12・影の向いに光
タイムは夜の仕事のために仕込みがあるからと、サトルとヒースとは銀の馬蹄亭の前で分かれた。
ヒース一人では不安があるというのは、タイムだけの考えではなかったらしく、帰るころにワームウッドが二人を迎えに来ていた。ヒースは子供じゃないんだけどなと唇を尖らせたが、サトルとしては、また以前のような暴漢に絡まれないともわからないからと、有難く思った。
帰りはダンジョン前広場を通るのだが、そこでサトルは見知った相手に声をかけられた。
「サトル!」
嬉しそうにサトルの名を呼び、その背中に思いきり飛び付くアニス。ふらつきながらもサトルはなんとかアニスのタックルに耐える。
「アニス、また一人で……」
「ふふーん、今回はちゃんと許可を得て出てきたのよ。それにそんなにいつも迷ってるわけじゃないのよ、時々はちゃんと道も分かるの」
ジスタ教会内からほとんど出たことが無いと言うアニスに、一人で出歩くと迷子になるぞとサトルは懸念を示すが、アニスは大丈夫と根拠もなく胸を張る。むしろ時々以外は道に迷っていると白状しているようなものだが、本人は気にしていないらしい。
そんな自信満々なアニスだったが、サトル野かを見上げているうちに、その美少女然とした顔に怪訝な表情が浮かんできた。
「ところでどうしたの? ここ、凄い皺」
自分の眉間を指さして、アニスはサトルがしかめ面をしていると指摘する。
「老けて見えるわ」
「あ、確かに」
アニスの言葉に思わずと言ったようにヒースが呟く。
「そう言わないでくれ」
十も歳の離れた少女と少年の遠慮のない言葉に、サトルはガクリと肩を落とす。
「わかったわ。で、何があったの?」
アニスはサトルの背中に張り付いたまま、サトルのしかめ面の理由を聞き出そうとし、このまま誤魔化そうとしても離れてはくれないんだろうなとサトルは諦める。
仕方がないのでざっくりとした概要、サトルに何らかの思惑があって近付こうとする人物がいる事、その人物は色仕掛けをサトルに仕掛けようとしたこと、それには魔法を使っての魅了も含まれていたこと、そしてそんな接触がたびたびおこなわれるので、流石にサトルもげんなりしていることを話した。
「そういう事なのね。サトルも大変そうだわ」
サトルも、という事はアニスにも何かしら大変なことがあったのだろう。幼さの残る顔に、妙に達観したようなあきらめの表情を浮かべため息。
「ああ、大変だよ。迷惑だと思ってる……他人に良いようにされるのは嫌いだ」
サトルもそれにつられるようにため息を吐いて後ろ頭を掻く。
会話が途切れたところでちょうどいいタイミングだと思ったのか、アニスは話をサトルと一緒にいるワームウッドたちへと振る。
「ところで、私こっちの人を紹介してもらっていないわ」
そう言うアニスの視線は、何故か同年代のヒースではなく、すこし不機嫌そうなワームウッドへと向いている。
サトルは簡単に二人を説明し紹介した。
「ワームウッドとヒース。俺が世話になってる屋敷の下宿人で、今日は俺の身の安全を守ってくれている」
「初めまして、アニスよ。サトルの友人」
アニスは二人に向かい手を差し出す。ヒースはその手を何のためらいもなく握り返し、ワームウッドは少しだけ視線を向けるも、すぐにそっぽを向いて言葉だけ挨拶を返した。
「はじめまして」
そっぽを向くワームウッドの顔を、アニスは下から窺うように見上げる。
「初めましてじゃないかもしれないわ」
「まあ初めましてじゃないよね」
アニスの言葉を肯定するワームウッド。直接の知り合いではないようだが、見た事は有ると言ったところだろうか。だからずっとワームウッドを見ていたらしい。
そっけないワームウッドの態度に、アニスの眉間に皺が寄る。
「……嫌われてるのかしら?」
答えに困るサトル。その横で俺は嫌っていないよとフォローをするヒース。
アニスはそんなヒースに苦笑を返し大丈夫と首をふる。
「ありがとう、気を使わせたわ。でもいいの、私嫌われる心当たりあるし。あと貴方のことは結構好きだと思うわ」
自分のことを気にかけてくれる相手に、初対面でも好きと面と向かって言うのは、アニスの嘘を吐けない性格のせいだろう。
思いもかけない直截的な好意の表現に、ヒースの頬が赤く染まり、耳がぴんと天を指す。
