11・安穏と自己否定
一通りの酒を飲み、料理を食べ終えたあと、セイボリー達は銀の馬蹄亭を出た。
「面白かった」
そういうアロエの手には、クレソンやバレリアンへの土産のダイヤモンドカラント入りのクランブルワインが入った瓶。
「こういう実験ならいくらでも付き合いたい物だな」
満足そうに頷くオリーブの手には籠に入ったベルリーナ。
「有意義な時間でした」
ぺこりと頭を下げるルーの手には、翌日の朝食にと、燻製されたサラミと硬いパン。
「うっす、んじゃ今後ともご贔屓に」
それらの料金は全てローゼルへのツケとなっている。タイムはまたよろしくと、店先までで皆を見送った。
家路を皆で歩いて帰る中、一人サトルは完全につぶれてセイボリーの肩に荷物のように担がれていた。
ルーがくすくすと笑ってサトルの頭に手を伸ばす。普段だったら嫌がって逃げるのだが、酔いつぶれて寝入っているサトルはその手か逃げようとはしない。
「サトルさん酔いつぶれちゃいました」
「さんざん試飲していた物ね」
アンジェリカも同じく微笑ましい物でも見るように目を細め手を伸ばす。
「でも安心してるって顔してる」
私も私元もと、アロエとモリーユもサトルに触れてみるが、やはりサトルは逃げない。
「前は酔いつぶれても眉間に皺だったわね」
カレンデュラはさらに踏み込んで、サトルの眉間を指先でつついてみるが、少しむずがるような声を上げるだけで、目を覚ます様子はない。
サトルはただ穏やかに寝息を立てていた。
サトルはアルコールを摂取し酩酊状態になると、契約している精霊と夢の中で話すことが出来る。一体どういう原理かはわからない。
ただサトルと精霊の契約の仲介をしているローゼルが言うところによると、アルコールとは世界のエネルギーを抽出した物質なので、そのアルコールが実体を持たないエネルギー体である精霊と、人との精神を結びつける役割をしているのだとか。
なのでサトルは、アルコールがたぶんマヨネーズで言う所の卵の役割をしているんだろうな、と、適当な解釈をしている。
そんなマヨネーズ色の、少し黄味がかった乳白色の夢の中で、サトルは真っ白だけど耳や尾の先だけが赤い仔ライオンに押し倒されていた。
「サトル! サトル! 俺はプラムのが好きだったよ!」
仔ライオンこと、炎の精霊レオナルドは、嬉しそうに尾を振りながらサトルの顔面をべろべろと舐めまわす。しっとりと重い肉球の付いた前足で、サトルの顔面を押さえこんで、それはもうべろんべろんと。
よほど気に入ったのだろう。レオナルドは純粋にカロリーの高い物を好む傾向があるなと、サトルは妙に達観した気持ちになる。
本当は顔面べちょべちょにされてる文句の一つも言いたいのだが、今口を開いたら、多分口の仲間で舐められる。野生動物とはそういう物だとサトルは知っている。
そんな無表情で強張るサトルの上に屈みこみ、呆れるほどに大きな蛇、ウワバミノトラノオが、んふふふふとじっとりとした声で笑う。
「私は松の実の酒ね、あれ、種子だけ炒って漬けてみたらどうなるかしら?」
それはサトルも興味が惹かれた。松の実の種子だけを漬け込むのなら、えぐみは少なく香ばしさが増すかもしれない。ただそう思っても、面白そうだと応えることは今のサトルにはできない。
サトルが言葉を発しないことに気が付いてか、二メートルはありそうな巨大な黄緑色のヘビクイワシが、レオナルドの頭をくちばしで挟み上げ持ち上げる。
驚きギャンと悲鳴を上げるレオナルド。
しかしヘビクイワシこと風の精霊フロルメイは、すぐにレオナルドとをサトルから少し離し地面に置く。
「今度は花の香りのお酒を所望します。クランブルワインでも結構ですけど」
フロルメイはフロルメイで、気に入っている種類の酒があるのですと、カーナビでよく聞くような声で主張する。
「ああ、わかったよ」
フロルメイによってベルナルドが退かされたことで、ようやく口が開けるようになったサトルは、顔面を乱暴に拭うと、それまでずっと腹の横に寄り添うだけだった真っ白な兎に手を伸ばす。
しっとりとしたベルベットのような手触りの兎は、サトルの手に合わせ、気持ちよさそうにキチキチと奥歯をこすり合わせる音を立てる。
「ベルナルドは? アイスにかけたやつ?」
音に出しては答えないが、氷の精霊ベルナルドは、髭や耳をサトルに向け、大きく瞳を開き見つめる。否定の時はそれらがそっぽを向くので、これは肯定だろう。
「なら早めにベルナルドが好きそうな物探すか。夏いっぱいは食べるとしても、秋になるとさすがにこっちは寒いだろうしなあ」
そのサトルの言葉にレオナルドが、何でどうしてと、再びサトルに飛びつく。
全体重をかけた体当たりに、サトルはひっくり返り呻いた。痛みは無いが重いし苦しい。
「えー、なんで? 来年の春も夏も一緒にいようよ、そしたら毎年食べられるよ」
「いや、流石にそこまで長居は」
「えー、サトルそんなに元の世界に帰りたい?」
駄々をこねるレオナルド。それを不安げに覗き込むベルナルド。感情は見えないが注視するウワバミとフロルメイ。
集まる視線に、サトルはバツが悪そうに頬を掻いた。
「帰りたいよ」
ただ態度の割にその声ははっきりとしていて、ウワバミがくくっと喉を鳴らして笑う。
「それだけはきっぱりしているのね」
「ああ、帰りたいから努力をしてるんだ」
繰り返し問われても、繰り返し帰りたいと答えを返すサトルに、フロルメイが首を傾げる。
まだ付き合いの浅い精霊であるフロルメイは、サトルが何を考えて行動しているのか、理解ができないという。
「だというのに何故貴方はこの世界の者達を、平等に愛するのです?」
愛するという言葉に、サトルは一瞬躊躇するも、それが博愛という意味ならばと深々とうなずく。
「生きているから」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ。生きるっていうのはとても難しいんだ」
生きているという事を、実体を持たない精霊たちが理解するかはわからない。ただ、サトルが自分とコミュニケーションの取れる生物に関しては、強い庇護欲を発揮することを、フロルメイ以外の三匹はすでに知っていたので、その言葉ですぐに納得する。
「サトルは、不思議な人ですね?」
精霊にまで不思議と言われてしまうサトルに、ウワバミが実に嬉しそうに笑う。
「そうね、不思議で稀有な存在でしょうねえ。だからこそ、サトルという存在は得難いのだわ」
その言葉の真意はサトルにはわからなかったが、それで気に入ってもらい、力を貸してもらえるというのなら、その間だけは自分を肯定していられるなと、苦く笑った。




