7・庇護の傘下
ろくでもない奴らに目を付けられてしまったから、今日はさっさと用事を済ませて帰ろうとワームウッドは言う。サトルとしても妙に疲労感が有ったので、その意見には賛成だった。
「そもそも目的の物を売っている店には一応心当たりがすでにあるんだよね。僕はそれを直接買ったことは無いけど……似たようなものは売ってあったと思う」
そうワームウッドが言うので、多少の不安はあるものの、全て任せることにして、サトルはその後ろを付いて行く。
ワームウッドが向ったのは広場に面した間口の広い店の裏手にある別の店。建物自体は繋がっているようだったが、店の入り口が個別になっているので多分違う店なのだろう。
「こういう一番いい立地の裏手にある店ってのがね、結構このバザールでの権力持ってる人の店だったりするんだよ」
からかう様子の混じった声でワームウッドが言う。それを聞きサトルは店に入るのをためらう。自分の立場上この町のどの勢力のどれほど近付いていいのかがまだわからない。
一応冒険者全般に距離を詰めているものの、このバザールの運営をしている者達は、サトルがずっと気にしていた三大勢力は別の勢力だという。
「そういうことはもっと早くに言ってくれ。いや、いいのか、俺は自分の出自等ここでは話さない、それでいいんだよな」
いつものベストも無く、外套で姿を隠すのはそのための格好だ。
しかしワームウッドは本当にそれでいいのかと、やはりからかう気満々でサトルに言う。
「訊ねられたら答えた方がいいんじゃない? 誰だって嘘を吐く人間は嫌いでしょ?」
「ああそれはあるかもしれないけど……権力の対立とかに巻き込まれたくない。面倒ごとは御免だ」
嫌われることと勢力争いの道具にされる可能性を天秤にかけるなら、多少嫌われてもとサトルは渋く答えるが、ワームウッドはそんなサトルにだったら問題は無いよと軽く答える。
「大丈夫でしょ、アーケードは抗争を嫌うからないね」
「アーケード?」
言語は自動翻訳なので、本当にその単語で正しいのかはわからないが、それはサトルも知っている言葉だった。ただしワームウッドはそれをこの天井の付いたバザールという場所を指している様子ではない。
首を傾げるサトルに、しかしワームウッドは天井を指さして答える。
「ここ、アーケード。アーケードを作って、アーケードの下で商売をして、アーケードに依存して生きているから、ここの市場で働く人たちのことを、その傘下にいる人たちってことでアーケードって呼ぶんだよ。悪い意味の言葉ではないから」
「ああ、なるほど、アーケードか」
納得のいく説明と、若干なぜそこを念押ししたのかがわからない注釈。悪い意味の言葉ではないが、獣の性質をもつ人間たちのように、差別的に使われることもある言葉なのかもしれない。
とりあえずはワームウッドが大丈夫だと言うのだから、もし何かサトルが面倒ごとに巻き込まれるようなことが起きたら、事アーケード関連はワームウッドに責任を問てってもらおうと、サトルはひそかに心に決める。
決めて店内に入れば、そこは単純に言えば乾物屋のような様相をしていた。
主に木造りの棚にびっしりと並ぶ瓶詰めの豆や乾燥した魚やたぶん肉や、よくわからない植物。天井からは時々欧州で見かける魔除けの吊るされた唐辛子のような物や、ハーブで作ったらしきリース。
スパイスかハーブか分からないような強い匂いも充満しており、いかにも異国の商店と言った有様。
サトルの知っている元の世界と決定的に違うところがあるとすれば、天井から下がった籠の中に、以前も見かけた猫の姿をした光精が数匹いる事か。
しかしそのハーブの匂いの中には、この世界に来てからずっと世話になっているデイルなどの匂いも確実に含まれているようで、サトルには若干腹に訴える匂いに感じた。
「何か食い物が多い」
サトルの端的な感想に、ワームウッドはクツクツと喉を鳴らして笑う。
「この辺りはね。だから西の通りの方に行くと、もっとコアな物が売ってある。呼び込みたい客層に合わせてある感じだよ。この辺りは普通に一般的な人が買い物に来る」
