5・牛の歩みと馬の脚
サトルたちはゆっくり見て回ることもできないまま、目的の広場ののてまえすぐ手前にまで来ていた。
いきなり視界が開ける、と言うのではなく、広場付近の店の間口が他の場所よりもやや広く、天井の装飾に空の景色以外の奇妙な生物のような四足の生物が描かれるようになってきて気が付く。
「あー……白い牛か」
その不定形に体をゆがめる四足の生物に、サトルは覚えがあり思わずつぶやく。
それはルーの家で見つけたあの、モーさんだった。
確かに色は白くは有るが、つるりとした凹凸の無い体をしており、牛という割に牛らしいところなど体のサイズとモー、と鳴くくらい。
今は体があまりにも大きくなりすぎたので、ダンジョンや買い出しについて来てもらう以外は、身体を分身させ、それぞれがハムスタ―サイズか、大型犬ほどのサイズになってもらっている。
その牛たちが床と言わず壁と言わず、天井と言わず、至る所に存在しており、そしてそれぞれが共通して一方に頭を向けている。
その頭の向く先が広場だという事は聞かずとも分かった。
ニコちゃんもサトルの外套の襟口から顔をのぞかせ、壁のタイル画に興味を示しているようだ。
ニコちゃんが興味を示すという事は、ただのタイル画ではないのかもしれない。
興味を引かれサトルの足がそちらに向くと、ついてくる足音が遅れたのに気が付いてか、バーベナが振り返る。
「どうかなさいましたか?」
「ああいや、ちょっと……俺の国ではあまり見ない生き物の絵だったから」
問う声にサトルは白い牛の絵を指して答える。
とたんきらりとバーベナの目が輝いたような気がした。気のせいでなければ瞳の色が明るく金色に見えるほど。色素の薄い人間は興奮すると、血流の関係から本当に目の色が明るく変わるのだが、つまりはバーベナはサトルの言葉に興奮をしたという事か。
「ああ、サトルさんは他所の国からいらしたんですよね? これはこの町の守りをしてくれている、白い牛と呼ばれる存在です。心良き人に従い、この町が危機に陥った時などに現れるとも言われていて、色々な逸話があるんですよ。もし興味がおありでしたら話して聞かせても? サトルさんはこの町に来て間もないのでしょう? 何でしたらこの市場の成り立ちについて語っても」
ぐっと前のめりになって先ほどよりも幾分か早口でバーベナはまくしたて、そして途端、言葉を途切れさせた。
「あ……いや、時間が」
あっけにとられつつサトルが返せば、バーベナは両手で顔を覆い、うつむくと、絞り出すような声で「そうですねえ」と答えた。
顔を隠しても耳の内側が充血したように赤くなっているので、バーベナが自分ではコントロールできないほどに赤面していることが分かった。
突然のバーベナの奇態にベラドンナも呆れている様子だったが、サトルは逆にバーベナに対する好感度が上がっていた。
自分の興味関心のある分野に対して、熱く語ってしまう所がルーに似ていると思った。
「意外だった……貴方は、この町の歴史や、逸話などに詳しいのか?」
問うサトルに、まだ赤さの残る顔を上げバーベナは頷く。
「はい、私はダンジョンの有効活用について研究をしている、学者なので……このダンジョンの町についても詳しいと自負しております」
その答えにサトルはやはりそうかと納得する。
そして、サトルに対してベラドンナがつい興奮してしまったことも、ここ数か月ルーと一緒に暮らしていて分かった。
どんなに深く研究をしても、ダンジョンや町の歴史についてのことを、日常的に語れる相手といのは滅多にいるものではなく、ルーはサトルやニゲラとそう言った会話をしているだけで、研究への意欲が上がるので嬉しいと言っていた。
「話を聞かせる相手がいないと、どんどん意欲も目減りするし、大変だったんですよね。別に凄ーく誰かに褒めて欲しいとまでは思わないんです。でも自分の話を誰も聞いてくれない時期が続くと、なんだかこう、世間から要らない子扱いされてる気分になるというか……人様にとって私って必要なのかな? って……」
ルーがそんなことを言っていたと、サトルはニゲラに聞いていた。ニゲラはそれに強く共感し、ルーのことが必要だと言いながら、二人で泣きながら抱き合っていたのを見つけたこともある。
それがタチバナの記憶を持っているからか、それともニゲラ自身が孤独を知っているかなのかはサトルにはわからなかったが、それでも、ルーは共感してもらって泣きじゃくるほどに、自分の研究に孤独を感じていた。
もしバーベナもそうだったとしたら。
「そうか、時間が有ったら是非その話を聞きたかったが、今日は連れがいるからな……次、機会が有ったらその時は聞かせてくれないか?」
社交辞令ではなく本気でそう思い、口に出してバーベナへとしっかり視線を向けるサトル。
バーベナは思いがけ無いサトルの言葉に硬直し、そしてまた頬を紅潮させた。
「いいのですか!」
身を乗り出してくるバーベナに、サトルは頷きつつも数歩後ろへ下がる。
「ああ、俺も君の話は興味があるんだ。ただ、話しに興味はあっても、その……距離を急に縮められるのは好きではないから、その辺りを配慮してもらえれば」
距離をと言われてバーベナの顔から興奮が失せ、ハッとしたように自分の立つ場所に目を落とす。
「すみません、そうですよね、先程から私たち随分となれなれしかった。サトルさんはずっと困ってらしたのに……」
しおらしく数歩距離を取ってくれるバーベナに、サトルはほっと息を吐く。どうやら初対面の頃のルーのように、ダンジョン研究科としてダンジョンの勇者に興味を持ち、距離の詰め方を間違えていただけだったのだろう。
そう安堵したのもつかの間、サトルはその横に立つベラドンナの口元に、ニヤニヤとした笑みが浮かんでいるのを見て違和感を覚えた。
そう言えば、ルーは最初サトルを利用しようと近付いた時も、結局耳や目があまりにも正直すぎて、サトルに内心を読まれているような状況だった。
しかし目の前のバーベナは、白い牛の話で思わず興奮した以外、耳も目も何の変化も見せはしない。
完全なポーカーフェイスを貫いている。
まさかちらりと見せた隙さえも、人を油断させるためだったりするのではと、疑ってみてしまう。
このままバーベナと話をしていては彼女の思うつぼなのではないかと、サトルは今更危機感を覚えた。
「……急ごう、もうそろそろ鐘が鳴るかもしれない。ワームウッドは気はいい奴だが嫌味が多いんだ」
誤魔化すようにそう言って、サトルは二人を追い抜き先へと足を進める。
待ってくれという言葉をあえて無視をし、少しばかり速足で先へと進む。背後に足音が付いてくるのは確認していた。
もう目的の広場は目前だ。
少し歩けばすぐに視界が開け、広い空間に出た。
サトルが背後の二人を振り返ると、二人はいつの間にか姿を消していた。
どこか横道にそれたか、近くの店にでも入ったか、耳の先すら見つからない。
多少失礼をしたとはいえ、まさか挨拶も無しに立ち去るとは思わず、サトルは呆然としてしまう。
「サトル!」
思わず立ち尽くしていたサトルに、きびしい声で名を呼ぶ者があった。
声の方を見ればワームウッドが目を吊り上げサトルの方へと駆けてきていた。