あっさりとアニスにほだされているヒースを見て、ワームウッドはますます不機嫌な表情。ルーやアンジェリカほど忌避感を抱いているわけではないが、ワームウッドもかなりジスタ教の人間に対して思うところがあるらしい。アニスの格好は、修道女然としたウィンプルこそ被っていない物の、見てすぐにわかる飾り気のない修道服だ。
ワームウッドは八つ当たり気味にサトルに嫌味を言う。
「君さ、交友関係にまでは口に出したくないけど、歳の差エグイよ?」
ワームウッドの嫌味に、サトルより先にアニスが反応する。
「対等な友人よ。けれどサトルは私のことを甘やかし気味だと思うのよね。妹だとでも思われてるみたい。私もそれ利用してるけど」
言ってそのままサトルの腰をぎゅうっと抱きしめる。サトルもそんなアニスに、確かにそれはあると納得した様子。
ワームウッドは悪びれなくサトルを利用していると宣言するアニスに呆れて見せる。
「自分でそれを堂々と口にするって、神経図太いね君」
「そういうあなたは嫌味が過ぎるわ」
ぷいっとそっぽを向いて見せるアニスの頭を、サトルはなだめるように撫でる。
「師匠言い過ぎ」
サトルはアニスの方を気遣い、ヒースにも非難され、ワームウッドはますます渋面濃くして完全に三人に背を向けた。
大人げないわとアニスは呟き、でも聞いてもらいたいことがあるのとワームウッドの背に手を伸ばす。
シャツを掴まれ、ワームウッドはイヤイヤ振り返った。アニスの手を振りほどかない辺り、不機嫌ではあっても嫌悪まではしていないのだろう。
「ねえ、機嫌を直してくれないかしら。私貴方たちに聞いてほしい話があるのよ」
今だサトルの背に張り付いたまま、アニスは声を落としてサトルたちに囁く。
それに気が付きワームウッドやヒースも息を押さえてアニスの言葉に耳を傾けた。
「どんな?」
「最近ダンジョンで異変が起きてるんだそうよ」
ヒースが単刀直入に問う。
「それって崩落?」
「では無くて、増水してるんですって」
増水という言葉の意味を正確にとらえられず、三人はそろって怪訝に顔をゆがめる。
まあそうでしょうねと、アニスは少し説明を詳しくする。
「ダンジョンの中って水が結構あるでしょ? 海とか川とか池とか。そういうホールで水が増えて、何カ所か膝丈越えて陸地が無くなっていて、水没と言っていい状況なんですって」
「……水没」
「それ初耳だ」
ワームウッドもヒースも聞いたことが無いと言う。もちろんサトルもその話を誰かに聞いたことは無い。
ダンジョンの異変ならば、ローゼルからルーにすぐ伝わるように計らわれているはずだが、それが聞こえてこないと言う事は、情報自体が眉唾か、もしくは特定の勢力によって秘匿されているか。
「でしょう? ジスタ教会所属の冒険者が情報を集めてるけど、ダンジョンの勇者様に教えるかどうか、内部で牽制しあってるみたいなの」
やはり秘匿されている情報だったらしい。
ジスタ教会内で牽制しあっていると言うのは、多分ダンジョンの勇者否定派と肯定派がいるからだろう。
ガランガルダンジョン下町外から派遣されてきている教会関係者と、ガランガルダンジョン下町内のジスタ教信者では、その辺りの考え方に差異がある。それが内部抗争に発展しかかっているようだ。
「そういうの勝手に人に話しちゃって大丈夫なの?」
ワームウッドはそのきな臭さを感じ取ったのか、やはり声を落としてアニスに直接問う。
「寧ろ話してきたらどうだ、って勢いで私に教えてくれたわ。あ、チャイブ様じゃないわよ、別の方。私多分内部の勢力争いに利用されてるのね。伝書鳩じゃないっていうのに……サトルのためじゃなかったら伝えになんて来ないわ」
伝書鳩ではないとアニスは言うが、それでもこの情報はダンジョンの勇者であるサトルに伝えた方がいい、そう友人として感じたとアニスは主張する。
「君も意外に大変なんだ?」
それはサトルに対してアニスが言った言葉を返したもので、アニスもそのことに気が付き、愉快そうに喉を鳴らして笑う。
「だから貴方嫌味が過ぎるってば。世の中大変な思いをしたことが無い人の方が、捜すの大変よ」
あっけらかんと言ってのけるアニスの声にも表情にも、何一つ悪意や敵意は感じられず、ワームウッドは独気が抜かれる思いで頷くしかなかった。
「……少し考えを改めるべきかも」
そうつぶやくワームウッドに、サトルもその気持ちよくわかると心の打ちでひっそり頷いた。