2・傷
雨の合間に気持ちよく晴れた日、サトルはさらに調子を崩した。
晴れてもまだ不安があるとリビングに出てきていたサトルだったが、それまで読んでいた本を閉じ、ソファーに体を預けると、サトルはそのまま寝てしまった。
「昨日と一昨日は夜眠れていないそうです」
「それはサトル自身が言ったの?」
「ええ、朝食を作るときに」
ルートアンジェリカはサトルを覗き込みながら話すが、サトルはその声にピクリとも反応しない。
寝息は浅く、寝ていると言うよりも気絶しているのではないかと見えた。
寝息を立て始めてからしばらくしても、ルーが毛布を掛けてやっても、横でヒースがクレソンたちと騒がしくしても、サトルはまるで起きる気配はなかった。
「それで私を呼んだのね」
アニスの言葉にルーが頷く。
この場にいるのは、サトルとアニスの他に、ルー、ワームウッド、ヒース、アンジェリカ、クレソンの五人。その他の者は皆で払っている。
このメンバーならばそう問題にはならないだろうと、ワームウッドがアニスを呼んできたのだ。
アニスは何故自分がこの家に呼ばれたのかわからないでいたのだが、それがサトルの体調不良だと言うのなら、自分以外にどうにかできる人間はいないだろうと納得する。
「すみません、お忙しいでしょうに」
ルーの謝罪に、アニスはあっさりと首を振る。
「そんなに忙しくはないわ。それに忙しいからって、友人のピンチは放っておけないでしょ」
「ありがとうございます」
「いいの、そのお礼はサトル自身からしっかり聞いておくから」
アニスはあまりルーに対して友好的ではないようで、ルーの言葉をすっぱりと切り捨ててすぐにサトルの様子を窺い始めた。
その態度に一体どのような感情があるのか、ルーは少し不穏な気配を感じ取る。
アニスを呼ぶことを提案したのはワームウッドだった。
「彼女なら大丈夫だと思う……たぶん」
という煮え切らない言葉ではあったが、アニスと会話をしたことのあるヒースもワームウッドに賛成し、ルーとしても以前サトルがジスタ教会で世話になった際、助祭のチャイブと会話をした中で「アニスは悪い子では無い」と聞いていたので、本当に呼べるのなら悪い事ではないかもしれないと思っていた。
問題は、呼んだからと言って、すんなりとサトルの元迄来てくれるかどうか……だったのだが、アニスはサトルが体調を崩していること、夜眠れずに見るからにやつれている事を話したら、だったら自分の出番ねと、自ら志願してくれた。
サトルのためと言いながら、若干目を輝かせてガランガル屋敷を訪れたアニス。
初めて入るその場所に興味を持っているようではあったが、リビングのソファで眠るサトルを見ると、アニスはすぐにそちらへと意識を向けた。
「……あの、アニスさんはサトルさんのことをどう思っていらっしゃるんでしょう?」
ルーの質問の意味を図る様に、アニスは少し首を傾げ、口の端に笑みを浮かべる。
「そうね、こういうお父さん欲しかったなって相手よ」
「え!」
アニスの答えにルーは声を裏返して驚く。ワームウッドやクレソンはそっちなのかと、驚くとともに微妙な苦笑い。ヒースだけは、ああと頷いている。
「年齢的に、流石に父親ではサトルが嫌がるのではなくて?」
その中でアンジェリカは冷静に、サトルがおじさん扱いされるのは嫌がると指摘する。
アニスもその意見に賛成だと笑う。
「お父さんは冗談よ。本当は兄ね。私の兄たちはサトルほど性格がいい人ではなかったし」
サトルの横に膝を付き、アニスは脈や呼吸の速さを確かめる。体温が少々低いかと、爪の色を見て、また脈を診る。
その手慣れた様子から、若くして協会随一の治療士と言われているのも伊達ではないのだと分かる。
「そうなんですね」
それならいいかとルー。なぜそれで納得するのかとアンジェリカ。
「納得するのね」
その後ろでアンジェリカのお兄ちゃん(仮)も複雑そうな表情だ。
アニスは軽く診ての感想を口にする。
「問診してみないと分からないけど、貴方たちから聞く話からして、寝不足から来る血の流れの不良……かな……けど、食事もあんまりとれていないんじゃないかしら?」
ルーたちもその言葉に賛成だ。
サトルは食に関して興味を強く持つ人間だが、食べずに過ごすときは一食、二食抜いても特に気にすることも無い人間でもあった。特に体調のすぐれないときなどは食べることを余り優先しないのか、ここ数日は極端に食事の量が少なかった。
「はい、そうだと思います。昨晩もスープを少しだけ食べて、寝ていなかったようなので。今朝も、干しブドウを少し口にしただけでした」
まったく口にしていないわけではないけどとルーが言えば、アニスはやっぱりと大きく肩を落とす。
「だったらこれは治癒の魔法ではだめかもしれない。傷だったら治せるわ。体のあるべき姿へ誘導するのが治癒の魔法の根源だもの。でね、寝不足程度だったら、転寝の間に身体の回復力を促進してあげられるけど、その回復するのに必要な栄養が無いのよ……困ったわ。サトルはそもそも痩せすぎなの、もうちょっとたくさん食べた方がいいわ」
アニスは人が回復するには自力での栄養補給が一番だと言うが、サトルの場合はその栄養が足りていないと渋い顔。
足りないのなら食べさせた方がいいのだが、その食事を受け付けないとなると、どうするべきかとアニスは唸るように問う。
「サトルの好物って何か分かるかしら?」
ヒースが首を振る。
「さあ? 結構何でも食べるから」
ルートアンジェリカがそれに頷き追従する。
「何でも食べますね」
「ええ、特別何が好きか分からないくらいには何でも食べるわ」
それこそ、ちょっとやそっと失敗した料理でも、あまり美味いも不味いも言わずに、純粋な味の感想のみを口にして食べてしまう。
人に勧められればなおさら。
しかしそれで量を食べられるわけではないようだった。
「そうねえ……だったら、クッキーでも焼かない? サトルのクッキーは凄く美味しいって聞いているのよ」