少し裏手にある店でも、比較的一般人が利用する程度の店だとワームウッドは言う。では一般人が利用しない店というのはどういう物だろうか。
このバザールやアーケードには簡単に踏み入れない方がいいディープな部分がありそうだ。
サトルがしばし無言で考えていると、ワームウッドは店の片隅の棚に置かれた瓶を手にしてサトルを呼んだ。
「あったよ。これ、ゼラチン」
からからに乾き皺の寄った、掌よりやや長い程度の謎の質感の棒。ジャーキーに似ているが、それよりもずっと色が薄い。
サトルはこれに似たものを見たことがあり、その名前を口にした。
「膠の棒だ」
「うん、これ膠の棒だね」
あっさり肯定するワームウッド。
動物の骨や皮を煮込んで取り出して作る膠。紀元前から接着剤として利用されてきたものだ。そしてまさしく、それこそがゼラチンだった。
しかしその膠の棒は食品として管理されてるにしては、隅の方に置きっぱなしという雑な扱い。若干日寝た匂いもするようで、これは大丈夫なのだろうかと、サトルはワームウッドに問う。
「……食べていいやつ?」
問われてワームウッドも、そう言えばと手の中の膠を見る。
「じゃないね、これ、多分……」
ワームウッドの言葉に被せるように、サトルたちの腰元辺りから声が聞こえた。
「接着剤よ。食べていいやつはこっちね」
驚き下を見れば、背の低い老婆が一人。額の脇からぐるりと巻いた羊の角が生えている。
髪は薄いベージュに見える白髪で、くしゃりと皺の寄った顔だが、その動きや表情はかくしゃくとしており、年齢が判然としない。
布を幾重にも巻き付けるような、あまり見ない服装をしていることから、この異国情緒あふれる店の主人なのだろうと思えた。
「うわ、あ、すみません勝手に商品を見ていて。こんにちは」
老婆に気づきとっさに挨拶をするサトルに、老婆は驚いたように目を開き、そしてすぐにくすくすと笑った。
角の生えた人間、ヌーストラたちは、確かシャムジャやラパンナ以上に警戒されたり迫害の対象にされると聞いていたので、サトルにとってこの老婆の反応も納得がいくものだった。
「あら、こんにちは。いいのよ、ゆっくりと見ていって頂戴な。はい、値札は読めるかしら?」
サトルの態度が相手を尊重するものであることに快くしたのか、老婆はサトルに向け笑顔で対応する。
接着剤だと言った膠とは別の棚に、キャンディサイズほどの膠の塊が詰められている瓶がいくつかあった。
棚には木の札がかけてあり、どうやら味が付いている物と付いていない物があるあるらしいと分かった。そのキャンディ状の膠はシャムジャの子供の歯固め用だと老婆は言う。
「加工して使うのならこちらかしらね」
粉末状の薬品などをまとめるために使うのなら、また別の物があると、老婆はいくつかの膠を見せてくれうる。
室内で作る物、室外で乾燥させて作る物、冬の間しか作られない純度が高い物など、いくつも種類があるらしい。
老婆の説明を聞きながら、サトルは欲していたゼラチンと性質が一致する物を選び買うことにした。
初めて使う食材という事もあり、実験も必要だろうからとサトルはかなりの量を買うことにしたのだが、老婆はにこにことした笑顔で、表示されている金額よりも安い金額をサトルに告げた。
「全部で銀貨一枚でいいわよ」
「ありがとう。けれどここに書かれている値段で買わせてほしい」
そう言ってサトルは表示価格通りの銀貨と金貨を老婆の手に直接握らせる。
老婆は当たり前のように自分の手に触れてくるサトルに、また頬を緩めた。
「あら、値切ってもいいのに、お兄さんあんまりここでの買い物しないでしょ?」
「いや、面白い話も聞けたから。十分これでも安いと思う。それにここはこれからも利用したいから、今安く買うよりいいと思うんだが」
本心からそういうサトルに、老婆もそれならば今後ともご贔屓にと、手渡された硬貨をしっかりと握りこむ。
「お兄さん面白い人ねえ」
そうしみじみと呟く老婆に、サトルはそうだろうかと首をかしげる。
「普通だと思うんだが……誠実に対応してくれるなら、誠実に返したいだけだ。そうじゃなきゃ紳士とは言えないしな」