1・争いと物の価値の決まる場所
この日サトルは、ワームウッドに案内されて、ガランガルダンジョン内や周辺で採れる薬の原料や、それに伴い発達した調理用、医療用の道具などを主に取り扱う市場に来ていた。
ワームウッドに言われて、何故か顔を隠すような深いフード付きの外套を身に付けさせられ、いつものサトル愛用のベストも今日は無い。
そこは建物というよりも、日本の商店街のような屋根のある通路と建物の集合体の様相をしていた。
建物を作っているのは煉瓦状にしたダンジョン石と、黄色がかった白っぽい石。飾りのタイルが所々にあしらわれており、天井には一面星空の様なタイル画。等間隔に並んだ柱には、何本かに一本ずつ天井を支えるような竜のレリーフ。
いかにもファンタジーの市場、といった場所だった。
この場所の全体は、細かな路地を除けば記号のアスタリスクか、棘の長いウニを絵に描いたような形だそうで、中央には高い天井の大きなドーム状の天井と、床に一面のタイル画が広がる広場があるという。
今日はその中央の広場から見て北を頂点にし二時の方向から入り、中央広場まで行き、十一時の方向へ行くよていだった。
かなり広いので目的の物を探すには、できればピンポイントで行きたいというのがワームウッドの言い分。六時方向には服飾品や装飾品が多く、十二時の方向に医薬品の材料や道具が多いかららしいが、その棲み分けは多少曖昧なので、今回の捜索で目的の物が見つからない場合、日を改めてまた来ようとなっていた。
サトルはワームウッドの背後に続いて歩きながら周囲を興味津々に眺める。
「へえ、なんか……バザールみたいだ」
ガランガルダンジョン下町は、サトルの知る所のフランスの片田舎とドイツの文化を足して割ったように見える部分が多かったが、この市場は中東などの商業地区、バザールによく似ていると感じた。
漂ってくる雑多な馴染みのない匂いや、採光のために開けられた天井の穴から斜めに降り注ぐ日の光、にぎやかに行きかう人の声なども、以前観光で見たバザールを彷彿とさせ、サトルは懐かしい気持ちになる。
この世界に来る直前まで、サトルは旅行をしたいなと考えていた。
数か月にわたり立て込んでいた仕事が片付き、ずっと世話をしていたバイトたちが独り立ちし、後輩にも仕事を任せられるようになり、そして何より十数年越しの気持ちにも決着が付き、遠い場所で気分を一転させたいと思っていた。
今思うとそれは逃避や気持ちのリセットのつもりだったのかもしれないとも思うし、単純に節目節目に旅行をするのが自分の中で義務化し、一種のルーチンワークになっていたのかもしれない。
その旅行が思いがけず別の世界へ行くということになってしまったのは、仕事の関係もあり何とも言えない気持ちになるのだが、それも自分の運命なのだろうと、最近はすっかり受け入れモードだった。
元の世界のことを考え、心ここにあらずになっていたサトルに、ワームウッドが呆れたような声で当たり前でしょと返す。
「市だからね」
少しの間。
サトルは自分が口にした言葉とワームウッドが返した言葉をすり合わせる。
どうやら自動翻訳の関係で、訳の分からないことになっていたようだ。
「ああ悪い、俺の国では特定の国の、観光地にもなってる市場のことを特定してバザールと呼ぶんだ」
市場や市という意味に直訳されていたのだろう。サトルの説明で、ワームウッドは納得してくれたらしい。
「そう。サトルの言うバザールもこんな感じなわけ? この国じゃあ珍しい様式だと思うけど」
珍しい様式と言われ、サトルは天井を見上げる。
船の底のような尖った形の高い天井は、どこまでも続いているように見えるほど。今は亡き築地市場にも似ているなと、所々の採光孔から降ってくる光を見て思う。
「ああこんな感じで、通路状の建物だ。この通路は一体いつ造られたんだ?」
勧める足を止めることなくワームウッドは答える。
「この町が前の町にあった時から、東方からの商人は来ていたんだけど、その時に流入した人たちが、ガランガルダンジョン下に町を移転したときに、区画を丸っと自分たちの物だと言い出したそうだよ」
そして少しばかり歪んだ嘲笑を顔に乗せるワームウッド。
その表情の意味は分からなかったが、どうやらあまりそのことを良く思っていないのだろうという事は、サトルにも察せられた。
「で、今はダンジョンでの採集物を他所に売買するためには、大半が此処を通さなきゃいけなくなってるんだよね……」
つまり商売の利権を持っているという事だ。
サトルが元の世界で習ってきた現代史を思うと、この短い間に聞いた情報のどれもが、いつか抗争に発展する火種のように感じ、ぞわりと背筋を震わせる。
「何処にでもある話だな。俺の国にもいつの間にかできてた外国人街とかあるし、近隣の大きな国にも軒並みそういった他文化の人間の密集した地域ってのがある……場合によっては地方自治に食い込む権力持ってたりな。利権があるんだから金もあるだろうし」
口にしても面白くない話だが、と、サトルは肩をすくめる。
サトルの言葉に、ワームウッドはわざとらしくあははと笑う。
「そうだね、政治の勢力としては強くはないけど、金を持ってるし、発言権もそこそこあるから、第四勢力とも言われてるねえ」
三つの勢力が拮抗してバランスを取っているというガランガルダンジョン下で、どこの勢力と結びついてもおかしくない第四勢力が存在していた、というのは、実は結構な問題ではないだろうかと、サトルは頬を引きつらせる。
「それは……」
このバザールは明らかにガランガルダンジョン下町の他の建物と様式が違う、文化の違う人間の手によって作られた物だ。
この町が今の場所に移った時からある場所だというのなら、もう数百年単位でこの町に土着している者達なのだろうが、民族間抗争というのが起きる場合、その民族の宗教観や、民族間の譲れない矜持が、合理性をあっさりと上回ってしまう。
このバザールの運営者たちは、果たしてどうだろうか。
自分たちの争いよりも、ここが存在している方が益があるのなら、この場所の維持のために穏やかであるかもしれない。逆に、もっと自分たちを有利にするために、謀略的に動かないとも限らない。
「面倒臭そうと思った?」
暴力的な抗争だったら遺恨は残るが表面的に決着は早い。逆に政治や経済に食い込む構想であるなら、数十年たっても熾火のように残り、折々の衝撃で発火する。
外国人街という存在の厄介さを、サトルは色んな国で見てきたものだった。
そして、竜をシンボルとして使うこのバザールに置いて、自分はどういう立ち位置になるのだろうかと、サトルは考えた。
もしジスタ教の権威主義者たちのように、ダンジョンの勇者をまがい物として考えるような手合いだったら、考えるだけでもぞっとしない。
完全に治ったはずの暴行の傷が何故か痛んだような気がして、サトルは顔をしかめた。
「ああ、思った」
だよねーとワームウッドは笑う。それは先ほどまでと打って変わり、いっそ無邪気に見える笑みだった。