねて見ていたらしい。
そういう重い意味での「ママ」なら、なおさら遠慮こうむりたい。言いかけてサトルは飲み込む。「母さん」と、呼びたい人がいなくなる寂しさをサトルは知っている。
あの寄る辺の無い不安を、夜中に急に泣きだしたくなるような寂寥を。
そんな状況になった子供たちの肩を抱いて寝たこともあった。あの暗い夜を知っている。
人は病気になると心が弱くなる。誰かに縋って甘えたくなるものだ。
「……たまにだったら」
サトルの返事に、アロエは嬉しそうに笑った。
「うん、ありがとう、ママのそういう所大好き」
幼子のように舌足らずにそう言って、アロエは抱えた膝に頬を預けた。
その日の夕方、サトルはローゼルの執務室にアポを取らずに訪れた。
その理由をローゼルは察していたようで、苦笑でサトルに問いかける。
「ろくでもない噂が蔓延しているねサトル、用件はそれだろう?」
無駄な口を叩く余裕はないと、サトルは頷き情報を促す。
「出所がどこか分かりますか?」
「さてね。ただ言えるのは、噂をするのは君をひがむ男ばかりという事さ」
男ばかり、と言う事は、噂の内容はやはり女関係が汚い、ということが重点的なのだろう。
あの後アロエに聞いても、金関係の噂はわずかで、ほとんどがサトルが女を侍らせている、女を連れまわしている等の噂だった。
「くそったれ」
女関係が汚いなどと、よりによって自分が一番嫌悪する類の噂を立てられている。正直業腹極まりなかったが、それでもサトルは噂を無視しようと思っていた。
今日のことが無ければ。
「君がそんな言葉を使うとはね」
「使いますよ、俺は貴方たちが思っているほど上品でもなければ温厚でもない」
「怒っているのかい?」
珍しく声も言葉も荒々しいサトルに、自分がどんな手でちょっかいをかけても、サトルはここまで感情を荒立てなかったのにと、ローゼルは心底不思議そうに問う。
「子供に悪影響があったんで……ちょっと本気で、噂の元を潰しにかかろうかと思っています」
答えたサトルの声はいつもよりもずっと低く、腹の底から絞り出すような声だった。
「君が他人に憎悪を持つ人間だとは思わなかったな」
意外な一面だと、ローゼルは肩を竦めた。
翌日、起き出してきたルーの家の面々は、朝食の支度をするサトルを見て驚いた。
真っ先に叫んだのはルー。
「サトルさん! その髪どうされたんですか?」
その言葉の通り、サトルの髪はややベージュがかった白になっていた。普段から癖の強い髪だったが、膨張色なのも相まって、いつも以上にふわふわとした綿毛の様に見えた。
アンジェリカは真剣に首を傾げ、オリーブは悲鳴じみた声でサトルの名を呼び、サトルが逃げる間もなくその肩を掴んで揺さぶる。
「ストレスで白髪に?」
「サトル殿! まさか一晩でか! 大丈夫なのかサトル殿!」
「うわ、ちょ、まってまて」
サトルは慌ててオリーブを引きはがし、数歩距離を取る。
「これは地毛だ。元々俺の髪はこの色だよ……今まで染めていたんだ」
地毛と聞いて、またも驚くルーたちから、サトルはさらに距離を取る。
うっかり触られないように正面からじりじりとにじり寄ってくるオリーブを警戒していると、サトルの背後に立っていたクレソンが、サトルの脇に腕を差し入れ羽交い絞めにした。
「おっしゃとったど―!」
「あ! こらクレソン」
身動きが取れなくなったサトルに、好奇心の強いルーやアロエが飛び付き頭を触る。
二人はサトルの頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと髪を撫でる。
「サトルっちこれどうやって染めてたの?」
「それは企業秘密」
アロエの質問に不機嫌に答えにならない答えを返すサトル。
「じゃあどうして色を変えたんです?」
「ちょっとした実験。しばらくこれで活動する。もし何か状況が変わったら、また色が変わると思うから」
ルーの質問には不機嫌ながらも必要だからと答える。
「いったい何を実験しようというのかしら?」
というアンジェリカの質問には、サトルは目を細め、口の端を持ち上げて答える。
「噂をばらまいた奴を特定するための実験」
いつものサトルらしからぬ、悪意のこもった笑みに、ルーたちは揃っていぶかしげに眉根を寄せた。